猫に裁かれる人たち(1963)
原題:Až přijde kocour
英題:When the Cat Comes
監督:ヴォイチェフ・ヤスニー
出演:ヤン・ヴェリフ、ブラスティミール・ブロドスキーetc
評価:95点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
カンヌ国際映画祭シーズンなのでEastern European Moviesでコンペティション部門に選出された東欧映画を追っている。その中で『切腹』とW受賞で審査員特別賞を獲ったチェコ映画を見つけた。それが『猫に裁かれる人たち』である。「モラヴィアの真珠」と呼ばれ、ルネサンス様式とバロック様式の可愛らしい融合が見られる世界遺産テルチ歴史地区がロケ地になっていることもあり、観たのだがこれが凄まじい作品であった。
『猫に裁かれる人たち』あらすじ
モラビア地方のある村。町の小学校のロベルト先生(ヴラスティミール・ブロドスキー)は生徒たちに慕われていた。ある日、先生は村の時計台守のオリヴァ老人(ヤン・ヴェリフ)をモデルにして子供達に絵を描かせた。老人はおもしろい猫の話をしたが、その猫が実際にこの町にやって来た。話の通り、魔術師(J・ヴェリフ、二役)と美しい娘ダイアナが眼鏡をかけた猫を連れて……。
猫がメガネを取ると、アカ、アオ、キイロ、キレイ!
時計台から鐘が鳴る。パカっと時計台の一部が開き、おじいさんが現れ、「昔々あるところに」と語り始める。そして時計台から街並みを見渡す。子どもたちや大人たちが映し出される。このバラバラになった町の人たちがメガネ猫をきっかけで一つになる寓話となっている。小さな町でサーカスが開催される。黒子を使った見事なパフォーマンスは町の人同様に、映画を観る者も魅了する。そして終盤に、メガネをかけた猫が降臨する。猫がメガネを取ると、あら不思議。人々はアカにアオにキイロに染まり始め、本能に任せて踊り、狼狽し、乱闘を始めるのだ。乱闘は、まるで呪術を使っているかのようで、無の空間を押し合い引き合いしながらもみくちゃになるのだ。
本作は、サイレント映画のような人間の運動にこだわった作品となっており、セリフはかなり抑えられている。人の性格を色で染めてしまう猫による騒動をダイナミックな運動で描いてみせるのだ。ヴォイチェフ・ヤスニー監督はこのような演出が得意らしく、監督賞を受賞した『All My Good Countrymen』では、冒頭の合唱場面から立体的に人を配置したり、子どもが無邪気に農夫を狙撃し、慌てふためく様子を早送りで演出したり、後光差し込む大地をカメラに向かって人々が歩いてくるショットを入れたり、酔っ払いが牛と殴り合いの喧嘩をする場面をスローモーションで描いたりと凝った演出をしている。
『猫に裁かれる人たち』の場合、猫を捕まえようとする大人に対して、猫を救おうとする子どもたちがいる。子どもたちはテルチの街並みや学校に猫の痕跡を示す絵を貼り、軍団になって猫のイラストを掲げて走ったりする。大人たちは見つかった猫を取り上げて、大人の圧力で潰そうとするのだが、そこに時計台のおじさんが現れて魔法をかける。すると、老若男女、一つの方向に歩き始めるのだ。魔法を前に人々が一つになるフィクションとしての力強さを、近くからのショットと遠くからのショットを巧みに組み合わせて描く。ここにこの監督の良さがあると言える。
一方で、折角色に意味を与えているにもかかわらず、そこまで内容に活かされず表面的な演出に留まってしまったところには物足りなさはある。とはいえ、毒々しい色彩で踊り狂うスペクタクルは観たことない新鮮さがありました。また、教室のシーンでノートに映像が映し出される場面は、現代におけるタブレットを使った勉強そのもので感動を覚えました。本作は2021年のカンヌ国際映画祭のクラシック部門で上映されたようなので、ヴォイチェフ・ヤスニー特集を日本で組んでもいいのかもしれない。