『Ari』「俺の話を聴けい!」と三島由紀夫モードとなり児童が困惑

Ari(2025)

監督:レオノール・セライユ
出演:オンドラニック・マネ、Pascal Rénéric、Théo Delezenne、Ryad Ferrad、エバ・ラリエetc

評価:10点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第75回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に選出されたレオノール・セライユ『Ari』を観た。あらすじを読む限り『若い女』の男女入れ替えバージョンといった印象を受けたものの、実際に観ると想像以上に主人公がどうかしていて大草原不可避であった。

『Ari』あらすじ

Forced from home after quitting teaching, Ari navigates life’s uncertainties. His reunion with childhood friends becomes a catalyst for personal transformation.
訳:教師を辞め、家を追われたアリは、人生の不確実性を乗り越えようと奮闘する。幼なじみとの再会が、彼にとって人生の転機となる。

※IMDbより引用

「俺の話を聴けい!」と三島由紀夫モードとなり児童が困惑

小学校教師になりたてのアリは授業審査を受ける。しかし、低学年には高尚過ぎる、全くニーズを満たしていない授業を行い、児童は困惑どころか無視し始める。監視員も呆れた顔で仲裁に入るも制御不能となり、アリはパニック障害を引き起こす。家にも居場所がなくなった彼は学校から逃げ出し、家からも逃げるように自分の痛みを癒していく存在を探しに行く。

やっていることは『若い女』と同じであり、日本とは違いネットカフェみたいなシェルターがなく、他者領域を侵害しながら実存の依存先を見出そうとする痛々しさを辛辣に描いていたわけだが、『若い女』にあったコミカルさは漂白され、いい年した大人のクソ雑魚メンタルにドン引きする内容となっている。中学時代、学級崩壊し地理と化学の授業がなくなった身からするとあれは学級崩壊といえない。「ざぁ~こ♡ざぁ~こ♡」と煽られたり、暴力に晒されているわけではなく、児童が困惑しているだけなのに、「俺の話を聴けい!」と三島由紀夫モードに入り勝手に自爆しているだけなのだ。

そして他者がひたすら存在せず、自己の避雷針を求める依存先を見つけては他者領域を侵害する。この青年がおじになったら、やたらとXでDM送ってくる、どうでもいい自分語りや相談をしてくるダルい奴になるパターンじゃんとひたすら嫌悪を抱いた。

恐らく男性における「強くならねばいけない」といったマチズモに抑圧された存在へ手を差し伸べるタイプなんだろうとは思いつつも、流石にこれは他者が可哀想だと思った。