8番出口(2025)
監督:川村元気
出演:二宮和也、河内大和、浅沼成、花瀬琴音、小松菜奈
評価:90点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
2年前にブームとなったインディーゲーム「8番出口」がまさかの映画化。しかも監督・川村元気、主演・二宮和也と確実にヒットさせる気概を魅せたスタッフでの映画化となり、カンヌ国際映画祭にも出品された。確かに、ジャンル映画として扱いやすい内容であり、ポップコーンムービーとしても良さげだが、ここまで気合を入れていて尚且つ公開されると絶賛多めでありながら賛否両論分かれるという東宝渾身の一本に仕上がっているとは思いもよらなかった。実際に観てみると、想像を遥かに超える傑作であり、それは単なる傑作ではなく、『クローバーフィールド/HAKAISHA』が公開されたときのようなブレイクスルーといっても過言ではない代物であった。
『8番出口』あらすじ
2023年にインディーゲームクリエイターのKOTAKE CREATEが個人制作でリリースし、世界的ブームを巻き起こしたゲーム「8番出口」を、二宮和也主演で実写映画化。
蛍光灯が灯る無機質な白い地下通路を、ひとりの男が静かに歩いていく。いつまで経っても出口にたどり着くことができず、何度もすれ違うスーツ姿の男に違和感を覚え、自分が同じ通路を繰り返し歩いていることに気づく。そして男は、壁に掲示された奇妙な「ご案内」を見つける。「異変を見逃さないこと」「異変を見つけたら、すぐに引き返すこと」「異変が見つからなかったら、引き返さないこと」「8番出口から、外に出ること」。男は突如として迷い込んだ無限回廊から抜け出すべく、8番出口を求めて異変を探すが……。
主人公の“迷う男”を二宮、スーツ姿の“歩く男”をドラマ「VIVANT」の河内大和が演じ、「渇き。」「糸」の小松菜奈、「遠いところ」の花瀬琴音、子役の浅沼成が共演。監督・脚本は、「怪物」「君の名は。」など数々のヒット作のプロデューサーとして知られ、2022年の初監督作「百花」で第70回サン・セバスチャン国際映画祭の最優秀監督賞を受賞した川村元気。2025年・第78回カンヌ国際映画祭ミッドナイト・スクリーニング部門出品。
A24がバックルームを出す前にリミナルスペースとの悪魔合体に成功した川村元気
「日常とは、人が匿名のままでいられる、注目を逃れた日々の習慣すべてであった。日常は、捕らわれることなく、利用されることのないものだったので、革命的な可能性の核となるものだとみなされることもあった。」
ジョナサン・クレーリーは「24/7 :眠らない社会」の中で日常を上記のように定義し、1950年代以降にギー・ドゥボールなどがスペクタクルによって日常が占拠されるようになったと語る。SNSが普及した今や、我々の日常はスペクタクルの中に取り込まれており、何気なくコンビニで買う行為ですらSNSで発信され日常といった余白は絶滅危惧種と成り果てた。映画はファスト人生ともいえ、人生における余白を削りながら物語を作る。そのため、『サタンタンゴ』などで観られる長回しは逆説的に日常における余白を捉えるものとして着目されてきた。
近年、映画は異なるメディアとの融和を通じて新しいメディアとしての映画像を確立させようといった動きがある。A24はYouTuberを起用した映画の配給を行うことで、映画の世界にオープンワールドの側面を与えようとしているように思える。現在製作中の『The Backrooms』はそのマスターピースになるのではと期待している最中、東宝が見事なゲーム、ないしYouTube配信の世界とも融合した作品を打ち出した。
まず最大の特徴として「長回し」が挙げられる。擬似的なものではありながら、本作はほとんどのシーンで長回しが使われており、シームレスなアクションの中で発生する異変が強調されている。だが、その長回しは一般的な映画で用いられるものと質感が異なる。特に、8番出口の通路へ迷い込むまでの長回しに注目して欲しい。二宮和也演じる、派遣会社勤務のやつれたサラリーマンの主観ショットで物語は展開する。スマホから目を上げると、そこは満員電車。泣きじゃくる赤子にキレるサラリーマンを気まずそうに見つめ、反らすようにスマホへと戻る。そして降車する。階段を登る途中で、元恋人から電話がかかり、別れたにもかかわらず子どもを授かってしまったことが告げられる。喘息発作を起こしながら彼は通路へと迷い込むわけだが、この動きが非常に遅い。駅の狭い階段でこの速度で歩かれたらムカつくぐらい遅いのだ。これは『8番出口』をプレイしたときに感じるフラストレーションを完全に再現している。リミナルスペース系のゲームとしては他に広大なプールをさまよう『POOLS』があるが、これにも近い遅い移動の中で物語が進行するのだ。主観でありながら、現実の速度と異なる様に違和感を抱かせる。だが次第にその動きになれてきて世界に没入する。それをシームレスに行う。これはゲーム体験を映画に翻訳した例として優れているだろう。松永伸司は「ゲームの美学」の中で、芸術を観る行為が鑑賞であるのに対し、ゲームをプレイする行為は受容にあたると語っている。提示されるイメージを受動的に受け入れる鑑賞的行為に対し、能動的に対象と接しインタラクティブな体験として受け入れる受容的行為であるのだ。性質が異なる異常、映画にそのまま落とし込むのは難しく、実際問題ゲームを題材とした映画の中で映画として成功した(興行ではなく内容面で)例は少ないのも頷ける。だが『8番出口』はあっさりとそれをクリアにする。
もちろん、この長回しには映画表現としての素晴らしさもある。途中から、カメラと目線は切り離され、通常の撮影モードとなる。ここでカメラはぐるっと二宮和也の顔を捉えながら後退する。フレームの外側に事象が存在するので、観客はすぐに状況を判断することができない。しかし、カメラが後退することで事象が見える。その際に、彼が見逃してしまったものを発見するのだ。遅効性のスリル。それも見逃してもすぐには0番に戻るわけではない。引き返す選択肢が残されているのだ。ここで宙吊りのサスペンスが形成され、観客の心を揺さぶっていく。このカメラワークには度肝を抜かれた。さらに、このカメラワークを駆使しながら途中で主人公を切り替え、計3人の物語が複雑な円環構造を形成していく。その中で『イレイザーヘッド』的「父親になる恐怖」「変化を受け入れる恐怖」が醸造されていくのだ。出口を目指したい。だが、終わってしまったら変化しなくてはいけない。むしろ、このまま迷っていたほうがいいのか?迷宮の中で過去の行為の幻視にさらされながら自分のあるべき未知を模索していくのである。
また、本作はゲーム、映画以外の視点もある。それはゲーム配信文化の受容である。通常、このような状況に陥ったときに人間は声を出しながら異変を確認しないだろう。ゲームでもソロプレイであれば声を出すことはない。しかし、本作は積極的に異変の有無を声出ししながら行っている。この振る舞いはゲーム配信者の仕草といっても過言ではないだろう。配信者は、自分がゲームを楽しむ以上に視聴者をも楽しませる必要がある。そのため、ゲーム内で自分の行為を言語化しながらプレイする。二宮和也の演技力もあってか、映画の演技としてこの振る舞いを再現しているところが興味深かった。さらに演技でいったら今回・長編映画デビューを果たした河内大和のNPCと人間の間を反復横とびする演技は一度観たら忘れられない強烈さを有しており、河内大和は引っ張りだこになるに違いない。彼主演の映画が作られるであろうぐらいに良かった。さあ、『The Backrooms』のハードルがとてつもなく高くなったがA24はどう出るか?楽しみである。
※映画.comより画像引用