『ひろしま』怖い!でも学校で魅せなくてはいけない映画

ひろしま(1953)
Hiroshima

監督:関川秀雄
出演:山田五十鈴、岡田英次、加藤嘉etc

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

映画の世界は広い、それだけに10年以上映画に向き合って尚、タイトルすら知らない映画が存在する。そういった作品と出会えた時、最高の興奮がブンブンを包みます。『ひろしま』という作品を知ったのは、つい一週間前。父親が「NHKで『ひろしま』という凄い作品がやるらしいよ」と言いそれによってブンブンは『ひろしま』と邂逅した。そして観てみたのですが、これが凄かった。確かに惨いシーンが多く、キツイところも多いのですが、広島の原爆資料館に被爆再現人形が展示されなくなった今こそ子どもたちに観て欲しい作品だと感じました。

『ひろしま』あらすじ


広島A高校三年、北川の担任するクラスで原爆当時のラジオ物語を聞いていた大庭みち子は、突然恐怖に失心した。原爆の白血病によって前から身体の変調を来していたのだ。クラスの三分の一を占める被爆者達にとって、忘れる事の出来ない息づまる様な思い出だった。それなのに今広島では、平和記念館の影は薄れ、街々に軍艦マーチは高鳴っている。あの日みち子の姉の町子は警報が解除され疎開作業の最中に、米原先生始め級の女学生達と一緒にやられたのだ。みち子は爆風で吹き飛ばされた。弟の明男も黒焦げになった。今はぐれてしまった遠藤幸夫の父秀雄は、妻よし子が梁の下敷で焼死ぬのをどうする事も出来なかった。陸軍病院に収容された負傷者には手当の施しようもなく狂人は続出し、死体は黒山の如くそこここに転りさながら生き地獄だった。しかし軍部は仁科博士らの進言を認めようとせず、ひたすら聖戦完遂を煽るのだった。その戦争も終ったが、悲惨な被爆者にとって今更降伏が何になるのか。広島には七十年間生物は住めないと云う。病院の庭に蒔かれた大根の芽が出るまでは、人々はそれを信ぜずにはいられなかった。疎開先から引き返してきた幸夫と洋子の兄妹は、病院の父に会いにいったが、そのひどい形相にどうしても父と思う事が出来なかった。父は死に広島には七回目の八月六日が廻ってきたのに、幸夫はその間浮浪児収容所、伯父の家と転々して次第に荒んでゆき、遂には浮浪児を使って掘り出した死体の頭骸骨を、原爆の記念に米人に売ろうとさえした。みち子は河野達級友に見守られながら死んだ。北川に連れられて警察を出てきた幸夫を、今また河野達は「明日は僕らの手で」の合唱で元気づけるのだった。
映画.comより引用

広島原爆投下後10年以内に作られたからこその生々しさ

原爆投下を直接扱った作品としては、本作より1年早く完成した新藤兼人監督作『原爆の子』が有名で、あの圧倒的な原爆によって吹き飛ばされる広島の景色は観るものを震えさせるものがある。しかしながら、『ひろしま』は『原爆の子』でできなかったあの時、あの時間の広島をアーカイブすることに特化しており、業火や病に苦しむ市井、そして楽観的な有識者を紡ぎ出す。これはある意味、東日本大震災から10年に向けて風化しつつある今にも釘を刺すものとなっている。

医者や学者はこういう。「海外の先生が診てくれているから大丈夫だ。」「放射能は生活に影響ないレベルだ。」「大根を埋めてみた。これで生えたら大丈夫。」とまともなエビデンス無くして、伝聞や一見説得力をもった所見だけで人々を落ち着けようとする。それと退避するように、業火と廃墟の渦に燃やされていきドロドロぐちゃぐちゃになった市民の慟哭が響き渡る。過去の惨事を忘れたいがための楽観視は良くない。特に学者がそれをやってはダメだ。もし、市民を安心させたいがためにそれをやっているのであれば、それは悪になりうるアクションである。そういうことが厭でもわかるのです。

子どもたちは逞しく生きようとする。英語なんてよく分からないが、兄貴的ポジションのガキ大将は子分に「ハングリーというんだ。そうすれば米軍が何かくれるはず。」という。ちびっ子は「んぐり〜? アングリー?」と言葉を反芻し、やがて「ハングリー」と言えるようになる。このANGRYとHUNGRYを併せた怒りと悲しみと将来へのメッセージを託したシーンに涙が出てきます。

正直、関川秀雄監督のことは全く知らなかった。しかし、彼は『混血児』や『国鉄 21世紀をめざして』等見応えある作品を多数制作していたとのこと。なかなか彼の作品を観る機会はありませんが、頭の片隅に入れておこう。

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