『セールスマン』事実は小説よりも奇なり

セールスマン(1969)
Salesman

監督:アルバート・メイズルス、デヴィッド・メイズルス、シャーロット・ズウェリンetc

評価:95点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

Gucchi’s Free Schoolが最近映画上映に力をいれている。今回、下高井戸シネマでドキュメンタリー映画の重要作にして日本ではほとんど上映されたことのない『セールスマン』が上映されました。実際に観てみたのですが、これがとても良かったです。

『セールスマン』概要

Four dogged door-to-door Bible salesmen travel from Boston to Florida on a seemingly futile quest to sell luxury editions of the Good Book to working-class Catholics.
訳:4人の聖書販売員が、ボストンからフロリダまで、労働者階級のカトリック信者に豪華な聖書を売り込むために、一見無駄な旅を続けている。

IMDbより引用

事実は小説よりも奇なり

「事実は小説よりも奇なり」という言葉がある。

小説や映画といった虚構は、ある人生の中の事実を整形し、奇を生み出すものだ。我々は日常に点在する事実を繋ぎ合わせることで奇を生み出すことができるが、実行するには難しいものがある。事実は無数にあり、それらを組み合わせて興味深い奇が生み出せるかは不確定であるからだ。しかし、偶然の中を漂う事実が繋ぎ合わさってできた奇は力強く、まさしく小説よりも奇なりである。ドキュメンタリー映画は、我々の日常に潜む事実を繋ぎ合わせ奇を提示する存在と言える。

メイズルス兄弟の『セールスマン』は、聖書の訪問販売に密着した作品である。「美しいでしょう」と4歳の子どもに聖書を見せ興味を引き出す。「聖書は世界のベストセラーです」、「たった49.95ドルで、3種類の方法から支払えますよ」と畳み掛けるようにして主婦に売り込む男。彼女は躊躇う。夫の許可なしに購入すること。男は「サプライズプレゼントにしてみては」とすぐさま切り返す。この頭の切れる男はポール・ブレナム。自由を求めセールスマンとなった男だ。別の訪問先で、セールスマンは自由でいいですねと言われると誇らしげにしている。自由の国アメリカの夢を背負った仕草が垣間見える。一方で、現実は厳しい。研修会場では、徹底的に聖書が売れないのは自分が悪いと自己責任論を刷り込まれる。周囲を見渡せば、リストラされた者の影がチラつく。

彼はジェームズ、レイモンド、チャールズと共に訪問販売の旅へと出る。それぞれにニックネームがついており、そこには友情が芽生えている。ポールは運転しながらカメラに向かって、3人の紹介を始める。ジェームズは、買いたくないと語るスペイン人に執拗に別の聖書を売りこもうとする。レイモンドは、時間の無駄だと分かれば早々に諦めて次の訪問先へと向かう。チャールズは聖書の購入費用をいかに捻出するかを考え、訪問相手に牛乳代を節約してみては、隣人から借金してみてはと提案し、さりげなくサインするタイミングで価格を釣り上げたりと容赦ない営業活動を行っている。

映画を観ていくと、リストラされた者の影が濃くなっていくように感じる。その原因はポールにあった。ポールはかつて1日に10冊以上も売り上げていたが、最近はスランプに陥っている。日によっては1冊も売れない時もある。そのせいだろうか、セールスの旅に出て早々に帰りたいと吐露する。列車に乗れば研修の場面が交差する。研修では、周囲の者が「次は2倍の売り上げを目指します」などと高い目標を掲げている。気分が落ち込んだ時に、煌びやかな過去を思い出して辛くなる心理状態を表現するような編集が施されている。段々と事実が虚構より奇なる世界を形成していく。やがて、精神のどん底に追い込まれた彼は、仲間の前で醜態を晒し、失意の中映画は終わる。アーサー・ミラーの「セールスマンの死」は、人生に疲れたセールスマンであるウイリー・ローマンが帰宅するところから物語が始まる。つまり、本作は「セールスマンの死」の序章であることを匂わせるエンディングを迎えているといえる。

「イエス・キリストは世界一のセールスマン」とビジネス化された宗教がもたらした自由。その中での厳しい現実に眼差しを向けている本作。聖書の売り込みに失敗する者に対し、かつて掃除機の訪問販売していた亭主が哀れみの目を向ける姿。聖書を購入する段階になって現れる隣人に対して邪魔されないようにトークを切り上げようとする血生臭い会話のアクション。セールスマンの悲哀を象徴するように流れる、くたびれた旋律によるビートルズの「イエスタデイ」などといった事実を積み上げていき、メイズルス兄弟は滑稽でグロテスクな奇を我々に提示したのだ。

※MUBIより画像引用