『グランド・ツアー/Grand Tour』消費する旅行に消耗する

グランド・ツアー/Grand Tour(2024)

監督:ミゲル・ゴメス
出演:ジャニ・チャオ、Gonçalo Waddington etc

評価:50点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第77回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞したミゲル・ゴメス新作『グランド・ツアー/Grand Tour』を観た。本作はコロナ禍で制作が難航していた作品であり、途中でコロナ禍映画『ツガチハ日記』を挟みつつようやく完成した一本。17世紀から18世紀にイギリス富裕層の間で流行したヨーロッパ巡りの「グランド・ツアー」と現代の消費される旅行像/オリエンタリズムを絡めていくタイプの作品であり、興味深く観たものの、かなりズルい映画に思えた。

『グランド・ツアー/Grand Tour』あらすじ

Edward, civil servant, flees fiancée Molly on their wedding day in Rangoon, 1917. His travels replace panic with melancholy. Molly, set on marriage, amused by his escape, trails him across Asia.
訳:1917年、ヤンゴンでの結婚式当日、公務員のエドワードは婚約者モリーから逃げ出す。旅を続けるうちに、彼のパニックは憂鬱へと変わっていく。結婚を夢見るモリーは、彼の逃亡劇を面白がり、アジア中を彼を追いかける。

IMDbより引用

消費する旅行に消耗する

イギリス外交官のエドワードはヤングーンに婚約者が来ると知り、現実逃避するがごとくシンガポール、タイ、日本、中国と逃亡していく。かつて、イギリスで流行した「グランド・ツアー」は机上だけでなく、実際に生で世界を目の当たりにすることで教養を深める役割を果たしていった。産業が発展していき、人類に余暇が生まれたことにより「旅行」が大衆的なものとなる。旅行は現実世界から逃れ、「匿名的存在」として異なる世界に紛れる経験である。本作では現実逃避としての旅行とオリエンタリズムを絡めている。

実際に、楽山大仏などといった世界遺産が登場するが、その地の歴史性が掘り下げられず表層的に並べられている。同様にカンフー、影絵などといったアジアのモチーフがごちゃ混ぜに映画の中で挿入されて消費されていく。日本からは、オーバーツーリズムが問題となっている白川郷が一瞬だけ登場する。現地の問題や歴史をそっちのけで、パートナーとのしがらみから逃れたいが為に世界を消費してしまう様を批判的に描いているのだ。

これはミイラ取りがミイラになる危うさを孕んでおり、危険なタップダンスで駆け抜けていく訳である。こうした批判への対策はばっちりされており、たとえば旅先では現地の言葉を主体とした作劇になっている。また、旅行者は自分探しの旅/現実逃避の旅をする中で消耗していく展開もオリエンタリズム批判の描写として機能しているように思える。

でも、個人的に理論はわかるし興味深くは観たが、いかようにも批判を回避できてしまうズルい映画。カンヌ繋がりだと『逆転のトライアングル』路線の厭な映画だなと感じた。