フランケンフッカー(1990)
FRANKENHOOKER
監督:フランク・ヘネンロッター
出演:ジェームズ・ロリンズ、パティ・マレン、シャーリー・ストーラーetc
評価:95点
『フランケンフッカー』は権利保有会社消滅につき現在権利が行方不明になってます。 https://t.co/vQbGKJPjPH
— JUNICHI@是空®LLC. (@piedpiperagogo) November 29, 2020
おはようございます、チェ・ブンブンです。
「101 CULT MOVIES YOU MUST SEE BEFORE YOU DIE」に掲載されているゲテモノ映画『フランケンフッカー』を観ました。本作は『バスケット・ケース』で根強い人気を博しているフランク・ヘネンロッター渾身の作品。日本でも高橋ヨシキやFilmarks民から愛されている作品ですが、パッケージソフト発売会社・是空さんによれば権利が行方不明となっているため、日本公開及びブルーレイ化が難しいとのこと。ただ、この映画ほどユニークで面白く、多様性が叫ばれている現在にも通用するゲテモノ映画はないだろう。というわけで本作の魅力についてネタバレありで語ります。
『フランケンフッカー』あらすじ
事故死した恋人を復活させようとして怪物を生み出してしまう若き医学生の姿を描く現代版“フランケンシュタイン”。エグゼクティヴ・プロデューサーはジェームズ・グリッケンハウス、製作はエドガー・イエヴィンス、監督は「バスケットケース2」のフランク・へネンロッター、脚本はヘネンロッターとロバート・マーティンの共同、撮影はロバート・M・ボールドウィンが担当。出演はジェームズ・ロリンズほか。
※映画.comより引用
蘇生したと思ったら娼婦でしたチクショー
大抵のゲテモノ怪物映画は、主人公や怪物のフェチに対して社会の蔑視の目が浴びせられ、その痛みから解放するようにフェチを暴力に置換していく。しかしながら、『フランケンフッカー』では多様性が支配しており治安が悪くもユートピアに見えてしまう心地よさがある。冒頭、主人公ジェフリー・フランケン(ジェームズ・ロリンズ)は庭先でパーティーが繰り広げられているのにダイニングにデカい機材並べて一つ目脳ミソを育成している。そんな彼を周りは気持ち悪がらず接している。「あんたも乾杯するわよ」とパーティの渦中に招いたりするのだ。しぶしぶ乾杯の現場に行くのだが、美女エリザベス(パティ・マレン)が陽気に芝刈り機を披露し始める。こともあろうことか、芝刈り機が暴走して彼女は木っ端微塵となってしまうのだ。ジェフリー・フランケンはどうにかしてエリザベスを復活させたいと思い悩む。
この映画が凄いところは、出オチはオープニングから始まっておきながらもその出オチな内容に全良投球し、緻密な美術を作り上げるところにある。冒頭の一つ目脳ミソのギョロギョロしたキモ可愛さはもちろんのこと、人体図に蛍光ペンで細かく細かく電子回路を描いていく場面一つとってもサービス精神旺盛さが垣間見える。
それでもって、エリザベス蘇生シーンは『フランケンシュタインの花嫁』を『ロッキー・ホラー・ショー』以上の再現度で描く。天井が開き、電気の不穏な輝きがワクワクを与える感じを再現しているのだ。でも、カラー映画としてゴチャゴチャ色彩豊かな機材というオリジナリティでヘネンロッターの個性がギラつくのです。
本作の目玉は、何と言っても娼婦大爆発シーンであろう。フランケンがエリザベス復活のパーツ集めに何故か娼婦街に行く。ただ娼婦たちはフランケンの目的を知って大激怒。搾取されてたまるかと、フランケンをフルボッコにするのだが、謎の煙が作用して、次々と娼婦が爆発していく。扉を掴もうとする様子をスローモーションに描き、ドアノブを掴んだ瞬間大爆発、扉を開けた用心棒に娼婦の顔が飛んでくる場面は爆笑シーンでありながらも、他の作品では観られないスタイリッシュさがある。無事に娼婦のパーツを採取したフランケンが、研究室で無数の乳房から良質のものを物色する無駄に詳細な描写も加わり、多幸感に包まれる。
こうしてコウメ太夫似の怪物エリザベスが爆誕し、フランケンそっちのけで街を闊歩する。彼女は女男、白人、有色人種そっちのけで誘惑して暴れまわる。そこに映る人は治安が悪くも差別はない。FUJI FFILMの看板を前に日本のカメラ小僧がバシャバシャ彼女を撮りまくる場面があるが、『ティファニーで朝食を』のユニオシのような醜悪な風刺画要素は排除されており、彼女のユニークさを撮っているだけの存在に留められている。ガールズバーも男女が対等にあり、それぞれが自分の人生を謳歌しているのだ。女を搾取しようものなら、フランケンのように、あるいはエリザベスに燃やされるおっさんのように大変な目に遭うのだ。
そして一度入ったエンジンは止まること知らず、更なる怪物爆誕しドロドロぐちゃぐちゃとなっていくのだが、その渦中で死亡したフランケンをエリザベスが同様の手法で蘇生した時に初めて彼女が美しくなる。コウメ太夫ではなく、あの「エリザベス」に戻るのだ。この切なさに涙しました。
今の映画は、どうも「商品」というイメージが強く『レディ・プレイヤー1』のようにカルチャーごった煮映画でもどこかマーケティングの香りがしてしまう。それだけに1980~1990年代ゲテモノ映画が持っている欲望、フェチ全開の雰囲気を味わうと「映画を観ている」多幸感に包まれます。意外とその多幸感を今味わうことは難しい気がします。
『恐怖の報酬』、『アングスト/不安』、『ヒッチャー』と旧作リバイバル上映が熱い日本、ここは是非とも『フランケンフッカー』もお願いしたい。間違いなく盛り上がることでしょう。
※imdbより画像引用
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