コングレス未来学会議(2013)
The Congress
監督:アリ・フォルマン
出演:ロビン・ライト、ハーヴェイ・カイテル、ジョン・ハム、ポール・ジアマッティ、コディ・スミット=マクフィー、ダニー・ヒューストン、サミ・ゲイル、マイケル・スタール=デヴィッド、マイケル・ランデス、サラ・シャヒetc
評価:65点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
最近、VTuberに関心がある。YouTuber以上にアグレッシブに画やアイデアを形にしていく。かつて実験映画がやっていたことを、いとも簡単に行い、視聴回数が10万を超えることも普通の世界。一方で、フィクションの体を纏い陽気に新しい人格を演じる片鱗に、翳りもあり精神負荷が高そうだとも感じた。VTuberの沼に触れる前は、『アベンジャーズ』や『レディ・プレイヤー1』の世界を想像していたが、蓋を開けたら『スーサイド・スクワッド』でありデヴィッド・クローネンバーグのような世界観だったのだ。面白くもあり不気味でもあるこの世界に足を踏み入れ、ふと5年ぐらい前に観た『コングレス未来学会議』を思い出した。『惑星ソラリス』の原作者であるスタニスワフ・レムによる小説「泰平ヨンの未来学会議」を『戦場でワルツを』のアリ・フォルマンがアニメと実写の融合で映画化した作品だ。当時は全くもってよくわからなかったが、今は分かるかも知れないと思い観てみた。
『コングレス未来学会議』あらすじ
「戦場でワルツを」のアリ・フォルマン監督が、「惑星ソラリス」の原作でも知られるポーランドのSF作家スタニスワフ・レムによる小説「泰平ヨンの未来学会議」をアニメーションと実写を交えて映画化。俳優が自らの一番輝いている姿をスキャンし、デジタルデータとして保存することが可能になった未来世界。40歳を超えて女優としての旬を過ぎたロビン・ライトは、難病を抱えた息子のためにも、巨額の報酬と引き換えに、それまで出演を拒んできた売れ筋の映画を含むあらゆるジャンルの作品に彼女のデータを提供するという契約を結ぶ。映画会社のミラマウント社にデータを提供したロビンは演技をすることもなくなり、表舞台から退く。そして20年後、ミラマウント社が開く未来学会議に招かれたロビンは、人々が化学薬品を使った新たな娯楽に没頭している世の中を目の当たりにする。
あなたの仮面を頂戴しました
落ち目の俳優ロビン・ライト。彼女は映画会社ミラマウントに呼ばれる。全身をスキャンし、CGキャラクターになる契約だった。二度と演技ができなくなる代わりに、富を得る。彼女は、難病を患う息子のために契約を結ぶ。それから20年後、契約が切れるためミラマウントを訪れた彼女は不思議の国へと迷い込む。
まず、約10年後の2022年において一気に分かったものがある。それは20年後の場面だ。ロビン・ライトが検問を抜ける。荒野が広がっているかと思いきや、アニメが画を侵略し、ドラッグな世界と変わる。その中で、人々が映画を観たり、会議をしたりする。受付でロビン・ライトが何人もいると判明する場面がある。これはメタバースのことを指しているのだろう。人々は仮想空間で、アニメの身体を観にまとい、自由自在に移動する。現実同様の、生活を行い体験を共有する。現実世界は簡素化され、仮想世界でビジネスが展開されると考えるとしっくりとくる。
そして、この混沌とした世界でのエンターテイメントのあり方が、我々のいる現実世界が向かっている先にあるものだと思えて不気味に感じる。映画は昔の娯楽となり、個人が思い描く欲望や快感を引き出し自動的にチューニングしてくれる薬が発明されるのだ。ミヒャエル・エンデ「モモ」の時間泥棒以上に凶悪なものが今を渦巻いている。資本主義の果てなき、利益追及により、スキマ時間を奪うコンテンツが増えてきた。人々は、仕事の合間の時間を膨大なスキマ時間を奪うコンテンツに費やす。有限である人や人の時間を使い果たすと、今度は時間圧縮の方向に文化が発展し、倍速再生、ファスト映画などがありふれた存在となっていく。そして、人々はドライに作品を斬り捨てていく。最終的に時間から凶悪な形で解放していくのがこの映画で描かれているディストピアだろう。
薬によって、欲望を刺激として直接個人に注入する。個々はそれぞれの幻覚の海に溺れていき、時間感覚がなくなっていく。自動的に欲望が幻影を生み出すので、自己と他者の関係性が希薄になってくる。ロビン・ライトは、自分を認識できない他者の存在を知る描写があるが、少し先のSNS像に感じる。今のSNSは、かつて現実と隔絶され、内なる闇を流し込める場所であったインターネットが、現実と同等レベルの公共の場となりそれにより問題が発生している。他人の思考が次々と流れてきて、侵食しあうので紛争が多発している。結果的に現実が、かつてのインターネットのように心理のシェルターになっていたりする。『コングレス未来学会議』の場合、個々の中で空間が完成されており、他者がいるようでそれが幻影の可能性が高い世界観となっている。「自分の新しい人格を飲みこみ、それをフェロモンとして相手の心に届ける」と言及されているように振る舞う。ただ、それが虚無に向かって振る舞っているかもしれないのである。
このような曖昧な世界において、紛争はただ目の前を通過する存在となってしまう。テロリストが集会を襲撃する場面があるが、それは深刻な事態であり、何かメッセージを訴えている事象であるのだが、そのメッセージの表層をなぞることすらできずにロビン・ライトの前を通り過ぎてしまう。骨抜きにされた人々は、企業の奴隷として働かされたりするのだ。
企業の「自由選択」の押し付けによる不自由さがもたらす、恐ろしい悪夢。観念的過ぎて面白くはないのですが、VTuberや倍速再生する今の人々などを思索する中でこの映画は興味深い作品であった。
※映画.comより画像引用