動物誌、植物誌、鉱物誌(2024)
原題:Bestiari, erbari, lapidari
英題:Bestiaries, Herbaria, Lapidaries
監督:マッシモ・ダノルフィ、マルティーナ・パレンティ
評価:70点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
イタリア映画祭2025にて物議を醸した『動物誌、植物誌、鉱物誌』を観た。オリヴェイラ『アブラハム渓谷』と同等の長さで、時に実験映画、時にフレデリック・ワイズマンのタッチで人類と自然との関係性に眼差しを向けた一本である。洞窟さんの星評では驚異の0.9点の低評価を叩き出す圧倒的不評っぷりだった。確かに困った構成の作品であり、特に第三部の《鉱物誌》は邦題の翻訳に限界があり、《コンクリート誌》に思えるのは致し方がないのだが、アプローチ自体は興味深いものがあった。
『動物誌、植物誌、鉱物誌』概要
ユニークな視点で自然界を探求し、神秘と詩的な映像美に満ちあふれた珠玉のドキュメンタリー大作。動物、植物、鉱物に焦点を当てた3部構成で描かれ、自然と人間、それらの関係について見つめ直す。第1部では、アーカイブや個人のフッテージを通じて、映画における動物の描かれ方を探る。第2部は、世界最古のパドヴァ植物園内を観察する。第3部は、石がどのように人間の歴史や文化に結びついてきたのかを追究する。ヴェネチア国際映画祭アウト・オブ・コンペティション部門でプレミア上映され、アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭で最優秀監督賞を受賞。
※イタリア映画祭2025より引用
《鉱物誌》の本質はとは?
本作は3部構成で描かれる。『動物誌』では動物が手術される光景やウサギがヘビに捕食されるショッキングな映像を畳みかけて来る内容で、昨年公開された『人体の構造について』に近い内容となっている。第二部『植物誌』は世界遺産にもなっているパドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)での活動をワイズマン的なショットにナレーションを重ねて描く。第三部『鉱物誌』では、コンクリートの素材が採られる様子をフッテージで挿入し、実際にコンクリートが作られるまでの過程を工場ドキュメンタリーのように編集している。
まず『鉱物誌』に関しては『植物誌』との対比で考えるとわかりやすい。『植物誌』では、地球全体の99.7%を占めると言われる植物、あらゆるワールドレコードを占有する植物に対して、ちっぽけな人間が知ろうとする眼差しが描かれる。舞台となるパドヴァの植物園は世界最古の植物園として知られ、イタリアで初めてジャガイモやヒマワリが栽培され、植物学や生態学に影響をもたらしており、現在ではイタリアで2番目に充実した植物標本館として機能している。ありのままの植物をアーカイブして知ろうとする人類が描かれているのだ。
一方で『鉱物誌』はどうだろうか?原題は”Lapidary”となっており、鉱物そのものよりも鉱物を加工する様に焦点があてられている。副題も「未来の化石」となっている。つまり、人類が過去の自然を掘り起こし加工し役割を与える様を描いているのである。そのため、アリストテレスの理論を借りるなら、『植物誌』はデュナミス(可能態)、『鉱物誌』はエネルゲイア(現実態)の話となっているのだ。そして、広島に原爆が落とされて3年後にイチョウがたくましく生えたエピソードがこの両者を繋ぐ接着剤的な機能を果たす。人類が自然と対峙する中で生まれる暴力性が浮かび上がり、『動物誌』と円環を結ぶのである。
しかしながら、『動物誌』が『人体の構造について』に近い露悪的に留まったものを感じてしまい、映画としてはそこまで良い構成ではなかったように思える。