異端者の家(2024)
Heretic
監督:スコット・ベック、ブライアン・ウッズ
出演:ヒュー・グラント、クロエ・イースト、ソフィー・サッチャーetc
評価:95点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
年末なので、劇場で観逃した作品を配信で後追いするフェーズに入っている。『異端者の家』は『ロングレッグス』に引き続き、予告編の段階で合わなそうと思ってスルーした。そういう作品は配信で観ると大抵、劇場で観なくてもよかったと納得するわけだが、『異端者の家』に関しては予告編の何倍も面白い作品であり、劇場でこの異様な心理戦を目撃できなかったことを悔やんだ。昨年の『トラップ』枠であった。
『異端者の家』あらすじ
ヒュー・グラントが悪役を務め、天才的な頭脳を持つ男が支配する迷宮のような家に足を踏み入れた2人のシスターの運命を描いた脱出サイコスリラー。
若いシスターのパクストンとバーンズは、布教のため森の中の一軒家を訪れる。ドアベルに応じて出てきた優しげな男性リードは妻が在宅中だと話し、2人を家に招き入れる。シスターたちが布教を始めると、リードは「どの宗教も真実とは思えない」と持論を展開。不穏な空気を察した2人は密かに帰ろうとするが、玄関の鍵は閉ざされており、携帯の電波もつながらない。教会から呼び戻されたと嘘をつく2人に、帰るには家の奥にある2つの扉のどちらかから出るしかないとリードは言う。実はその家には、数々の恐ろしい仕掛けが張り巡らされており……。
2人のシスター役に「ブギーマン」のソフィー・サッチャーと「フェイブルマンズ」のクロエ・イースト。「クワイエット・プレイス」の脚本家スコット・ベック&ブライアン・ウッズが監督・脚本を手がけた。「ノッティングヒルの恋人」「ラブ・アクチュアリー」などラブコメ作品で人気を博してきたヒュー・グラントが、イメージを覆す不気味な男を演じ上げ、ゴールデングローブ賞の主演男優賞にノミネートされた。
誘導系対話者VS誘導系対話者たち
本作はXで時折目にする、「宗教勧誘を論破で蹴散らしたったww」系のイキり冷笑系のトピックを本気で映画化したらどうなるのかの解となっている。宗教勧誘のため、若い2人のシスターが森の一軒家を訪問する。物腰柔らかそうなおじさんが出迎えてくれる。警戒心の強いシスターのひとりは、ポイントポイントでストップをかける。「すみません、女性のルームメイトはいますか?」「奥さんを呼んでもらってもよいですか」と。当然、差し出されたドリンクにも口をつけず、警戒しながら布教のチャンスをうかがっていくのだが、独自に理論武装した宗教観でこのおじさんは牙をむく。
「私からも君たちへ売り込みたいものがある」
おじさんは彼女の宗教観の脆弱性を突いていき、宗教の本質である「支配」を突き付けるためにカラクリ屋敷の深淵へと引き摺り込む。
本作は、映画としての宙吊りのサスペンスの作り方に長けており、映画の教科書になり得る傑作である。シスター側、おじさん側が鏡の関係にあり、システマティックに自らが導きたい方向へと偽装した油断でもって誘う。表情によって、相手の手札を確認し、次の一手を出す予兆をショットとして的確に捉えている。たとえば、シスターが家を訪問した際、彼女は覚えてきたであろう台詞を詠唱し、相手の手札が見えていない。おじさんが、言葉を発しようとする。それに被せる。おじさんは、そのフレーズを引っ込め考えているような顔をする。
・雨が振り始めているから早めに終わらせたい。
・雨宿りを条件に中へ誘導する。
・付け刃の知識だろうから、考えさせる問いを仕掛ければ手綱を握れる
といった思考がこのショットと後続の展開で結びつくとことなる。
同様に、シスターも応接間でのインテリアや宗教関連のものへ眼差しを向けることで、このおじさんに布教することが実現的なのか、本当に安全なのかを推測しながら次なるアクションを練る。このような小さなショットの積み重ねにより、緊迫感のある心理戦が生まれる。そして、この家でのサスペンスの合間に少しばかりの別の空間のショットを挿入することで、助けに来る存在が意識され、宙吊りのサスペンスを盛り上げていくのだ。
そして、興味深いのはおじさんの語る理論が、おじさんにとっての論理で構成されており、段々と陰謀論的なものであることがわかってくる点にある。モノポリーのリメイクにおける反復性と宗教における反復性を結び付け、突然ジャー・ジャー・ビンクスの話へ飛ぶ攪乱がそれにあたる。だが、これが宗教=支配の構図を脱構築し、本質的な支配の構図を浮き彫りにさせて信仰とはなにかを問うのである。なにを信じるか、そのベクトルが変化する運動が支配であると説得づける強烈な語りに痺れたのであった。
※映画.comより画像引用













