【Netflix】『私というパズル』「母」は何故子育てに介入するのか?

私というパズル(2020)
Pieces of a Woman

監督:コーネル・ムンドルッツォ
出演:ヴァネッサ・カービー、サラ・スヌーク、シャイア・ラブーフ、エレン・バースティンetc

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第77回ヴェネツィア国際映画祭で女優賞(ヴァネッサ・カービー)を受賞した『Pieces of a Woman』が日本でもNetflix配信となりました。Netflixにしては何故か邦題に力を入れており『私というパズル』たるダサくて映画を観てもよくわからない題となっていて(普通に『女性のかけら』、『女の破片』程度に留めておけばいいのに)ガッカリなのですが、映画は素晴らしかったです。

『私というパズル』あらすじ


苦しい自宅出産の先に待っていたのは、予想もしなかった大きな悲しみ。失意の中、パートナーや家族にも心を閉ざす女性は、やり場のない感情に飲み込まれていく。
Netflixより引用

「母」は何故子育てに介入するのか?

『ジュピターズ・ムーン』で味を占めたのか撮影監督がマルツェル・レーヴからベンジャミン・ローブに変わっても浮遊感ある映像で女性の妊娠を捉えるところから始まる。ヴァネッサ・カービー演じるマーサ・ワイスは出産直前。悪阻で今にも倒れそうだ。しかし夫ショーン・カーソン(シャイア・ラブーフ)はどこか呑気にしている。いよいよ子どもが生まれる段階となる。助産師イヴ・ウッドワード(モリー・パーカー)は救急車呼んだ方が良いと言うが、マーサはそれどころじゃない。ここで産むと言う。こんな局面において夫は役に立たない。右往左往しているだけだ。ようやく赤ちゃんが生まれるのだが、呼吸をしていない。この映画は残酷なことに赤ちゃんの死産から始まるのだ。

時は経ち哀しみとヤケクソで心が壊れたマーサは職場に復帰するのだが、心配そうに観る周囲の目が鬱陶しい。あの地獄のような痛みを経験しているだけに薄っぺらい心配そうな目は癪に触るのだ。早く子どものことを忘れたいのです。なのに、夫は死産の原因を特定することができないと言う専門家に声を荒げたりする。冒頭からトコトン温度差が埋まらない嫌な感触が続いている。そして追い打ちをかけるように母エリザベス・ワイス(エレン・バースティン)が圧をかけてくるのだ。彼女はイヴを訴えようと言うのだ。

本作が素晴らしいのはこの母親という存在にある。子育ても終わり、仕事もないであろう母にとってコミュニティは家族だけとなる。狭いコミュニティは村社会となり、ちょっとしたことが一大イベントとなる。自分の承認欲求、孤独を癒すように他者の揉め事に首を突っ込むのです。この場合、娘の死産に対してアドバイスすることで自分の承認欲求を無意識に満たそうとしている。彼女にも言い分はある。彼女はホロコーストの中、両親が必死に「生きる」選択をして生まれた。なので「生きる」選択肢はあったのでは?と考えているのだ。ただ、ホロコーストという時代を生きていない現代を生きるマーサにとってそんなのはどうでも良いことだ。痛みと引き換えに得た悲劇をいかにして忘れるかが重要なのだ。なのに墓に刻む名前が間違えていたり、妙なところで適当だったりする夫、土足で心の傷を抉ってくる母親と右から左から社会が邪魔してくるのだ。

人の結婚、出産に口出ししてくる家族や社会の厭らしさは日本でもよくある話だろう。それだけに普遍的なドラマに仕上がっている。2020年は『透明人間』、『Swallow/スワロウ』と女性の痛みを描いた傑作が多かったが、本作もその仲間と言える。これは必観だ!

※Netflixより画像引用

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