マルセル・アヌーン『夏』夜勤明けで観る映画ではありません

夏(1968)
L’été

監督:マルセル・アヌーン
出演:Graziella Buci、Pierre-Henri Deleau

評価:50点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

この日は夜勤明けだった。11月でクビとなったヤバい派遣の人と4日連続同じシフトになる『藁の楯』状態。最後だからと、連日遅刻にミスとテロを起こしまくっており頭を抱えなんとか最後の夜勤を終える。バケモンの粛清が完了した。事前にフランス実験映画祭2025マルセル・アヌーン四季シリーズ4本のチケットを購入し、須藤健太郎氏の研究ノート《一元論と間隙――マルセル・アヌーンの「四季」シリーズについての断片的な考察》を読んで意気揚々と日仏学院に足を運んだのだが、1本目の『夏』開幕5分で目の前が真っ暗となり、気が付けば30分経っていた。さすがにこの状態で他の映画を観るのはマズいと思って帰宅し仮眠を取った。

『夏』あらすじ

「四季」シリーズ第一作。1968年の五月革命ののち、ノルマンディの田舎で隠遁する女性は、革命家の恋人を思う。恋人について語る女性の声と、当時のスローガンや写真がモンタージュされ、製作と同年に起きた五月革命について想起し、思案する。ジョナス・メカスは、『春』までの「四季」シリーズと『単純な物語』を観て、アヌーンを「ブレッソン以降の最も重要で最も興味深いフランスの映画作家」と評した。

※フランス実験映画祭2025より引用

夜勤明けで観る映画ではありません

そのため、『夏』に関して全くもって語る資格はないのだが、ロラン・バルトの映画論を読んでいるような本質的過ぎて逆に退屈に思えてしまう雰囲気を本作から味わった。写真と映像を極端な形で重ねていく。映像は同じ場所を人がいる状態/不在の状態を交互に描く。それにより、一見異なる素材に思える写真と映像が記憶の物質的外部化の点で同相であるということが証明され、その理論を基に女性の記憶を巡る旅をなぞっていくのである。理論としてはザッとこんな感じだが、肝心な話部分が面白くなく私は永久の眠りについたのであった。