『ファイナル・デッドブラッド』メタ=アメリカ映画の傑作

ファイナル・デッドブラッド(2025)
Final Destination: Bloodlines

監督:ザック・リポフスキー&アダム・スタイン
出演:ケイトリン・サンタ・フアナ、テオ・ブリオネス、リチャード・ハーモンetc

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

近年、映画業界のビジネス戦略がPDCAモデルからOODAモデルに切り替わっている気がする。従来の映画は、公開が決まったらその予定に向かって準備が進められる。また配信スルーが決まった作品が突然劇場公開へと舵が切られることも珍しい。しかしながら、2025年に入って『M3GAN ミーガン 2.0』の公開中止や『罪人たち』の突然公開などといったケースを受けるに、実情のニーズから公開有無を迅速に判断するようになったように感じる。『ファイナル・デッドブラッド』も同様の事象であり、本来は配信スルーとなっており、映画ファンの落胆の声がSNSに流れていた中での緊急公開となった。劇場自体は少ない。それでも公開が決まったことに映画ファンは大歓喜となっており、実際にシネ・リーブル池袋では平日であっても満席/満席に近い状況となっていた。さて、普段ホラー映画は配信でしか観ないのだが、YouTubeで批評リクエストをいただいたので観てきた。そこまで期待していなかったのだが、これが素晴らしい映画であった。

『ファイナル・デッドブラッド』あらすじ

予知夢によって大事故を回避した若者たちが、逃れられない死の連鎖に巻き込まれ、無残な死を遂げていく姿を描く人気ホラー「ファイナル・デスティネーション」シリーズ第6作。

大学生のステファニーは、自分と家族が悲惨な死を遂げる悪夢を繰り返し見て苦しんでいた。それがただの夢ではないと確信した彼女は、唯一の手がかりとなる人物を捜すため故郷へ向かう。やがて、50年以上語られてこなかった「死の連鎖」の原点にたどり着き、「運命には逆らえない」という不条理な法則がいまなお続いていることを知る。過去と未来が交錯する中、ステファニーはその血の因果と対峙することになる。

ホラー映画の人気キャラ「キャンディマン」として知られ、2024年11月に他界したトニー・トッドが、シリーズを通して生存者に助言を与えてきた謎の男ウィリアム・ジョン・ブラッドワース役で出演。監督は「FREAKS フリークス 能力者たち」のアダム・スタイン&ザック・リポフスキー。

映画.comより引用

メタ=アメリカ映画の傑作

本作はアメリカ構造の型を逆手に取ったホラー映画である。アメリカ映画と言えば、家族至上主義であり、家族のドラマへと収斂する傾向がある。『ワン・バトル・アフター・アナザー』のように複雑怪奇な物語に思える内容でも、最終的に家族の絆を意識させる着地となっていたりする。『ファイナル・デッドブラッド』では、死の予兆を軸として家族の繋がりを意識させつつも家族は常にバラバラに動き、絆を意識させる前に死が与えられ繋がりが断ち切られていく様をひたすらやっていく。原題が《Bloodlines(血統)》であることからも、明白に繋がりが切れるか否かの宙吊りを軸とした作劇となっている。

また、アメリカ映画において「役割を全うする」物語が揺蕩っている。自分にはある能力がある、ないし社会の中で果たすべき役割があると信じて病まない者がその役割を全うしようとするのである。本作も同様に、予兆を検知できる者(主人公/おばあちゃん)が、その能力を駆使して家族に訪れる惨劇を回避しようとするが、あと少しのところで果たされない葛藤が描かれていく。役割が全うされない様を通じて逆説的にアメリカ映画を語ろうとしているのである。故に、『ファイナル・デッドブラッド』はメタ=アメリカ映画の重要な一本となっている。

そして本作の独自性として興味深い演出がある。それはCGの濃淡である。最初の巨大な塔での惨劇は『メガロポリス』を彷彿とさせる前時代的なチープさを持つCGで描かれている。一方で、その後の場面では現実をそのまま撮ったような質感となっている。後者では死の予兆から実行に遷移する中で、CGの濃度が上がる。悪夢が現実を侵食する過程をCGの濃淡で表現するアプローチが繊細であり面白く感じた。

最後に、管理者として働く私にとって、予兆を検知して未然に防止しようとしつつ起こる時は起きてしまう本作は涙なくして観ることのできなかった。

※映画.comより画像引用