【ネタバレ】『麻雀放浪記2020』カルト映画は狙ってなれるもんではない!

麻雀放浪記2020(2019)

監督:白石和彌
出演:斎藤工、もも(チャラン・ポ・ランタン)、ベッキー、的場浩司、岡崎体育、ピエール瀧、舛添要一etc

評価:50点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

公開前から騒動に見舞われに見舞われた作品『麻雀放浪記2020』がついに公開されました。本作は、マカオ国際映画祭出品中止になりました。その理由を当時「セックス&バイオレンスによる表現の過剰さ、そして設定となっている世界大戦が起きて東京オリンピック2020が中止になったというシニカルな背景設定など、その過激で反逆的なシーンが多い、との理由により急遽出品が中止という判断が映画祭側から成された」として宣伝のための武勇伝として組み込んでいたのですが、これが東映側の思い込みによるものだとして謝罪にいたりました。また、ピエール瀧が麻薬使用で逮捕される事件が発生し、本当に上映中止の危機に瀕しました。しかしながら、何とか公開にいたりました。そんな問題作を観て来ました。

※結末に触れているネタバレ記事です

『麻雀放浪記2020』あらすじ


1984年に和田誠監督で映画化された阿佐田哲也のベストセラー小説「麻雀放浪記」を、主人公が1945年から2020年にタイムスリップするという大胆なアレンジを加え、斎藤工主演&白石和彌監督で再映画化。新たな世界大戦の勃発により、東京オリンピックが中止となった2020年の東京。人口は大幅に減少し、AIに労働が取って代わられた結果、失業者と老人が街にあふれていた。そんな荒廃した東京に、坊や哲が1945年の戦後復興期の時代からタイムスリップしてやってくる。坊や哲が目にしたのは75年の時を経た、驚がくの世界だった。坊や哲は思わぬ状況で立ちはだかるゲーム「麻雀」で死闘を繰り広げていくが……。斎藤が主人公・坊や哲を演じるほか、竹中直人、もも(チャラン・ポ・ランタン)、ベッキー、的場浩司、岡崎体育、堀内正美、小松政夫らが顔をそろえる。

炎上商法に味をしめた日本映画の問題点の塊

ここ最近、メタギャグ、社会風刺を売りにした映像コンテンツが多数作られている。福田雄一監督の作品群はもちろん、『ポプテピピック』、『魔法少女 俺』や『翔んで埼玉』など枚挙にいとまがない。そんな最中登場した『麻雀放浪記2020』は、そういった日本の風潮の《悪い》部分を凝縮したような作品でした。『バイス』のように社会風刺に特化したアメリカ映画がある中で、日本でもこういった社会風刺が出てくることは本当に嬉しいことだ。映像コンテンツで社会に問題提起をしようとするのはいいことだと思う。しかしながら、「社会風刺やっている俺らってイカすでしょ」と高慢になった途端、これらの作品は寒いものとなってしまう。
本作は、炎上商法的過激な宣伝、そして最初から『幻の湖』、『北京原人 Who are you?』といったカルト映画を目指しているところから嫌な予感はしていたのですが、それは的中してしまいました。

いきなり現代にタイムスリップして来た博打打ち・坊や哲。斎藤工演じる坊や哲はやっすい演技で、「ここはどこ…?」といい、来年迎えるであろう世界とは程遠い2020年の街を闊歩する。いきなりZ級映画、それも「Z級映画やっていますよ」アピールが鼻につきます。竹中直人のおなら芸も、非人間としか感じないメイド麻雀打ちドテ子といったキャラクター像も物語から浮いている。まるで、糊付けしていないコラージュ写真のように、すぐにバラバラ要素が飛び散ってしまう。半世紀後の未来にやって来てしまったことへの驚き描写も、麻雀卓がデジタルになっていることに「うぁ!」と驚く程度の陳腐さである。そして社会風刺として、東京五輪がなくなった世界を描き、政治家の舛添要一まで登場する。しかしながら、これらが物語の必要性を感じない。ただ、要素を置いているだけに過ぎないのです。警察官がマイナンバー登録を監視していたり、暴力で市民を鎮圧しようとする場面も全くもって今の汚職を表現できているとはいえない。今の政治を風刺するのであれば、忖度や裏工作、間接的な暴力というものを描く必要があると思う。それは全て直接的な描写に逃げているのだ。

ではカルト映画になれるのかといったら、白石和彌監督の真面目さが仇となり妙に物語をまとめようとするので、小者感しかないのです。カルト映画になる条件としては、常軌を逸した世界を魅せることが重要なのに、その世界を魅せてないようにしか見えません。

麻雀五輪シーンだけは傑作

ただし、本作には惜しいことにカルト映画になりうる魅力的な場面があります。それはクライマックスの麻雀五輪シーンです。最強のAI博打打ちとしてベッキーを起用する鋭さもさることながら、五輪にも関わらずイカサマを良しとし、AI博打打ちYUKIは遊戯王に例えると初手エクゾディア(簡単に説明すると5枚のカードを手札に揃えた瞬間、ゲームに勝利できる特殊なカード。最初の手札で5枚を揃えることで、試合開始前に勝利できるという皆の憧れだ。)を仕掛けてくる。目線で会話している割には心の声がやたらと煩い。そして、テロが会場で起きているのに、何食わぬ顔で試合が続き、明らからにポケットから隠し麻雀牌を出しているのがバレバレなのにAI博打打ちも審査員も全く気にしていない。そして、伝説の手を出し、空中を舞うドテ子とキスをし、そのままあの時代に帰還し映画は終わってしまうのです。

この麻雀五輪シーンの全力でぶっ飛んだものを作ろうとする気概は、確かにカルト映画としての風格がある。あのイカサマだらけの『遊戯王』が多くのブンブン世代(20~30代)を虜にしたのも、全力で吹っ切れていた演出があったからこそ。そのノリと勢いがこのシーンにはあった。

なので、全体としては、憎めない作品ではある。正直、思った以上に好きな作品でした。ただ、前半の中途半端さが足を引っ張りに引っ張り、来年には存在を忘れていそうな作品であることには変わりありませんでした。

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