【ネタバレ考察】『本気のしるし 劇場版』映画とは女と男が地獄に堕ちるのを楽しむものだろう?

本気のしるし 劇場版(2020)
The Real Thing

監督:深田晃司
出演:森崎ウィン、土村芳、宇野祥平、石橋けい、福永朱梨etc

評価:5億点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

Twitterで観た人観た人が大傑作と語る作品『本気のしるし 劇場版』がようやく、あつぎのえいがかんkikiで封切りとなったので行ってきました。深田晃司監督は、『さようなら』の時から日本映画から外れた雰囲気を持つ作風に魅了され、何度もチェ・ブンブンシネマランキングに選出しているお気に入り監督である。しかし、本作を観るまでは、今年のベスト1位は『アンカット・ダイヤモンド』と決めていた。これはここ最近の映画が、社会問題を描くことが目的化してしまい、映画的魅力を失っているのでは?ヒッチコックやホークス的視覚的面白さを探求する映画作りを忘れてしまったのではないか?という想いがあった。

もちろん『透明人間』のように映画的アクションを軸に問題提起をしている大傑作も存在するが、ここはヒッチコック、ホークス的アクションを極めたサフディ兄弟に軍配をあげたいと思っていた。本作を観るまでは。

『本気のしるし 劇場版』は星里もちるの同名漫画を10話の連続ドラマにし、そこから約4時間の劇場版へと編集したものだ。そして今年開催が叶わなかったカンヌ国際映画祭で恐らく上映されるはずであったであろう作品だ。カンヌレーベルというラベルはついたものの、もしカンヌ国際映画祭が開催されていたらコンペティション部門で監督賞か審査員特別賞を獲っていただろう、世界の映画好き、映画会社が驚愕するであろう代物に私は涙しました。コロナがなければと。

泣いてもしょうがない。

本作はもう今年のベストワン確定であることは間違いないので、私も本気出して評を書いていきます。本作は何も知らないで観て欲しい作品なので、ネタバレありで書いていきます。

※2020年の映画としてのあり方、自分の立ち位置ははnote記事「CHE BUNBUNの #2020年上半期映画ベスト10」に書いたつもりなので参考にどうぞ。

『本気のしるし 劇場版』あらすじ


「淵に立つ」「よこがお」の深田晃司監督が星里もちるの同名コミックを連続ドラマ化し、2019年放送された作品を劇場作品として再編集したサスペンス。退屈な日常を送っていた会社員の辻一路。ある夜、辻は踏み切りで立ち往生していた葉山浮世の命を救う。不思議な雰囲気を持ち、分別のない行動をとる浮世。そんな彼女を放っておけない辻は、浮世を追ってさらなる深みへとはまっていく。辻役を「レディ・プレイヤー1」「蜜蜂と遠雷」の森崎ウィン、浮世役をドラマ「3年A組 今から皆さんは、人質です」「連続テレビ小説 べっぴんさん」の土村芳がそれぞれ演じ、宇野祥平、石橋けい、福永朱梨、忍成修吾、北村有起哉らが脇を固める。新型コロナウイルスの影響で通常開催が見送られた、2020年・第73回カンヌ国際映画祭のオフィシャルセレクション「カンヌレーベル」に選出。
映画.comより引用

第1章:ある愛に関する物語からあるクリスマスイヴに関する物語

よこがお』では窓を象徴的に使用し、居場所を失ったヒロインが、他人の家に侵入することで孤独を癒そうとしている様を描いていた。これはクシシュトフ・キェシロフスキのテレビシリーズ『デカローグ』第6話《ある愛に関する物語》における窓演出を彷彿とするものがあった。もし『よこがお』が『ある愛に関する物語』ならば、『本気のしるし』は《あるクリスマスイヴに関する物語》だろう。タクシー運転手の男がサンタクロースの格好をして家族を楽しませ、良き父に務めていたところに昔の恋人が現れる。そして家族に嘘をつき、彼女と車で失踪した夫を探そうとするのだが、いきなり無理心中させられそうになる話だ。一瞬の気の緩みや、優しさにつけこんで地獄へ引きづり込む設定はもちろん、辻一路(森崎ウィン)が線路で立ち往生する葉山浮世(土村芳)を助けたら、いきなり警察に犯人として彼を突き出そうとしたり、酔った彼女が言葉巧みに彼の家に行こうとしたり、逃走する彼女を追いかけたら急に男の子の風船を取るよう懇願されたりと、常に良い人であろうとする辻一路の手綱を捻り、死や闇堕ちに誘おうとする様まで踏襲されていると観ることができます。

第2章:映画とは女と男が地獄に堕ちるのを楽しむものだろう?

本作ではヤクザの親分・脇田真一(北村有起哉)が何度も、「女と男が地獄に堕ちるのが好きだ」と語る。これは映画とは何か?ドラマとは何か?の本質をついている。映画とはつまり、映画とは女と男が地獄に堕ちるのを楽しむものだろう?それを安全な場所から観て楽しむものだろう?と観客の心理を突き、「では本当の地獄を見せてやろう」と4時間全秒修羅場で埋め尽くしてくるのだ。

辻が浮世を助けたが最後、のらりくらりと彼の優しさに浮世は入り込み、借金120万円の肩代わりまでさせられる。しかも、面白いことに彼女は基本的に「すみません」しか言わず、彼女の過去を知ろうと探りをかけても、絶妙に回避されてしまう。例えば、ヤクザから救出後、ファミレスで酒に酔った彼女から過去を訊き出す場面がある。彼女は「二度死にかけた」と言う。そりゃそうだろうと辻も観客もそう思う。一度目は生まれる際に死にかけたと語る。でも我々はこう思うだろう。「踏切で死にかけたようなエピソードがあるのでは?」と。しかし、彼女の口から出るのはまさに辻が経験した踏切での修羅場だけだった。確かに二度死にかけているのだが、全然彼女の正体が掴めず辻と共に観客も落胆するだろう。もし、貴方がそこで落胆していなければまだ深淵に堕ちていません。私は辻と共に深淵に堕ちていました。地獄への興味がそそられる名シーンと言えよう。そして、その死のカウントは後に嘘であることが分かってくる。その焦らし方にも舌鼓を打ちました。

第3章:フィリップ・マーロウは追って追われる。追われる場合、地獄まで。

さて、こうものらりくらりと辻を弄ぶ浮世。パンフレットを読んで、ロバート・アルトマンの『ロング・グッドバイ』をモチーフに作っていることを知り、そういうことかと納得した。どうりで辻が飼っているザリガニの名前がマーロウな訳だ。つまり、レイモンド・チャンドラーの世界観、ハワード・ホークスの『三つ数えろ』に近い要素も孕んでいる訳だ。フィリップ・マーロウは『ロング・グッドバイ』も『三つ数えろ』も疾風怒濤のように迫り来る不条理を次々と処理していく。同様に辻も、ギャルゲーのように浮世、細川さん(石橋けい)、みっちゃん(福永朱梨)とのフラグを抱えながら、ヤクザに謎の車売り、得意先との接待、IT企業からのヘッドハンティングといった飛んでくる匙を投げたり、使ったりしながら処理していくのだ。

そして常時、浮世に追われている彼は終盤で失踪するのだが、それでも浮世は4年もかけて彼を見つけ出す。一緒に生きるか、一緒に死ぬかの選択を迫るのだ。死ぬまで追いかけてくる彼女の姿、それを終盤において彼女目線で描くことで背筋がゾッとする恐怖を観る者に与える。

辻は恋愛という概念になって、彼女を突き放した。『魔法少女まどか☆マギカ』ですら概念になるという逃げ道が用意されていたにもかかわらず、その概念から辻を引きづり出してくるのだ。走っても、走っても、走っても追いかけてくる。ちょっと一休みすると目の前に彼女がいる。おそらく原作がそうなんだろうけれども、ここまで生き地獄を魅せてくれるとはなんて恐ろしい映画なんでしょうか?

第4章:ルッキズムの銃口を突きつけ、時空の扉から撃たれる

さてそれだけなら私は『アンカット・ダイヤモンド』に軍配をあげていたことでしょう。『本気のしるし』はこうも常軌を逸したキャラクターしか出てこない映画なのに、今のジェンダー論やパワハラセクハラを的確に捉えている作品だった。つい最近も某監督が、エンタメ映画と社会問題との関係を言語化しようとし炎上していたが、韓国だけじゃない。日本だってエンターテイメントと社会問題の両立はできるし、酷いキャラクターが大暴れする映画の中で社会問題について言及してもそれはノイズとならないことを深田晃司監督は証明していたのだ。

序盤、辻の働く玩具会社のオフィスで女性社員・細川さんの怒号が飛ぶ。部長が、みっちゃんにパワハラ発言をしたとして前言撤回を求める。その様子を辻の同期は、嘲笑する。大柄な女性で真面目なことに漬け込んで、「モテない」「面倒な奴」とレッテルを貼るのだ。しかし、辻が家に帰ると、細川さんが待っており、愛撫接吻を交わす。このシークエンスで、観る者はこの世界に蔓延するルッキズムから来る、美と離れた存在に対する嘲笑を避ける為に彼は恋愛を公言していないのではと推察することができる。そこに真面目で、おもちゃの軽微な不良や、パッケージの破れに気づき、困っている女性を放っておけない辻の欺瞞な側面を垣間見るのだ。だが、そんな観客の推測を裏切るように、社内恋愛禁止の要素を挿入してくる。

まるで押見修造の漫画のように、決して観客の思惑通りに進めないという意志が、より一層この世の不条理を強調することとなる。

細川さんは、叫ぶ。

「私だって甘えたい」と。

彼女は強い女として周りから無視されてきたが、彼女には介護や借金といった問題を抱えている。さらに外見で男に優しくされない。だから強くなるしかなかった。唯一、辻だけが自分をわかってくれると信じていたのに、絶対に「愛している」とは言わないのだ。社内恋愛がバレて細川さんが左遷させられる事態(しかも彼女だけ)になっても尚、彼は「愛している」とは言わない。同棲に近いことまでしているのに、中々内面を晒してくれず、見ず知らずの女には目の前で優しくする。

彼がみっちゃんの策略で、大量の花火の発注ミスが発覚する場面で、彼には多くの人が手を貸す。それに対して彼女はただ強い人として使い捨てられる。この世の残酷な現実について鋭く深田晃司監督は突いてくる。ここが『アンカット・ダイヤモンド』と違う点であり、2020年という枠組みで観た際に本作は最重要であると考えた。

第5章:精密射撃はの刹那の隙を狙う者

さて辻も細川さんも仕事の腕は凄腕。精密射撃を行えるスナイパーだ。

例えば、突き放してもしつこくやってくる浮世に対して、彼は「俺の電話番号を消せ」と言う。彼女が「後で消す」と言うが、それだとまた復活してしまうので、自分の目で彼女が電話番号を消去するのを見届ける。細川さんも、何者かが大量誤発注した際に、サーバーのアクセス記録を分析して犯人がみっちゃんであることを突き止めたりしている。だが、それでも翻弄されるのだ。それは何故か?浮世や真一、みっちゃんといった人物が二人の心の僅かな隙を突いてくるのだ。浮世は自分の死をチラつかせ、善悪の彼岸に立たせる。真一はメフィストとして欲を刺激する情報をチラつかせる。みっちゃんは、二人の間合いにアグレッシブに入り込む。少しでも気を許したら、金を奪われそうになったり、辻はみっちゃんと結婚を確約させられそうになる。

その精密に混沌を処理していく者に対して正確に隙間を突く者がいる。このような構図が単に30分×10話という連続ドラマ構成特有のリズム以上のスリルを観る者に与える為、全く飽きることなく楽しむことができる。

第6章:第四の欲求、、、、それは地獄欲

ところで辻は何故、ここまで全てを狂わす女。フィルムノワールやスクリューボールコメディの世界から出てきたような危険な女の虜になるのだろうか?それは真一によって解説される。彼は良い人でありたい、平和でありたい一心で細川さんとの関係を隠し、嫌な接待も仮面を被って粛々とこなす。彼は仮面の奧に抑圧していた自己を抱えていた。昭和な中小企業で一生平凡な社員として暮らすレール上にいた。しかし、そこに全てを破壊し尽くすゴジラのような女が現れる。彼女の周りには修羅場という磁場が流れており、常に死の香りがする。その死の果実を味わってしまったが最後。「死からの生還」という得難き興奮の蜜を無意識に求めてしまうようになるのだ。まるで危険な地域を旅する者が、どんなに死にそうな経験をしても再び旅に出るように。アレックス・オノルドが断崖絶壁に魅せられるように。「食欲」「睡眠欲」「性欲」を超える第四の欲求「地獄欲」を辻が開花させてしまったのです。だからこそ、彼は浮世に夢中となるのです。

第7章:メフィストとしてのヤクザ

本作ではヤクザの親分真一が、辻と浮世が地獄に堕ちる瞬間を最大の快楽の対象として見ている存在として描かれる。これはまさしく『ファウスト』の世界観である。人間の愚かさを嘲笑い、真面目な人間であるファウスト博士が闇堕ちするのを心待ちにしている悪魔メフィストフェレスがこのヤクザに憑依している。彼は、辻を本部に呼び寄せる。彼は120万円をさっさと支払って脱出したいと思っているが、真一は返さない。そして彼女が120万円の受け取りを拒否したことや、会話の重箱の隅にある矛盾を突き揺さぶりをかけていく。いつまでも闇堕ちしない彼に時折失望するが、時と場所を変えて現れ、浮世の過去を知る者の情報をチラつかせたり、ヤクザ流取引方法を伝授して辻を惑わす。また浮世にも誘惑を施す。彼女が返済能力を習得し、金が溜まった段階を見計らって、200万円で失踪した辻の居場所を与えると交渉に乗り出したりするのだ。この狡猾さ、悪魔性に『ファウスト』的辛辣さがあり、これがまた映画を面白くするスパイスとなっていった。

第8章:「私の中で警報がなり続けている」は伝染する

細川さんに「あなたは地獄を見るとよい」と言葉を吐かれる。その言葉は呪いのように辻を覆いつくし、なんと細川さんの苦痛をそのまま味わう状況へと突き落とされる。辻は細川さんと結婚することとなるが、浮世が監禁されている情報を知ってしまい狼狽する。そして、「私の中で警報がなり続けている。細川さんは強い。浮世には俺が必要なんだ。」と言って、別れ話へと持っていく。

しかし、浮世は新たに登場した元彼にして自殺未遂をしたIT企業スタッフボルテージ社長・峰内大介に想いを寄せてしまう。父親による傀儡で社長でありながら抑圧されて自由がない彼は、未公開株不正譲渡問題の尻拭いをさせられることとなり、記者会見を抜け出して彼女と心中しようとする。

浮世を取り返そうとする辻だが、「私の中で警報がなり続けている。辻さんは強い。峰内さんには私が必要なのよ。」と言われ突き放されてしまうのだ。辻が細川さんにしたことをそのまま返されてしまう。まさしく強い呪いである。この世にある、強いと思われているものの軽視が層のように積み重なっていたことを知る場面である。『パラサイト 半地下の家族』と肩を並べられる、二項対立の細分化による問題の掘り下げがここでも観られました。

第9章:「本気のしるし」の正体

さて、「本気のしるし」とはなんだったのだろうか?浮世が辻の失踪で初めて本当の恋に気づき、彼を探すために健康食品の訪問販売しながら、地図にしるしをつけていく。それが「本気のしるし」なのだろうか。もちろんそれもあるだろう。しかし、本作は登場人物が愚行録という《しるし》をつけていき、その先に見出すそれぞれの自由を見出していく過程のことを示しているのではないだろうか。

細川さんは、様々な事件の末に小さなおもちゃ屋へ左遷させられたが、そこの長として自分の居場所を見つけた。閉塞感から解放された。辻と浮世は、逃れられぬ共依存を認めることで自由を得た。みっちゃんは辻という呪いから解放されて自由になった。それぞれバッドエンドとも取れるが、バッドエンドを受け入れることでハッピーエンドへと変えてみせた。残酷ながらもこの世の不条理に抵抗する一つの叫び、地獄の中にある《本気のしるし》がそこにありました。

第10章:ドス黒いスクリューボールコメディ

『歓待』、『淵に立つ』で確実にものとした人間の心理に侵入される恐怖を、異常なまでのスピードと全編修羅場修羅場修羅場のつるべ打ちで、こうも凄惨なのに思わず笑ってしまうそんなドス黒いスクリューボールであった『本気のしるし 劇場版』。漫画はこれから読むとして、ここまで物語として失速しないのは凄まじい。最近は、映画祭映画の戦略として審査員を強引に世界観に引き込むため、3時間以上の尺で圧をかける戦略が露骨に見える作品が多い。ラヴ・ディアスなんかは好きではあるが、割とそのあざとさが見え隠れしていたりする。蛇足なショットも多かったりする。それに対して『本気のしるし』は全てのエピソードが重要で、どのショットも魅力的だ。特に、辻がベランダで浮世の話を聞こうとすると、突然彼は部屋を出ていき、カメラはベランダから駐車場で喧嘩する彼と浮世の旦那・葉山正(宇野祥平)を映す長回しがサイコーでした。

最後に

深田晃司監督には、是非とも押見修造の『血の轍』や『おかえりアリス』を映画化してほしいなと思いました。押見修造の漫画も全ページ修羅場で、読者の予想を掌で転がしていく厭さ加減が素晴らしい方。この二人の才能が巡り合った時、映画はどうなってしまうのか?私は楽しみです。そして、もうそろそろカンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出されてほしいなと思います。今後も深田晃司監督応援していこうと思いました。

P.S.私の職場には映画好きが何名かいるが、この手の鬱な作品が苦手な人しかいないので観てはいただけなさそうだ…

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