I Only Rest In The Storm(2025)
監督:ペドロ・ピーニョ
出演:Sérgio Coragem、Cleo Diára、Jonathan Guilherme
評価:100点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
2025年のカンヌ国際映画祭ある視点部門に出品され、ベスト・パフォーマン賞(Cleo Diára)を受賞した『I Only Rest In The Storm』を観たのだが、アラン。ギロディ『ミゼリコルディア』を超えて上半期ベスト1位候補の大傑作であった。
『I Only Rest In The Storm』あらすじ
An environmental engineer accepts a position in West Africa, where he develops complex relationships with two locals while uncovering details about his predecessor’s unexplained disappearance.
訳:環境エンジニアが西アフリカでの職に就き、そこで2人の現地住民と複雑な関係を築きながら、前任者の不可解な失踪の詳細を解明していく。
※IMDbより引用
闇の奥ver.2025は無意識なる無視を炙り出す
2017年に発表した初長編映画『The Nothing Factory』でカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞し注目されたポルトガルの新鋭ペドロ・ピーニョ監督が再びカンヌの地で批評家の注目の的となる。3時間半におよぶ『I Only Rest In The Storm』は、バカンス映画を想起させるゆるい旅の中で鋭利に植民地主義へと斬り込む。
砂漠地帯を男が車を走らせていると、番人に止められる。番人は暇でしょうがないのか「読む本ねぇか?」と尋ねる。男は、にかっと笑みを浮かべながらゴソゴソと車の中を漁って一冊の本を渡して去る。そんな彼の旅は順調ではない。途中で、車が故障してしまい、ヒッチハイクの旅となる。
モラトリアム大学生、あるいは自分探しの旅に繰り出す男のロードムービーのような始まりであるが、実はこの男、サラリーマンである。環境エンジニアとしてポルトガルからギニアビサウへと派遣されてきたセルジオには、巨大道路建設プロジェクトの調査という仕事があるのだ。愛想こそ良いもののだらしがない彼は、観光客のようにズカズカと原住民の領域へと侵入しクラブへと明け暮れる。そして、無意識なる差別をまき散らしていく。
2020年代に放たれるこの「闇の奥」は、原住民の目線からミクロ/マクロの狭間にある距離感を大胆かつ繊細に捉えていく。この手の作品はカンヌ国際映画祭でよく出品されるのだが、多くはヨーロッパから見たアフリカ、もしくはアフリカの人々そのものへの眼差しで語られている。しかし、本作の場合アフリカから見たヨーロッパのイメージを最後まで掴み続けている。つまり、最後までセルジオはよそ者として扱われるのだ。
観光客のようにギニアビサウを彷徨うセルジオに対して、原住民は厄介な存在のような警戒の眼差しを向ける。クラブで出会ったギィと同性愛的関係となるのだが、彼からは植民地主義や資本主義を批判するような、この地における白人像を掘り下げていくような言葉が投げかけられる。たとえば、ギィは「君たち白人は植民地化した、僕は植民地化されたんだ」と語る。
セルジオは「自分は違う」といった面持ちでその言説を受け入れ、ギィと肉体関係を結ぶ。ギィは表層としての肌の色、深層としての国家との関係から植民地主義をどのように感じているのかをセルジオに伝えようとしているのに全く響いていないのだ。
インフラ整備は重要なことだし、アフリカのためを思っている傲慢さが、原住民の批判的な眼差しを無力化する。この交わらなさをカメラは捉え続けている。だからセルジオはギニアビサウの人々と肉体レベルで親密な関係になっているように勘違いしているが映画は平行線のままなのだ。
また、本作が興味深いのは、セルジオが参画するプロジェクトの前任者は失踪しており、彼自身はその前任者のことを考えている点にある。「闇の奥」にてチャールズ・マーロウはコンゴ川の深淵にいる象牙商クルツのことを考え続ける。アフリカの過酷な道中にマーロウの嫉妬・好奇が渦巻き、恐ろしい心象世界が生まれる。『I Only Rest In The Storm』は、この構図をバカンス映画の構図に換骨奪胎し、ヨーロッパの傲慢さの本質を突いた。