『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』ユダヤ人から見たアメリカン・ドリームとその終焉

マーティ・シュプリーム 世界をつかめ(2025)
Marty Supreme

監督:ジョシュ・サフディ
出演:ティモシー・シャラメ、グウィネス・パルトロウ、オデッサ・アザイオンetc

評価:90点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

修羅場映画の新鋭、もしくはアベル・フェラーラの後継ともいえるサフディ兄弟は『アンカット・ダイヤモンド』でコンビを解散し、互いに別々の映画を制作した。完成した作品を観比べると、方向性は一緒でありながらやりたい対象が異なっていたがために別れたように思える。今回、連続して発表された『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』『スマッシング・マシーン』はどちらもスポーツを題材にしており、日本でのロケが行われている。そして3幕構成ながら、第1幕で主人公が挫折をし、非常に長い第2幕を経て熱い試合のある第3幕へとスライドさせていく構成となっている。どちらもA24映画故、王道から外れており、シンプルな友情・努力・勝利に収まらない。だから卓球を撮りたい兄ジョシュと総合格闘技が撮りたいベニーが「それなら互いにやりたいスポーツ映画を作ろう」と別れたといった推察ができる。そして、面白いことに両作とも国際的に評価されており、『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』は第98回アカデミー賞で9部門ノミネート、『スマッシング・マシーン』は1部門ノミネートかつ第82回ヴェネツィア国際映画祭監督賞を受賞する快挙となっていた。ついに日本公開されたのでマーティ・シュプリーム 世界をつかめ』を観たのだが、これが遅効性の面白さを有する作品であった。

『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』あらすじ

ティモシー・シャラメが主演を務め、1950年代のニューヨークを舞台に、実在の卓球選手マーティ・リーズマンの人生に着想を得て描いたドラマ。

卓球人気の低いアメリカで世界一の卓球選手になることを夢見るマーティ・マウザーは、親戚の靴屋で働きながら世界選手権に参加するための資金を工面する。ロンドンで開催された世界選手権で日本の選手エンドウに敗れたマーティは、次回の日本での世界選手権への出場を目指す。不倫相手のレイチェルが妊娠し、卓球協会から選手資格を剥奪され、資金が底をつくなか、あらゆる方法で遠征費用を集めようとするマーティだったが……。

引退した有名女優ケイ役でグウィネス・パルトロウ、マーティの友人役でグラミー賞受賞アーティストのタイラー・ザ・クリエイターことタイラー・オコンマ、マーティの恋人役でオデッサ・アザイオン、ケイの夫でインク会社社長のミルトン役でケビン・オレアリー、日本人選手エンドウ役で東京2025デフリンピックの卓球日本代表・川口功人選手が共演。「アンカット・ダイヤモンド」「グッド・タイム」のジョシュ・サフディ監督がメガホンをとり、第98回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞など主要部門を含む計9部門にノミネートされた。

映画.comより引用

ユダヤ人から見たアメリカン・ドリームとその終焉

まず、本作は『アンカット・ダイヤモンド』の延長にある作品であり、スポーツ映画に見せかけて大半は資金調達のためにティモシー・シャラメ演じるマーティが追いつつ追われつつを繰り返す修羅場映画となっている。マーティは『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のジョーダン・ベルフォートとは異なり小者である。弁は立つものの立ち回り自体はヘタクソであり、周囲に迷惑ばかりかけているクズ男である。それ故に共感からかけはなれているかつ、映画として何がやりたいのかが見え辛いものとなっている。しかし、じっくり観察すると映画全体に戦後ユダヤ人の歴史の断片が挿入されていることに気づかされる。ホロコーストを生き延びた者の腕に刻印された番号、ヒトラーギャグをかまし、ユダヤの星のネックレスを終始身に着けているマーティのスタイルは本作のテーマを支えるものとなっている。つまり、本作はユダヤ人から見たアメリカン・ドリームを位相ずらして描いた作品なのである。

ブルータリスト』でも描かれている通り、ユダヤ人の一部はホロコーストから逃れるようにアメリカへ渡った。底辺のような地位から這うようにして夢を掴もうとした。その渇望を、アメリカから東京へ渡れるのかといった宙吊りのサスペンスでもって強調しているのである。マーティのクズさの根底には、夢や尊厳のためにはなりふり構わず移動し続けるしかないといった事情が隠れており、それがホロコーストから生への渇望としてアメリカへ渡り、アメリカで時に裏切られながらも尊厳を保つためにがむしゃらに感情的にチャンスを掴もうとするユダヤ人の運動と共鳴する仕組みとなっているのだ。

そして、スクリューボール・コメディをさらに変化球として脱構築したような構造の中でユダヤ人から見たアメリカン・ドリーム像が構築されていく。蓮實重彥は「 ショットとは何か 歴史編」の中で、スクリューボール・コメディは婚姻の破棄の物語であるといった論考を展開していた。男女の婚姻関係は破棄され、思わぬ形で着地するといった概念である。これを踏まえると、『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』は、精子が卵子と結びつくところから始まる。この時点では赤ちゃんは生まれるかどうかはわからないし、レイチェルとの婚姻関係が出産まで維持されるのかも不明である。つまりデュナミス(可能態)として設定される。映画は才能や手札はありつつも夢がかなっていないデュナミスなマーティが、夢が叶った時のマーティ、つまりエネルゲイア(現実態)な彼になるか否かの転機を波状的に並べていく。小さなコミュニティで賭け卓球する、ホテルでシャワーを浴びようとする、犬を誘拐しようとする。こうした波状的事象が未遂に終わることで物語が推進されていき、マーティはレイチェルそっちのけで夢に向かっていく。まるで『結婚五年目』のジェリーのような勢い、『赤ちゃん教育』のスーザンさながらのウザさでレイチェルから離れていく。では婚姻が破棄されるのかというと、レイチェルは負けんじとマーティと並走し、婚姻の破棄を紙一重で回避していく。まさしくDNA構造のような相互関係でユダヤ人から見たアメリカン・ドリーム像が形成されていくのである。恐らくジョシュ・サフディは念頭にアベル・フェラーラ『Go Go Tales』の胡散臭い男による修羅場を思い浮かべている(実際に『Daddy Longlegs』にはアベル・フェラーラが出演しているので交流関係はある)とは思うが、スクリューボール・コメディの構造を応用させた作品として良くできていると感じた。

また、アクション面では卓球における水平運動+少しの垂直運動といったものをマーティがやる曲芸卓球のようなダイナミックさを持った形で映画全体に展開しており、ホテルでシャワーを浴びようとするも床が抜けて未遂に終わる場面は凄いと感じた。

そしてベニー・サフディ『スマッシング・マシーン』と比べるとアメリカン・ドリームの終焉を軸にした前後関係にあると評価することができる。正直、国際情勢がマーティのようなめちゃくちゃな人によって終焉に向かっている。世界はもちろん、アメリカは絶望的でありアメリカン・ドリームは潰えた。本作自体、アメリカで夢を叶えようとするよりかは東京で夢を叶えようとする物語となっており、アメリカン・ドリームの終焉の刹那な煌めきを描いているように思える。そして『スマッシング・マシーン』はアメリカン・ドリームが終焉を迎えた後での再起の話となっており、蝶番の関係として観ることができるのだ。

このように考えると、鑑賞した時はムカつく映画ではあったのだが、段々と大傑作に思えてくるのである。