海から来た娘たち(1991)
Daughters of the Dust
監督:ジュリー・ダッシュ
出演:コーラ・リー・デイ、バーバラ・O・ジョーンズ、アディサ・アンダーソン、シェリル・リン・ブルース、ジェラルディン・ダンストン、ヴェルファマエ・グロスヴナー、トミー・レドモンド・ヒックスetc
評価:90点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
アメリカ黒人映画傑作選で”Daughters of the Dust”こと『海から来た娘たち』を観た。本作は2022年にサイト&サウンド誌にて発表された「史上最高の映画ベスト100」にて60位に選出されており、ビヨンセのアルバム「レモネード」に影響を与えたことで知られている。実際に観ると、ミュージックビデオに近い内容で過剰に感傷的な音楽が流れている場面は評価分かれるものあるものの、中村達「私が諸島である カリブ海思想入門」を読むと、一見すると堂々巡りな内容も明確に意図が掴めるものとなっている。今回は「私が諸島である」を踏まえながら語っていく。
『海から来た娘たち』あらすじ
アフリカ系アメリカ人の女性監督ジュリー・ダッシュが、20世紀初頭の大西洋沖の島を舞台に、異なる世代の女性たちが謳いあげる歴史と抵抗の声を詩情あふれる映像美で描いたドラマ。
奴隷解放後の1902年、アメリカ大西洋沖シー諸島のとある島。ペザント一族は長年暮らした故郷を離れ北へ移住することを決めるが、長老ナナは亡き夫が眠るこの地に残ると言い張る。それぞれの思惑が交錯するなか、ついに島を離れる時がやってくる。
初めて劇場公開されたアフリカ系アメリカ人女性監督による長編映画作品で、2016年リリースのビヨンセのアルバム「レモネード」が本作の影響を受けたことで世界的に注目され、2022年には英国映画協会発行のサイト&サウンド誌による「史上最高の映画ベスト100」の60位に選出された。1991年サンダンス映画祭で撮影賞を受賞。日本では2025年4月より開催の特集上映「アメリカ黒人映画傑作選」にて劇場初公開。
Black Peoples,Black Literatures,Black Histories
話はシンプルである。セント・シモンズ・アイランド(シー諸島)に様々な背景を持った黒人がやって来る。長年暮らした故郷を離れ、北へ行くかどうかで揉めるだけだ。2時間かけて感傷的な音楽と、同じような言い争いが展開されるため、飽きてしまうかもしれないが、それは我々が「黒人」というカテゴリの中で観てしまっているからである。アメリカ、カリブ諸島へ流れつく黒人には多様なバックグラウンドが流れている。かつて奴隷としてアフリカからこの地へ流されてきた者の歴史が集約されているのだ。そのため、言語も英語、スペイン語、フランス語、現地の言葉が入り乱れており、文化の違いを共有するために、たとえば「水ってなんて言うの?」「アクアって言うんだよ」といったコミュニケーションを図る。
「私が諸島である」によれば、カリブ世界では文学のことを”Literatures”と本来つくはずのない複数形の「s」をつけて読んでいる。これは文学における権威がイギリス文学であることへの対抗ともいえ、同じ英文学でも、様々な背景が層をなしていることを強調している。同様にカリブ世界ではHistoryも複数形の「s」をつけることが慣例となっている。カリブ世界では、原住民だけでなくアフリカなどから連れてこられた者から構成されている。原住民の歴史もクリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を見つけた1942年以降から始まっているとみなされてしまって歴史が分断されてしまっている。一方で、そこに集まる分断された歴史を積み上げていき、カリブ世界のカリブ世界によるカリブ世界のための文化や歴史が編み込まれている。時に対立しながらも、独自の世界観が形成されているのだ。
この発想は本作でも目撃することができる。たとえば、墓を前に悲しむおばちゃんの会話に注目してほしい。バラバラとなったアフリカの歴史、それが辿り着き芽が出ているカリブの歴史が墓に刻まれている。その上で、北へ行くかどうかを葛藤する。分断された歴史と統合される「黒人」の歴史の揺らぎに葛藤しつつ、未来へ向くかどうかを象徴しているのである。
今回のアメリカ黒人映画傑作選ではタイトルとは裏腹に、我々がいかに「アメリカ黒人映画」に対してバイアスを持っていたかがわかる良い特集となっていたのであった。
※映画.comより画像引用