バリエラ(1966)
Barrier
監督:イエジー・スコリモフスキ
出演:ヨアンナ・シュチェルビツ、ヤン・ノヴィツキ、タデウシュ・ウォムニツキetc
評価:80点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
『アベンジャーズ』でブラック・ウィドウを拷問する役ゲオルギー・ルチコフでも有名なスコリモフスキがカルト映画『早春』を撮る前に手がけた超難解映画。1968年のカイエ・デュ・シネマベストテンにて7位に輝いた作品だけに警戒していたのですが、意を決して挑戦してみました。そうしたら、『不思議の国のアリス』を構造面から踏襲したなかなか面白い作品でありました。
カイエ・デュ・シネマ ベストテン1968年結果
1.アンナ・マグダレーナ・バッハの日記(ジャン=マリー・ストローブ、ダニエル・ユイレ)
2.革命前夜(ベルナルド・ベルトルッチ)
3.エッジ(ロバート・クレイマー)
4.悪魔の耳飾り(フェデリコ・フェリーニ)
5.Don’t Let It Kill You(ジーン・ピア・ルフェーブル)
6.Le Regne De Jour(ピエール・ペロー)
7.バリエラ(イエジー・スコリモフスキ)
8.夜霧の恋人たち(フランソワ・トリュフォー)
9.旋風の中に馬を進めろ(モンテ・ヘルマン)
10.黒衣の花嫁(フランソワ・トリュフォー)
10.Les contrebandières(リュック・ムレ)
鑑賞難易度高い作品ばかりでクラクラしますねw
『バリエラ』あらすじ
ポーランドの名匠イエジー・スコリモフスキ監督が1966年に手がけた長編第3作。戦後ポーランド社会における世代間の障壁(バリエラ)を、詩的かつ超現実的な映像で描き出す。とある大学の寮で、男子学生たちが奇妙なゲームに興じている。ゲームに勝利して賞金を手にした学生は、新たな生き方を見出すべく旅に出る。やがて彼は、路面電車の運転士をしている若い女性と出会い、一緒に行動するようになるが……。2009年・第22回東京国際映画祭「WORLD CINEMA」部門で上映。
※映画.comより引用
『不思議の国のアリス』の構造から考える『バリエラ』
本作は非常に難解だ。まるでデヴィッド・リンチの『インランド・エンパイア』を観ているかのように、乱雑に散りばめられたシュルレアリズムなシーンの連続がこの映画の全体像を捉えるのを阻む。DVD付属の解説を読まないとわからないところが多く、スターリン主義に対する反発が落ち着いた1957~1963年、政府に飼いならされすっかりおとなしくなってしまったポーランド国民に対する問題提起をこの映画に投げかけていると言われても、ヴェラ・ヒティロヴァ監督『ひなぎく』同様、「2010年代の日本人が観て、それを理解するのは酷だぞ」と思ってしまう。だから、ヴィジュアル的面白さを楽しむのが吉と言えよう。ただし、映画の中の暗号を読み解くのを諦めた上でこの映画を観ても奥深い、非常に鋭い表現を感じ取ることができます。それは、『不思議の国のアリス』の本質を捉えているというところにあります。『不思議の国のアリス』はよくシュールな難解映画を紹介する記号として使われます。デヴィッド・リンチの『インランド・エンパイア』も公開時に、『不思議の国のアリス』だと言っている人を多数見かけました。ただ、よく引き合いに出される『不思議の国のアリス』ですが、構造面でしっかり踏襲した作品はなかなかありません。良い悪いは別として、どれも表面的にしか踏襲されていないし、そもそも『不思議の国のアリス』だと言い張る人が、映画の表層部だけを観てラベリングしてしまう傾向が強い。
ただ『バリエラ』は、真の意味で『不思議の国のアリス』だと言えます。
『不思議の国のアリス』は、夢の世界という奥行きのある空間で起こる幻影奇譚です。何が起こるか分からない。無限に広がる不思議の国が舞台にも関わらず、読者はアリスから窮屈さを感じるのです。アリスは、巨大化、縮小化を繰り返し、なかなかその空間にそぐわない大きさに悩まされます。家から出られないほど巨大化してしまったり、机よりも小さくなり鍵が取れなくなったりします。また、会話も噛み合わず、お茶会では指を咥えて事の次第を見守るしかできない。さらに、いつの間にか裁判で当事者として何かを語らないといけない。『不思議の国のアリス』はルイス・キャロルというクレイジーなロリコンが、知人の少女に贈ったテロに近いポルノではあるのだが、幼少期に感じる自由のようで家族や社会というフレームに縛られ、自由にできない窮屈さを十二分に描いています。
『バリエラ』では、この窮屈さというのをしっかり捉えた上でシュールな展開を次々と展開しているから、『不思議の国のアリス』だと言えるのです。
いきなり、縄に縛られた状態で学生がマッチ箱を咥えるゲームをしているところから始まる。一人の学生が勝利し、金を手にするのだが、誰一人縄を解いてくれない。金と自由を得た彼は街を走るのだが、周りの群衆も彼の影のように走る。いく先々で群衆は彼を見張る。サーベルを手に入れるのだが、持て余しているようで、暇をつぶすために吸う煙草は火をつけた途端爆発する。広い空間に「死ぬんじゃない!」とカードをおいて見せたり、壁をよじ登ったりするのだが、常に誰かに観られているような息苦しさがある。自由なようで、得体の知れないフレームに押し込まれているような窮屈さが全編に漂っているのです。
『バリエラ』とはそもそも、ポーランド語で《障害》を意味します。
主人公は、学校や家族から解き放たれ自由を得たにも関わらず無数の障害。アリスが小さな扉から美しい《不思議の国》を見て、そこへ行きたいと巨大な体を押し込んでみようとするような、目と鼻の先にある自由が障害に阻まれてなかなか自由になれないもどかしさというのを本作で描いているといえよう。
スコリモフスキ監督のギラギラしたシュールさがたまらない一本でした。
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