『ハッピーアワー』重力を聞く

ハッピーアワー(2015)

監督:濱口竜介
出演:田中幸恵、菊池葉月、三原麻衣子、川村りらetc

評価:90点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

濱口竜介監督が国際的に知られるきっかけとなった『ハッピーアワー』は、身体、語りによって紡がれる心理的関係性を描き続けて来た彼のひとつの到達点ともいえる。「濱口竜介 即興演技ワークショップ in Kobe」から誕生した本作は、ほとんどの登場人物が演技未経験者であるにもかかわらず、複雑な心理を身体に馴染ませた演技で観る者を惹き込む。

これは当然ながら俳優たちの努力による功績であるのは言うまでもないが、5時間17分の中であらゆるコミュニケーションのあり方を模索した結果によるものであもある。

『ハッピーアワー』あらすじ

演技経験のない4人の女性を主演に、ごく普通の30代後半の女性たちが抱える不安や悩みを、総時間317分の緊迫感あふれるドラマとして描いた。映画学校の生徒たちを起用した4時間を超える大作「親密さ」や、東北記録映画3部作(「なみのおと」「なみのこえ」「うたうひと」)など挑戦的な作品作りを続ける濱口竜介監督が手がけ、スイスの第68回ロカルノ国際映画祭で、主演4人が最優秀女優賞を受賞した。30代も後半を迎えた、あかり、桜子、芙美、純の4人は、なんでも話せる親友同士だと思っていた。しかし、純が1年にわたる離婚協議を隠していたことが発覚。そのことで動揺した4人は、つかの間の慰めにと有馬温泉へ旅行にでかけ、楽しい時間を過ごすが……。

※映画.comより引用

重力を聞く

あかり、芙美、桜子、純の4人が旅行の道中で仲良くランチをするところから始まる。他愛もない会話から信頼関係が築かれていることがわかる。彼女たちは鵜飼が開催するワークショップに参加する。

彼は神戸出身であるが、東日本大震災の時に復興ボランティアで東北に移り活動をしていた。そんな彼は、パイプ椅子を片足で立たせる技能を身に着けたと語り実演をする。パイプ椅子は綺麗に片足で立つが、彼はバンと倒す。緊迫した空気が流れる。彼はこのワークショップのコンセプトは「重心に聞く」であることを説明し始める。

『ハッピーアワー』では、このコンセプトを手掛かりに人間関係がどのように変わっていくのかについて掘り下げていく。まず、最初に重要な場面としてワークショップの打ち上げがある。直前に風間が桜子に対して下心全開で食事に誘う。それを彼女は「友だちと来ているんで」と断ると「僕も友だちと来ているんで」と嫌味っぽく去っていく。だが、彼女が誘われて参加した打ち上げに彼はいる。あかりたちとは親友だが、このことは知らない。打ち上げでは風間と関係が悪いような素振りを彼女は見せない。表情と言動の重心を意識して彼女は振る舞っているのだ。その中で、純が離婚調停を進めていることが明らかとなる。親友同士だったにもかかわらず、はじめましての人がいる空間で初出しの、それも重要な話が出てきたことで4人の関係は悪化していく。一見すると何一つ穢れがなく、腹を割って話せるような関係性でも裏と表があり、会話や仕草のコントロールによって見せたい自分を提示している人間の本質に踏み込むのである。これが人間との接触を伴うワークショップ、「重心に聞く」といったコンセプトによって表面化してくるのだ。

ここで、あかりに注目する。彼女は看護師として多くの患者と接してきた。後輩の看護師である柚月のメンターとして務めるも、人の命を扱っている責任感から彼女のミスを厳しく指導する。謝る彼女の逃げ道を塞ぐような詰め方をしたことで、彼女のメンタルを破壊してしまう。仕事では柚月との関係性に悩み、プライベートでは友人たちとの関係性に苦悩する。そんな中、彼女は転倒し松葉杖となる。自分の確固たる重心を定めて生きてきた彼女が揺らぐ様を象徴している。そんなあかりが出勤すると柚月が「すみません、頼りなくてすみません」と謝る。「柚月、謝るのが癖になっているよ。本当に思ってもいないことにまで謝んなよ」と指摘するあかり。「すみません、あっ、でも本当に思っているんです。あ……でも本当に思っていることとは違うのかもしれません。ありがとうございます。わたし嬉しいんです」と彼女は弁明すると、あかりは歩み寄り抱擁する。彼女と築き上げた関係性を再構築するように柚月の言葉を行動で受け止めるのである。それは知った気になっている自己を省み、他者をより知ろうとする運動への昇華ともいえる。

このような人間心理を身体表象へ置換する濱口竜介監督の技術は、『ドライブ・マイ・カー』におけるハンドルを握る登場人物によって主導権を強調したり、『悪は存在しない』におけるルーティンとして薪割りをこなし落下を知り尽くした男が「絶対にない」と強い言葉を用いながらも、木にへばりつく血液の落下、凍った湖で起こる落下といった不吉な落下により心かき乱されていく様へと応用されていった。濱口竜介映画を知るための要石といえる一本である。
※映画.comより画像引用