【MUBI】『NOW SHOWING』フィリピンに眠る鬼才が語る5時間の映像文化史

NOW SHOWING(2008)

監督:ラヤ・マーティン
出演:Ness Roque, Adriana Agcaoili, Via Antonio etc

評価:75点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

ここ数年、SNSや動画配信サイトの充実により、アフリカやアジアに眠る未知なる監督作品と接触しやすくなった。また、日本ではここ10年の間に東南アジア映画を観るチャンスが劇的に増えてきたと思う。一昔前なら、ラヴ・ディアスやアピチャートポン・ウィーラセータクンの作品なんか公開されなかったであろう。今やニューヨーク大学卒のベトナム人監督アッシュ・メイフェアが撮ったアート映画が普通に渋谷で公開され、ヤスミン・アフマド特集が盛り上がる。なんていい時代になったのだろうか。ただ、それでも日本では紹介されていない超絶技巧の監督がいる。今回、ブンブンはラヴ・ディアス、ブリランテ・メンドーサと並ぶフィリピンの鬼才ラヤ・マーティンを紹介したい。

彼の作品は2005年に山形国際ドキュメンタリー映画際で『果ての島』が、2015年にアテネフランセの『完全消滅の方法』、2018年福岡国際映画祭で『影の内側』が上映されたくらいと非常に限定された場所でしか観られていない。しかし、『A Short Film About the Indio Nacional』は2008年のカイエ・デュ・シネマ年間ベスト第9位に選出されている功績を持っています。

彼は1984年にフィリピンで生まれました。20代の頃から短編映画を撮っていき、Berlinale Talent Campusにも参加しました。そんな彼が注目されるきっかけとなった作品が2008年の『NOW SHOWING』。4時間40分という長尺の中で、ホームビデオ形式で物語を紡いだり、中盤ではフィリピンのサイレント映画を引用したりする独特な演出が話題となりました。フィリピンのアメリカ占領時代を舞台にした『INDEPENDENCIA』、『マニラ・光る爪』のリノ・ブロッカにオマージュを捧げた『Manila』がカンヌ国際映画祭に出品され、フィリピン本国でも名誉あるアーティストとして讃えられました。そんな彼の映画の特徴はサイレント映画寄りのサンプリングにあります。サイレント映画寄りのサンプリングといえば、ガイ・マディンの顔を思い浮かべますが、ラヤ・マーティンのサンプリングはどちらかといえば考古学的な、朽ちた映像を朽ちたまま引用するイメージが強い。そして、白黒の映像や空間による観るものを引き込む力はラヴ・ディアスに近いものを感じます(余談ですが、『Manila』にはラヴ・ディアスも出演しています)。

さて、今回MUBIに彼の重要作品『NOW SHOWING』がアップされていたので観てみました。

『NOW SHOWING』あらすじ


Rita is named after a famous American movie star whom her late, former actress grandmother once adored. She lives in one of Manila’s oldest districts with her mother and aunt. Years later, she is still the same girl enamoured with television, now tending to her aunt’s stall selling pirated DVDs.
訳:リタは、かつての女優の祖母がかつて愛していた有名なアメリカの映画スターにちなんで名付けられました。彼女はマニラで最も古い地区の1つに母親と叔母と住んでいます。数年後、彼女はまだテレビに夢中になっているのと同じ女の子であり、今ではおばさんが海賊版DVDを売っている傾向があります。
mubiより引用

フィリピンに眠る鬼才が語る5時間の映像文化史

極端にゆっくりと進むストップモーションによるオープニング、そして20年前のホームビデオを観ているような画質に驚愕した。暗くよく見えない画面を覗き込む。すると、おかっぱ頭の少女リタの日常が見えてくる。しかし、奇妙なことに彼女が歌っている場面では全く音が流れないのだ。それどころか、このザラザラとしたホームビデオは自体、音が少なく、ビデオの機械音が観客の耳に響くばかりだ。これが4時間も続くのかと思うと絶望する。しかし、中盤でいきなり映画は太古昔、誰も知らないようなフィリピンのサイレント映画が延々と流れる。そしてまた、突然、フィリピンの井戸端会議が映されていく。そして映像は若干鮮明になり、海賊版DVD屋での会話が映し出されていく。

これらの断片を通じてラヤ・マーティンは映像とフィリピン人の関係性を考察しようとしているように見えます。映像は、かつて大きな機械で技術を有した人が撮っていたものが、ビデオカメラやスマートフォンの登場で誰でも手軽に映像を撮ることができるようになった。何気なく撮られたホームビデオは映像アーカイブとしての一面を持つようになった。丁度、太古昔の映画を掘り起こすように、昔撮ったホームビデオを鑑賞する。昔の映画を発掘することと、昔撮ったホームビデオを観ることは同じ行為なのではと監督はこのモザイクで語ろうとしているのです。

そして舞台は海賊版DVDショップへと映り、海賊版DVDと人々の何気ない会話に消費されていく映像の侘しさと、人々の頭の片隅にある映像の記憶を結びつけていく。そして、長い長い、燻んだ世界をリタと共に彷徨ううちに美しい世界へと足を踏み入れる。本作は、まさしく時間旅行のプロセスを味わせてくれる代物と言えよう。

PAST SHOWINGからNOW SHOWINGへと駆け上がっていくその奇妙な道中に監督のただならない才能を感じました。

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