レト(2018)
LETO
監督:キリル・セレブレンニコフ
出演:イリーナ・ストラシェンバウ、ユ・テオ、Roman Bilyk etc
評価:95点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
先日、ユニークなロシアの青春音楽映画を観ました。『LETO』はロシアの鬼才キリル・セレブレンニコフ(あるいはキリル・セレブレニコフ)が第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品した作品です。第71回カンヌ国際映画祭は波乱でありました。Netflix締め出し問題に始まり、審査員長であるケイト・ブランシェットを含む女性映画関係者による大々的な#MeToo運動、イランの巨匠ジャファル・パナヒ監督の解かれぬ自宅軟禁による欠席。その陰にすっかり隠れてしまったが、キリル・セレブレンニコフもまたロシア政府によって自宅軟禁を強いられ本祭に出席できなかった一人だ。
キリル・セレブレンニコフ監督は、1969年にロシア南部のロストフ・ナ・ドヌ市に生まれました。1969年といえばカウンター・カルチャーの記念碑であるウッドストック・フェスティバルが夏にあり、冬にはオルタモントの悲劇が起きてしまった文化史において伝説的な年です。元々、映画スターになることを夢見ていたのですが、家族や先生からは医者か科学者になるよう言われました。仕方なく、大学では物理学を専攻した。しかし、裏では演劇に傾倒し、ロストフにある劇場で12の演劇を上映することに成功します。その後、彼は医者や科学者になることはなかった。テレビ業界に進出した彼は、次々とコマーシャルを打ち立てました。そして、アレクサンドル・プーシキンの『小劇場』を大胆にアレンジしてみせた公演は批評家の賛否を二分にしたものの、地元の演劇祭で賞を受賞しました。
そんな『LETO』についてネタバレありで考察していく。
尚、配給はついているようなのでそのうち日本公開されます。
※【ネタバレなし】『LETO』Кино в кино(銀幕のキノー)
『LETO』あらすじ
Leningrad. Un été du début des années 80. En amont de la Perestroïka, les disques de Lou Reed et de David Bowie s’échangent en contrebande, et une scène rock émerge. Mike et sa femme la belle Natacha rencontrent le jeune Viktor Tsoï. Entourés d’une nouvelle génération de musiciens, ils vont changer le cours du rock’n’roll en Union Soviétique.
訳:レニングラード。80周年記念の夏。ペレストロイカの歴史、ルーリードとデヴィッドボウイの変遷、そしてロックシーンの誕生。
※AlloCineより引用
アンダーグラウンドを描くのであれば映画もアングラでなくては!
本作はロックバンドの伝記映画でありながら、変わった作りをしている。リード・ヴォーカルであるヴィクトル・ツォイは確かに朝鮮系カザフ人とロシア人のハーフではあるが、そんな彼を演じたのは『殺されたミンジュ』のユ・テオ。ドイツ・ケルン生まれの韓国人俳優だ。しかも彼に全く似ていないのです。これは序の口である。驚いたことにキノーの伝記映画にも拘らず、このバンドの楽曲をほとんど使用していないのです。トーキング・ヘッズの「Psycho Killer」等の曲に物語を託してしまうのです。そしてミュージカルにも近い、これらの曲が流れる場面では、画面を落書きが支配する。白黒映画にも拘らず赤い玉が画面を飛び交う、その落書きは画面をはみ出して描かれる。ライブのシーンとなれば、二画面に分割された色彩を持った景色が臨場感を盛り上げていく。
バスでヴィクトルが恋人ナタリアと人海に飲み込まれて離れ離れになる様をイギー・ポップの「The Passenger」が彩る。乗客は歌詞を口から吐き出し、眼前には宇宙が散乱している。彼がなんとか彼女を救い出すと、反対側からチャリンコに乗ったおじさんがやってきて、観客に向かって語りかけてくるのです。
僕はお荷物さ 旅を続けるのさ 郊外を避けるようにね
そして星々が燃え上がるのを眺めるのさ
仮に夜空が清らかだったら、明るいかったら、美しかったらね
あんたらはアメリカのイギー・ポップを聴くだろう
The Passengerという歌をね
残念ながらこれは存在しないのさ
後にみんな好きになるのさ
この時代のソ連にイギー・ポップなんてきていないことを皮肉交じりにわざわざ第四の壁を破って語ってみせるのです。
映画はさらに前衛さを極めていき、キノーのメンバーは突然ビートルズやザ・フーのジャケットのモノマネをし始めたり、画面は輝ける青春の1ページを捉えつつ横で歌詞がひたすら綴られていく。「だめだ、だめだ、だめだ、子どもを騙す必要なんてない」などといった歌詞が、アルファベット、キリル文字入り乱れて殴り綴られていく。
監督の魔法により生み出された混沌の渦は観客を吸い込んでいくのです。
キリル・セレブレンニコフ監督は、単にスーパースターの映画を撮ろうとしていたのではない。黒人の音楽だと思われてきたロックン・ロールに白人のエルヴィス・プレスリーが乗り込み、ロックの歴史という道を創り出したように、社会に立ち並ぶ壁をこの映画で壊してみせたのだ。アングラロックの映画たるものアングラであれと言わんばかりに、音楽青春映画という型をグチュグチャに掻き乱し、観るものに得体の知れない驚きを与えたのです。今やロックがファッションだけのものとなってしまったかのように見えるものに対して、社会へのカウンターをこの映画で魅せつけた。
いつの時代だってあの夏は美しい
ただ、こうもアヴァンギャルドな作風となっているにも拘らず、自然と郷愁を感じる。遠く離れたソ連の、普段接さない時代の、バンドの映画なのに懐かしさを覚えるのはなぜだろうか?
それは、ヴィクトル・ツォイの成長譚に輝ける青春の甘酸っぱさを感じるからだろう。彼が、浜辺でワイワイ楽しんでいる音楽グループに入り込む際の初々しさ。彼が、カリスマロック歌手マイク・ナウメンコの側を這い蹲り、肝心なショーで彼の助けなしに会場を盛り上げることのできなかったことに辛酸を舐める。そんな彼が最後の最後でステージを湧かせる。そこで、彼やメンバーの生きた年が画面に提示され、もう彼はいないという事実に切なさを覚える。音楽青春劇ないし輝ける青春の果てを描いた作品の軸を固めることで、前衛的な演出とは裏腹に我々が何かを求めて頑張っていたあの頃の青春を想起させ懐かしさから涙をするのです。
音楽と青春
音楽と反抗
音楽と青春
音楽とアート
普遍的なマリアージュを描くためにたまたまキノーの仮面をつけただけに過ぎないのです。
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