【ネタバレ考察】『薔薇の葬列』世にも奇妙な淀川長治の使い方

薔薇の葬列(1969)

監督:松本俊夫
出演:池畑慎之介(ピーター)、土屋嘉男、小笠原修、東恵美子

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

先日、早稲田松竹で松本俊夫2本立てが開催されていたので行ってきました。松本俊夫といえば、映像化不可能と言われた『ドグラ・マグラ』を実写化させた人物です。寺山修司と並ぶ日本の実験監督の巨匠で、長編劇映画はたった4本ながらも国際的にカルト的人気を博してています。今回観た『薔薇の葬列』はフランスで2019年2月に上映されており、カイエ・デュ・シネマは「オイディプス神話と日本のアングラパノラマを混ぜ合わせた『薔薇の葬列』は、狂気の妙技ポップコメディ、ドキュメンタリー、実験的な爆発が交差します。」と満点評価を下しています(無論、評価者が日本アングラ映画研究家のStéphane du Mesnildotだから当然っちゃ当然なのだが)。そんなカルト映画の世界に飛び込んでみました。

本作は、視覚的インパクトが強い作品かつ旧作なので、ネタバレも何もないのですが、詳細まで書いてしまっているので、一応ネタバレ注意!

『薔薇の葬列』あらすじ


前衛的なドキュメンタリー作品で知られる松本俊夫が、脚本・監督を務めた初の長編劇映画。オイディプス王の悲劇をモチーフに、前衛的かつ実験的な作品に仕上がっている。スタンリー・キューブリックに影響を与えたという逸話もある。  ゲイバーのジュネで働くエディは、オーナーの権田と関係を持った。エディは権田から「ママのレダを辞めさせる」「お前がママだ」とささやかれ、自分の母親を思い出していた。女手一つで自分を育ててくれた母親の情事を見てしまったエディは、発作的に母親を殺してしまったのだった。エディとレダの関係は悪化、レダの顔を傷つけようとして失敗したレダは、権田に捨てられ自殺してしまう。エディはママの座を得て喜ぶが、権田は自分とエディの本当の関係を知り…。
Yahoo!映画より引用

世にも奇妙な淀川長治の使い方

男が、女の言葉に応じて己のマッチョさをアピールする。片手で椅子を持ち上げたりする。フレームの外側からくる言葉は、どんな人物が発しているのだろうか?妙な好奇心が映画から漂ってきます。パゾリーニの『アポロンの地獄』のポスターを背に男と女が語るところからも分かる通り、本作は『オイディプス王』を下敷きにしている。オイディプス王をゲイバーのオーナーに仕立て、自分の投げた矢がブーメランのように自分に返ってくる様子が描かれるのだが、基本的には映像的面白さを追い求めている。

突然、街中でガスマスクをつけた男たちの行進が始まる。寺山修司が1975年に、阿佐ヶ谷の街全体を舞台にしたゲリラ演劇『ノック』を行なったが、松本俊夫も街中で突然バトルを勃発させたりと過激なゲリラ演劇を展開し、その断片を映画に組み込んでいくのだ。

そして、白い肌を異常に白飛びした空間で提示することで、大地のように見せたりと、観ていて面白い演出がつるべ打ちとなっている。

きわめつけは、『オイディプス王』の再現として、自らの目を破壊する場面が描かれると、突然画面は切り替わり、淀川長治さんが登場してこう語るのです。

「いやー怖かったですね。それでは、さよなら、さよなら、さよなら」

なんたるジョークなんだ!淀川長治といえば、20世紀最強の映画解説者である。まさか、彼もこんな形で出演するとは思ってもいなかっただろう。前衛映画的一発芸として、今年一番爆笑しました。

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