迷宮のしおり(2025)
監督:河森正治
出演:SUZUKA、原田泰造、伊東蒼、齋藤潤etc
評価:65点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
2026年早々、Xを騒然とさせているアニメ作品がある。それが『迷宮のしおり』だ。それもその筈であり、問題児のアニメばかり上映する東京国際映画祭で上映された作品だからだ。東京国際映画祭クラスタは、日本公開予定のない作品を中心に観る、アニメに興味ある方が少ないためスルーされる傾向にあり映画祭期間中はそのヤバさが露見しない。そして一般公開日になると物議を醸す。時限爆弾のような作品が多い。個人的には、駄作と感じたことはないものの『メイクアガール』のように尖り過ぎた作品だったり、『駒田蒸留所へようこそ』といったようにニッチすぎるトピック故に興行で苦しんだりと問題児であることには変わりない。さて、今回世に放たれた問題児は一見すると日本映画が得意とする内なる他者・心象世界ものである。ハリウッドがしたりがおで『インサイド・ヘッド』を放つ一方で、日本は昔から心象世界に仮想的な他者や自己を配置し、その中で対話していく中で自己を統合していく物語を得意としてきた。エヴァンゲリオンはもちろん、今敏の作品や『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』に『〈物語〉シリーズ オフ&モンスターシーズン』の撫物語と多くの作品で内面が描かれ、独自のロジックで理論を深化させてきた歴史がある。『迷宮のしおり』はこの傾向に一石を投じる作品であったのだが、噂通り珍妙な一本に仕上がっていた。
『迷宮のしおり』あらすじ
「マクロス」「アクエリオン」シリーズなどの人気アニメを生み出し、2025年大阪・関西万博ではパビリオン「いのちめぐる冒険」をプロデュースするなど幅広く活躍するクリエイターの河森正治が手がけた劇場長編オリジナルアニメ。スマホの中に閉じ込められた女子高生が繰り広げる脱出劇を、歌と映像で彩る異世界エンタテインメント。
どこにでもいる普通の女子高生・前澤栞は、ある日突然スマホの画面が割れてしまい、気がつくと異世界の横浜にいた。そこで彼女の前に、小森と名乗るしゃべるウサギのスタンプが現われ、「あなたはスマホの中に閉じ込められた」と告げる。一方、現実世界では、姿を消した栞と入れ替わるように、もうひとりの彼女「SHIORI」が現れる。SHIORIはSNSを駆使して自由奔放に振る舞い、やがて世界を巻き込む騒動の中心になっていく。栞は、SHIORIに現実を乗っ取られる前に、奇妙なスマホの迷宮からの脱出を目指すが……。
ダンス&ボーカルユニット「新しい学校のリーダーズ」のSUZUKAが、栞とSHIORIの二役を務め、アニメ声優に初挑戦。ウサギのスタンプ・小森役を原田泰造、栞の幼なじみの倉科希星役を伊東蒼、クラスメイトの山田健斗役を齋藤潤、若き起業家の架神傑役を「timelesz」の寺西拓人が務める。
インフルエンサー以前の分裂する自我とナラティブにより独り歩きする自我
本作はドストエフスキー「二重人格」のような独り歩きする自己の分身に振り回され狂気の渦に飲み込まれていく様をSNS時代の女子高生の悩みに落とし込んで描いている。主人公・前澤栞はスマホで打ち込み音楽を作りバズりたいと思いつつ、嘲笑されたらどうしようと脳裏でノイズを生み出し苦悩している。彼女には正反対の正確な親友がいて一緒にダンス動画を撮ることになるのだが、恥じらいから動画を止めようとする。その際に起きたアクシデントが決定的なショットとしてネットにアップされてバズる。一夜にしてインフルエンサーになるのだが、親友は学校に来なくなり、恥じらいから動画を止めてほしいと懇願しても止まらない状況に精神をすり減らしていく。そして気が付けばスマホの世界に囚われてしまい、現実世界では陽キャに豹変したもう一人の栞が暴走を始めてしまう。彼女はウサギのスタンプと共に現実へ戻ろうとする。
『迷宮のしおり』が興味深い点は、一人のキャラクターに対して論じられる自己分裂が前半と後半で大きく異なる点にある。序盤は、未確定であるにもかかわらず確定したかのように錯覚し嘲笑の声を内面に反響し押しつぶされていく状況を中心に、クリエイターになり切れない者が理想と現実との狭間で苦悩し自己分裂を引き起こす様を描いている。表面上は陽キャに見えるが、それは心が壊れ、過去の自分を抑圧している。認知はしているが表面に現出しないよう押し込めている。内なる弱気自己の目線から、無敵の人になったけれども内面の闇をどこにも吐き出せない辛さが描かれている。
そして映画の後半では、インフルエンサーとなり、パトロンがつくことで、彼のナラティブに沿うよう整形された栞像を演じ続ける状況との闘いとなる。企業勢VTuberに置き換えると想像しやすいが、インフルエンサーとしてある程度の知名度を得て、当人の物語が大衆に流布されると、個人のイメージが当人から離れ独り歩きするようになる。メディアによって、あるべきその人が強化され、あるべき振る舞いをしなければ大衆からバッシングされていく。しかし、そのあるべき姿はありのままの当人、本人が表現したい自己ではなかったりする。その狭間で心が折られると活動休止、卒業に追い込まれる。
つまり、本作は一般人がインフルエンサーになる時間の流れで移ろいゆく葛藤の対象をシームレスに捉えた作品であるといえるのだ。確かに一般的なレビューで指摘される「おっさんが考えたJKの悩みであり、SNS描写が古臭い」と言われるのはわからなくはない。今だとショート動画とかコスパタイパレベルの議論が中心になるし、スタンプコミュニケーションがアクチュアルな生活を指しているかは微妙なところだが、SNSを中心とした自己形成の部分は的を射ていると思える。
ただ、本作はそうした意見が出てしまうのも無理ない歪さを有している。主役クラスの人になればなるほど、衝撃的な程に大根芝居となっており、声が掠れ裏返っているのである。真のインフルエンサーとして覚醒した時とのギャップを演出するための《あえて》かと思ったのだが、関係ないキャラクターも演技が下手だったりするのでノイズとなってしまった。また、終盤に映画は突然別ジャンルへと豹変するのだが、監督のキャリアを観て納得した。面白い転調ではあるが、JKの話なのにおじさんホイホイな演出をやることは悪手としか思えなかった。












