【杉田協士研究】『河の恋人』、『遠くの水』、『ひかりの歌』から見る写真の働き

ひかりの歌(2017)

監督:杉田協士
出演:北村美岬、伊東茄那、笠島智、並木愛枝etc

評価:70点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

先日、東京都写真美術館で開催された杉田協士監督特集に行ってきました。東京国際映画祭で上映され、今年一般公開された『ひかりの歌』と貴重な彼の過去作品に触れられるイベントでした。予告編を観ると、市川準の映画のようなゆったりとした時間の流れが漂っていた。そして実際に今回、『河の恋人』、『遠くの水』、『ひかりの歌』の3本を観たのだがゆったりとした時間の流れにそれぞれ違った《撮る》の形がありました。今回は『ひかりの歌』を軸に、杉田協士の撮るの変遷について語っていこうと思う。ただ、杉田監督のトークショーで写真の描写に関しては特に意識していなかったとのことなのでブンブン独自の考察となっています。

『ひかりの歌』あらすじ


「ひとつの歌」を手がけた杉田協士監督が、歌人の枡野浩一とともに映画化を前提に開催した「光」をテーマにした短歌コンテストを企画し、1200首の応募作の中から選ばれた4首の短歌をベースに、全4章構成の長編作品として映画化。高校で美術講師をしている詩織、ガソリンスタンドでアルバイトをする今日子、バンドでボーカルとして活動する雪子、写真館で働く幸子。都内近郊でそれぞれの生活を送る4人。旅に出てしまう同僚、閉店を目前に控えたガソリンスタンドの仲間、他界した父、長い年月行方がわからない夫……誰かを思う気持ちを抱えながら、それを伝えることができずに毎日を過ごす彼女たちが次の新たな一歩を静かに踏みだしていく。2017年・第30回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ」部門上映作品。
映画.comより引用

過去、そして未来双方を繋ぐ歌

『ひかりの歌』について語る前に、鏡のような関係性となっている『河の恋人』と『遠くの水』について語ろう。端的にいえば、『河の恋人』は《過去》の映画であるのに対し、『遠くの水』は《未来》の映画だ。前者は、父が失踪し喪失感が癒えぬまま、街を去ることとなった娘の1日を描いた作品だ。友人には恵まれ、演劇部の仲間からは別れを惜しまれるある種幸福な存在である彼女ではあるが、母とは溝があり、自分の内面には分厚い壁があるため、その中に封印した気持ちを押し出すことができない。誰かに吐いてしまおうかと悩むが、それをしたらどうなってしまうんだろうという不安な心を、主演の表桐子の振る舞いと表情で魅せてくる。言葉にできない感情を捉えた肖像画のような作品だ。彼女が気持ちを内面にアーカイブし、外へと出さない様を写真というアイテムで象徴させている。こういった喪失の映画では、幸せだったあの日をフラッシュバックで描き、写真を撮るというのが定石だが、ここでは置いてある写真にクローズアップするだけに留まっている。《過去》を描く映画になっているのだ。

一方、杉田協士監督が『カメラを止めるな!』でおなじみENBUゼミナールで制作した作品『遠くの水』はその正反対をいく。驚いたことに、ゼミ生の特技を全て乱雑に取り入れただけという闇鍋である本作は、唐突に耳かきをしたり、ブレイクダンスをしたり、歩きながら目薬、クロールするのを並べただけの作品で、脚本もなく、無軌道に折り重なる物語であったが、監督は無意識に写真というものを違った角度から捉え、それが美しく観客の琴線へと不時着した。

本作は、写真を撮るという描写がある。家の中で記念写真を撮ったり、街で「すみません、撮ってください」と見知らぬ人に声をかけたり。ただ、映画は撮られた写真そのものは映さない。しかも、写真を撮るという行為が物語にどのような変化をもたらすのかすら描いていない。これは、写真を観るまでどうなるのかわからない。結果はデータが知っている、しかしそれがブレた失敗写真なのか、美しい成功写真なのかはシュレディンガーの猫のように誰かが見て初めて確定するのだ。その誰かを観客の想像の世界に委ねるのだ。詰まる所、杉田監督は写真というアイテムを使って《未来》を描いているのだ。

それを踏まえて『ひかりの歌』を観る。3話目と4話目にこれまた写真が登場する。3話目は撮られた写真と、カメラを組み直す店員が映る。4話目は撮る、撮られるの関係がはっきりと描写される。短歌コンクールで入選した作品を杉田監督が自由に映像化しまとめた本作は、それぞれ制作時期も違うし、3話目に関しては短歌と物語が全くリンクしない奇妙な現象が起きている。なんだけれどもどの話も、未来に羽ばたく瞬間を描いている。1話目は今年いっぱいで退職する占いが趣味の美術教師が美術部や野球部の生徒との対話を通じて羽ばたく心構えをする話、2話目ではもうすぐガソリンスタンドのバイトをやめる少女が最後の時間に切なさを感じていく物語だ。3話目は、見つかった北海道の写真を受け取りにカメラ屋にはるばる訪れる話で、4話目はとある事情を抱えたカップルが一歩踏み出すまでの軌跡を描いている。全て《過去》と向き合った上で一歩先の《未来》を踏み出すその瞬間を着地点としている。まさしく『河の恋人』と『遠くの水』でやったことを併せた杉田監督の集大成となっているのだ。それを、情報過多、万物が秒単位で駆け抜けていく世界においてじっくりじっくり、ゆっくりゆっくりと煮詰めていく杉田監督の技量に感銘を受けました。

次回作は未定とのことですが、また無意識に生み出される写真の美学を観てみたいと思いました。

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