【ネタバレ酷評】『鋼の錬金術師』から考えるクソ映画の哲学

クソ映画の哲学

この手の映画が公開される度に映画ファンの間でクソ映画論争が勃発する。最近だと、伝説のクソ映画『デビルマン』と比較するのはやめろといった意見も飛び交います。

そこでクソ映画とは何かについて考えてみます。

クソ映画には2つのベクトルがある

クソ映画やワーストテンに挙げられる映画には2つのベクトルがあると考えられる。

一つ目は、怒りのベクトルだ。1800円払って観て、非常につまらなかった。あるいは原作レイプ過ぎて個人的怒りの逆鱗に触れてしまったときに呼ばれる「クソ映画」には怒りのベクトルがあります。ブンブンとってそのベクトルに値する作品には『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド

』『ギャラクシー街道

』などがある。

もう一つは、好きの裏返しというベクトルがある。物語やVFX等不満不満の連続で、もう二度と観たくない。記憶からも抹消したいのに、何故か思い出してしまう。気になってしまう。ラブコメにおける、最初は喧嘩ばかりしているが次第に相手のことが気になってしまうあの感覚と一緒だ。ブンブンの場合Netflix版『DEATH NOTE

』や『HiGH&Lowシリーズ

』などが挙げられます。一般的にクソ映画代表として挙がる『デビルマン』もこちらのベクトルの方が大きいのではないだろうか。

二つベクトルの共通点

この2つのベクトルには共通点があります。それはインパクトだ。自分の人生においてどれだけ価値観を揺さぶられるか、どれだけヘイトを貯められるかにかかっている。それに必要なのは吹っ切れた演出だ。『デビルマン』を例にすると、VFXに特化しすぎて物語が無になり難解になっているところや役者の演技が棒読みすぎて(若き日の染谷将太は上手いが)目も当てられないところなど、とにかく鑑賞者の「映画」に抱く常識を揺さぶっていく。

『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』では、前編は想像以上に面白いのだが、後編ではあまりに唐突でワケワカメな展開の続出。とにかくドンドン物語が、世界がぶっ壊れている様子に「金と時間を返せ」と思ってしまう。

どれも、目も当てられないのだが、日が経っても忘れることができない。自分の人生の一部になってしまう。この忘れがたき強烈で酷い映画を皆はクソ映画と呼んだり、オールタイムワーストに挙げたりするのではないだろうか。ある種カルト映画に近い属性と言えよう。

『鋼の錬金術師』はクソ映画になれるのか?

さてブンブンにとって『鋼の錬金術師』はクソ映画なのか?正直違うと思う。何故ならば中途半端に面白く、中途半端に酷いからだ。インパクトで言えば上記のように國村隼にはショットガンを食らったような衝撃を受けました。しかしながら、数日経てば記憶から忘れてしまうだろう。演出も『鋼の錬金術師』の世界を中途半端に守ろうとして、マイナスベクトルにもプラスベクトルにも振り切れなかったからだ。

だから結論としては、ブンブンシネマランキング2017ワースト部門にすら入れない、クソ映画と呼ぶにはクソさが足りない微妙な作品と言えよう。

最後に…

最後にこれは言っておこう。例え、荒川弘描き下ろしの0巻が欲しくてもハガレンファンは観に行かない方が良い。あまりのショックに食事が通らなくなるだろう。

シネフィルの方も、本作はワーストテンに入れる程吹っ切れた作品ではありません。中途半端に面白いので。よっぽど『デビルマン』や『進撃の巨人』を観る方が、今なら『HiGH&Low THE MOVIE3』を観る方が語り甲斐ある作品だと思います。

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