【ネタバレ・アニメ&原作考察】『映像研には手を出すな!』これぞ最強のビジネス入門書だ!

【ネタバレ・アニメ&原作考察】『映像研には手を出すな!』これぞ最強のビジネス入門書だ!

おはようございます、チェ・ブンブンです。

先日、NHKで放送されていたアニメ『映像研には手を出すな!』が最終回を迎えました。本作は大童澄瞳の同名漫画のアニメ化で、『夜は短し歩けよ乙女』、『夜明け告げるルーのうた』の鬼才・湯浅政明が手がけたことで話題となった作品だ。本作はまた実写映画化も決まっており乃木坂46齋藤飛鳥、山下美月、梅澤美波主演のアイドル作品且つ、青春キラキラ映画界の博打監督・英勉が担当していることもあり映画ファンの中で不穏な空気が漂っていたりする。

さて、アニメに話を戻すと、これが異次元の大傑作であった。もとい『遊☆戯☆王』を抜いてブンブンのオールタイムベスト1アニメ作品となりました。原作も併せて読んだのですが、原作の全てが型破りなクリエイター讃歌に湯浅政明のあまりに鋭すぎる映像翻訳っぷりが核融合反応を引き起こし、観る者の人生観を変えてしまう作品となっていたのです。

どういう話かといえば、NHKにこう書かれている。

最強の世界が、動き出す!

高校1年生の浅草みどりは、アニメーションは「設定が命」と力説するアニメ好き。
スケッチブックにアイデアを描き貯めながら、1人では行動できないとアニメ制作への一歩を踏み出せずにいた。
そんな浅草の才能に、プロデューサー気質の同級生・金森さやかはいち早く気づいていた。
さらに、同じく同級生でカリスマ読者モデルの水崎ツバメが、実はアニメーター志望であることが判明。
3人は脳内にある「最強の世界」を表現すべく映像研究同好会、略して“映像研”を設立、活動を開始する。

アニメづくりをアニメで描く、青春冒険部活ストーリー。
NHKより引用



そして妙なのは、東洋経済や日経新聞などのビジネス媒体が、全くもってこのアニメを無視していることにある。これは、紛れもなくビジネス書だ。それこそかつて、ドラッカーの『マネジメント』を高校野球のマネージャー目線に置き換えたものや、ホリエモンの『多動力』を映像コンテンツにするといった代物は作られてきた。しかしながら、本作を観ると、いかにこれらが生ぬるく、格言やビジネス戦略をパッチワーク的に切り貼りしたのかがよく分かります。ビジネスとはストイックで、そのストイックさの先に楽園が待っていることをここまで真剣に突き詰めたものはなかったと思われます。その緻密さ故に、毎回語られるマネージャー役の金森氏の言葉が非常に重い。同じくマネージャーとして会社内を東奔西走するブンブンに刺さった訳です。

さて、今回はそんな『映像研には手を出すな!』の凄いところを5つのパートに分けて語っていこうと思う。ただし、ネタバレ全開なので、未見の方は原作ないしアニメに触れてから読むことを推奨する。

ポイント1.多様性の世界

本作を観て、真っ先に驚いたのは、アニメを作る話だというのに主役は女子3人だということ。ブンブンはアニメにあまり詳しくないので、『SHIROBAKO』だってそうじゃん!と言われたらそれまでなのだが、イメージとしてアニメ研究会たるものを描くとなると、男中心で、そこにサークルの姫がいる様を想像する。あるいは、ヴィジュアルしか知らないのですが同じくアニメ制作をテーマにしている『SHIROBAKO』では可憐な女を物語の中心に置いているように見える。しかし、本作では中性的な女子高生・浅草氏とのっぽでニキビ面の不気味な存在である金森氏、脇にハツラツとした水崎氏を配置するかなりイビツなトリオを主役としている。

日本アニメ界におけるルッキズム批判としてこういったキャスティングになっているのだろうと思ってアニメを見るのだが、もしルッキズム批判を前面にしているのであれば描かれていそうな差別たる描写は全くない。強いて言えば、電車の中で外見を囁かれる程度に抑えられている。そして、本作では黒人からブラジル系といった様々な国籍の生徒が登場するのだが、彼らの性別や国籍は一切無視してひたすら人対人の交渉・対話の中で物語が進行していくのです。性別・国籍・はたまた年齢の壁を乗り越えて、アニメを作るためだけに本気を出すクリエイターの営みがここに凝縮されているのだ。

2010年代。ハリウッド映画の世界では、『ゴーストバスターズ』や『オーシャンズ11』を男女入れ替えて描くことで、女性の地位向上を目指しました。これは必要不可欠なプロセスではあるのだが、結局男女入れ替えて、ガールズトーク増し増しにしただけの映画が量産された時代に終わってしまたと言える。2020年代は、そういった時代からおさらばして、男女という性差を乗り越えて人として観る時代を目指さなくてはいけない。それこそアカデミー賞などから男優賞、女優賞がなくなり俳優賞に統合されるべきだと言える。そう考えた時に、本作の世界で実現されている男女平等ボーダーレスな世界はまさしく《今》、2020年代を象徴する作品となっていたと言えよう。

ポイント2.金森氏のマネジメント能力からビジネスを知る

さて、何と言っても労働者諸君にとって驚愕するのは、金森さやかのビジネスセンスである。様々なビジネス書やそれを基にしたコンテンツの中でも群を抜いて、ビジネスにストイック且つ説得力の持った発言と行動を行使する金森氏に平伏す方は多いでしょう。ブンブンもその一人で、マネージャー業として上手くいかなくて落ち込んだ時に、彼女の勇姿を見ると元気が出てきます。

彼女は、アイデアの原石である浅草氏と意識高い系の水崎氏の暴走を食い止めるマネージャー的役割を担っています。常に納期とコストを意識して、ついつい寄り道してしまう彼女らに発破をかけつつ、やる気を削がないように圧のバランスを取ります。そして浅草氏が、ロボットアニメのプロジェクトによる重圧に負けそうになると、「大丈夫です。あなたの絵は十分スゴイ絵です!」と褒めるのだ。

そして、金森氏は二人よりも目立たないようにフォローをする。これはアニメ版で更に磨きがかけられている。水崎氏からPCがあったらいいなーと嘆きが溢れる。それを察知した彼女は原作だと、PCを所有してそうな情報技能研究部に掛け合い、生徒會に必要書類を提出し、6400頁にも及ぶ学校備品リストから液タブを探し出し割り当てを行うといった手続きが描かれているのだが、アニメだと省略されている。基本的に彼女の裏方としての作業は省かれており、浅草氏ないし水崎氏が必要となったタイミングには全て下準備が完了している状態が提示されるのだ。

これはマネージャーとしてあるべき姿は、全てを把握し、仲間に焦りの顔を見せずに円滑な進行を可能とする振る舞いにあると湯浅監督が解釈したからであろう。そして、これにより金森氏のマネージャーとしての神格化が行われ、生徒会や先生を前にした修羅場においての彼女の反撃や彼女が語る名言の数々により一層説得力が増すこととなる。

「ツイッターは遊びじゃねぇんだよ(アニメ版だと固有名詞は使えないのでSNSとなっている)!!」
「店や商品の充実だけを考えても意味が無い!!宣伝なくして商売は成り立たない!!良い店なら自然と客が来るなどという考えは甘い!!」
「私が好きなのは金じゃなく、利益を出す活動です。」

…本当にスゴイお方だ。

ポイント3.ブルジョワの特性を否定し続ける水崎氏

さて、本作においてクリシェ破りな存在が水崎氏だ。ブルジョワ家庭出身の読者モデルこと水崎ツバメの存在だ。学園を舞台にした漫画には、ライバルないし味方サイドにブルジョワ出身のキャラクターが登場する『遊☆戯☆王』における海馬瀬人や『けいおん!』における琴吹紬などが該当する。これらのキャラクターの役割は、隙あれば財力で物事を解決する役割だ。琴吹紬の場合、平沢唯がギターを買おうとするも値段の高さに怖気付いてしまっているところにブルジョワの圧をかけて彼女の悩みを解決してしまう。海馬瀬人の場合は、財力をフル活用し、決闘するためならヘリコプターやジェット機で駆けつけ、更にはデュエルディスクというおもちゃを所有しない者に住民票を与えない世の中を作ってしまう。

話を戻そう。水崎氏の場合、家は豪邸で美貌とカリスマ性で人気読者モデルという不動の地を築き上げている。しかし、彼女はその特性を自ら行使することはしない。彼女の名声を使うのは、あくまで金森氏であり、それも彼女の金銭的特性は避けて活用するのだ。彼女はアニメーターとして美しき世界を見るために、庶民である浅草氏と同じ土俵に立って切磋琢磨するのです。そして彼女の会話にも話が進めば進むほど、ブルジョワ階級特有の無意識なマウントすら入らなくなる。浅草氏がお年玉全て注ぎ込んで買った軍用リュックに対して、「10万くらい?」と訊くようなこともなくなります。

このように、ブルジョワキャラのクリシェを破壊し、アニメを描くことだけに集中させることで、実力勝負な世界を強調することに成功しています。

ポイント4.浅草氏のスイッチが入るとき、すなわちアニメの可能性を信じた先を見るとき

さて、引っ込み思案だが、アイデアが洪水のように溢れ出すヒロイン浅草みどりについて語ろう。彼女のアイデアの洪水っぷりがあってこそ映像研は成り立ちます。彼女が一度口を開けば、マシンガンのように緻密に描写が語られていく。そのきめ細かさから、「無重力下でもラーメンを啜れる重力制御どんぶり」たる代物も説得力を帯びています。何故ならば、値段「79,800円」といったところまでリアルに定義されているからだ。その彼女の爆発は、一人だけなら脳裏の世界で完結していたのだが、水崎氏と金森氏のアシストによって外へと出ていく。そして完成したアニメが持つ迫力とやらを、現実をぶっ壊してしまう、侵食してしまう比喩的表現で描いていく。漫画は静的なので、フレームの垣根を超えてみたり細かく同じ描写を反復させたりして動きを魅せていくのだが、アニメでは湯浅監督のヌルヌル人間離れした動きによって生が与えられ、より一層、傑作を観てしまった時の感動を追体験することができる。

特に最終回の修羅場修羅場を掻い潜り辿り着いたUFOアニメの解放感は、ハンカチなくして観ることのできない代物となっている。

これこそ本作がクリエイター讃歌な所以であろう。

ポイント5.全クリエイターに捧ぐやりがい搾取からの卒業

さて、大童澄瞳は漫画の中で力強くやりがい搾取に関して批判している。

それこそ、お金をもらわなくてもいいから自由に好きなものを描きたいとのほほんとしている浅草氏、水崎氏に対して「仕事に責任を持つために、金を受け取るんだ!」と言い、常に工数と予算のことが劇中で語られていることからも解る通り、好きなことこそリソースを無駄にはしてはいけないという大童澄瞳の精神が全編に行き渡っている。そしてその矛先は学校社会にも向けられており、「学校経済は『奉仕』やら『賢者の予算』の上に成り立っとる為!あらゆる単価が低く!儲けは少ないのである!」と宣言し、学校サイドとの激しい議論の場では、金儲け=悪の方程式で抑え込もうとする教育現場に物申している。

結局、こういった精神論は、論理的思想の敗北であり、重労働低賃金なブラック社会を生み出すだけに過ぎないと語っているのです。

その上で、対価を意識したビジネスを行い、妥協はあれども限られたリソースの中で最高のモノを作ろうとするプロセスの美しさを啓蒙する。これ程までに熱量のあるビジネス哲学を突きつけられると、クリエイターは燃えないわけがなかろう。

最後に

行間が異様に広く、中身が薄っぺらい本を何十冊も読むよりも余程『映像研には手を出すな!』を読んだり、観たりした方が人生の役に立ちそうです。さて4月からドラマ版が放送され、5月には映画版が公開される。こんな異常なモノを魅せられた後に果たして傑作は生まれるのであろうか?単なる乃木坂ファンムービーの域に留まってしまっては勿体無い作品であるだけに不安が残る。しかし、青春キラキラ映画の中では群を抜いていると個人的に評価している英勉監督だけに若干の期待はある。

果たして吉と出るか、それとも凶と出るか?

chelmicoの『Easy Breezy』を聴きながら楽しみにするとしよう。

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