『悪は存在せず』死刑問題をギミックに押し込めて良いのか問題

悪は存在せず(2020)
原題:شیطان وجود ندارد‎
英題:There Is No Evil

監督:モハマド・ラスロフ
出演:Mahtab Servati、カヴェ・アハンガル、Alireza Zareparast、Shahi Jila、シャガイェグ・シュリアンetc

評価:40点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

一時期、配給が決まっていると囁かれていたが全く公開されぬまま数年が経ったモハマド・ラスロフ『悪は存在せず』をようやく観た。ラスロフは『Manuscripts Don’t Burn』を観てファルハーディー系のイラン映画の枠組みに入っており、イマイチ食指が動かない訳だが、来年新作が日本公開されるようなのでいい加減に鑑賞した。死刑にまつわる4つの中編からなる作品。面白い部分もあれども、その面白さ自体に問題を抱えている作品であった。

『悪は存在せず』あらすじ

2020年・第70回ベルリン国際映画祭コンペティション部門で最高賞の金熊賞を受賞。イランの死刑制度にまつわる4つのエピソードから、穏やかな日常がドラマティックに展開し、人間の尊厳を問う。ベルリン映画祭では、イラン政府と対立した監督が不在の受賞式となった。日本では同年の第33回東京国際映画祭のワールド・フォーカス部門で上映(国際交流基金アジアセンター共催上映)。「ドイツ映画祭 HORIZONTE 2021」(21年11月18~21日、東京・ユーロライブ)で上映。

映画.comより引用

死刑問題をギミックに押し込めて良いのか問題

第一話、4つの中で一番面白いと思う一方で一番の問題作。夜勤帰りのおっさんの平凡な日常が描かれる。大黒柱として威張るのかと思うも、掃除や家事を担当し、妻や娘には頭が上がらない。キアロスタミやパナヒのように車といった小さい空間の中で自由に発言が行われるアプローチが取られ、中年男性の生々しさが提示されるのだが、終盤にこのおっさんが死刑執行人であることが判明。冴えない男に見えた彼が冷徹にボタンを押すショッキングさに還元される。中編映画ならではの一発芸的な内容であり、表と裏の描き分けがよくできているものの、「死刑問題」を語る上でこのギミックの快感に押し込んでしまうのはあまり良くないのではと思った。要は結論ありきで、議論の余地を与えない狭い映画になってしまっているのである。

第二話は、死刑執行の仕事をやりたくない男が銃を持って逃亡を図る内容で、脱出シーンがコミカルに描かれるのだが、現実ではできないような「仕事の拒絶」を映画という虚構でもって叶えるだけの作品となっており、本作に陰りが生じる。実際問題として存在する「死刑」をこうも軽々しく映画のおもちゃにして良いのかという疑念が。

第三話はオイディプス王の骨格を持ち込んだ内容であり、休暇中のフラストレーションの根源を探ると、自分に原因があった。つまり、自分が殺した人だった系の物語となっている。前半2作は倫理的問題はありつつも映画としては面白くあった。しかし、ここに来て、ジェネリック・ファルハーディーものの退屈さが前面に出るようになる。

第四話では第二話のその後のような作品となっており、死刑制度に反対する者の心情が明かされる内容となっているのだが、こちらは演出に魅力のないパナヒ映画となっており、言いたいことは分かるが虚無であった。まあ、この年のベルリンのランナップは微妙だったのでこれが獲るのも妥当か。

やはり、個人的にモハマド・ラスロフは好きになれないなと思ってしまった。