Yo (Love Is a Rebellious Bird)(2026)
監督:アンナ・フィッチ、バンカー・ホワイト
評価:90点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
第76回ベルリン国際映画祭で芸術貢献賞を受賞した作品。ラインナップ発表時から注目していた作品で、『かたつむりのメモワール』のような話が実際にあるんだなと思って観たのだが、本当に本作の被写体であるヨー婆ちゃんがピンキー婆ちゃんに近いぶっ飛び具合を魅せていた。70分程度の短い作品ではあるが、《映画》である必然性のある手法によって記憶を記録していく素晴らしい作品であった。
『Yo (Love Is a Rebellious Bird)』あらすじ
After losing her friend, Anna has spent a decade obsessively building a detailed 1/3-scale version of her house. The model is just big enough for Anna to squeeze in through the door. Inside lives a puppet of her friend, Yo. When the pair first met, Yo was 73 and Anna just 24. Over the decades, they formed a deep bond that defied the gap in their ages and experiences. After Yo’s death, Anna reconstructed a magical space where Yo’s stories can unfold and their relationship continue.
Yo (Love is a Rebellious Bird) juxtaposes intimate vérité of Yo’s last year with Anna’s creative interpretations of Yo’s dramatic life stories. Born in Switzerland in 1924, Yo lived life on her own terms, defying expectations around sexuality, motherhood, ageing and even death. As the film blurs memory, time and invention, it also reveals the power of artistic creation to channel – and share – grief and love.
訳:友人を亡くしたアンナは、10年かけて、彼女の家の精巧な1/3スケールの模型を作り続けました。模型はアンナがドアからやっと入るくらいの大きさです。中には友人のヨの人形が住んでいます。二人が初めて出会ったとき、ヨは73歳、アンナは24歳でした。数十年にわたり、二人は年齢や経験の差を超えて深い絆を築きました。ヨの死後、アンナはヨの物語が展開し、二人の関係が続く魔法のような空間を再構築しました。
『ヨ(愛は反逆の鳥)』は、 ヨの晩年の親密な現実と、ヨの劇的な人生の物語に対するアンナの創造的な解釈を並置しています。1924年にスイスで生まれたヨは、セクシュアリティ、母性、老化、そして死さえも含めた人々の期待に反し、自分のやり方で人生を生きました。この映画は記憶、時間、そして発明を曖昧にすると同時に、悲しみと愛を導き、共有する芸術的創造の力も明らかにしています。
※第76回ベルリン国際映画祭より引用
クレイジー婆ちゃんの記憶の場
夫婦でドキュメンタリー映画を作り続けるアンナ・フィッチ&バンカー・ホワイト。妻のアンナ・フィッチは長年、50歳以上も年が離れたヨランダ・シェイことヨー婆ちゃんと仲良くしている。ヨーが亡くなり、アンナは10年かけて彼女の家の1/3模型を作った。それだけでなく、家の周辺をミニチュア化した。本ドキュメンタリーは晩年のヨーの映像と、模型を介したコラージュでもってヨーの人生および彼女とアンナとの関係性を再構築していく内容となっている。
まず、映画のコンセプトを示すために冒頭でレントゲン写真を提示している。これが非常に重要だ。ヨーの足には身体を支えるための金属が埋め込まれている。これは、アンナというある種の異物がヨーへ入っていくことを示唆している。また、それがヨーの人生を支えていることも示唆している。そして、肉眼では金属を見ることは不可能だが、レントゲンを介してその構造を把握することができる。つまり、メディアという拡張された眼を通じてヨーの人生が紐解かれていく様が象徴されるのだ。
本作は単なるアーカイブドキュメンタリーでもアニメーションでもなく複合的なメディアを統合した形を取っているのは、我々の記憶は多様なイメージの想起によって紡がれるコラージュ性を強調しているからであろう。それをメタ的に描く装置として模型、そして本作自身がある。模型の中で子ども映画が流れる。そこから彼女の人生に迫る。鳥恐怖症に陥った幼少期の記憶が写真と鳥の影によって呼び出される。鳥恐怖症を抱えながらもアオカケスと親密になる矛盾。子ども嫌いでありながらも4人の子どもを育てた様。生きようとしながらもドラッグに溺れていく矛盾を抱えた人生が紡がれていく。走馬灯のようにジャン・ティンゲリーとの交流やヨーとも思い出がフラッシュバックしていく。人間は肉体的死と人々に忘れ去られることによる死と2度に渡り訪れるが、2度目の死を回避するような、イモムシの活動、チョウの羽ばたきといった生のイメージが美しく挿入されていく。極私的ドキュメンタリーでありながら、映画の持つ記憶の場を信じた世界に感動したのであった。










