白雪姫(2025)
Snow White
監督:マーク・ウェブ
出演:レイチェル・ゼグラー、ガル・ガドット、アンドリュー・バーナップ、パトリック・ペイジetc
評価:65点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
現在、大炎上中のディズニー実写版『白雪姫』。予告編の段階からAIに生成させたようなチープなヴィジュアルに厭な予感がしていたのだが、政治的にも燃えており大惨事となっている。映画の内容も「川に溺れていたはずなのに、次の場面ではカピカピに乾いたパンを鹿に差し出している」とツッコミどころ満載なようだ。
『白雪姫』あらすじ
世界中で愛され続けてきたディズニー初の長編アニメ映画「白雪姫」を実写化したミュージカル映画。
かつて優しさと光であふれていた王国は、現在は邪悪な女王によって闇に支配されていた。雪のように純粋な心を持つ白雪姫は、人々が幸せに暮らす王国を取り戻したいと願うが、外見の美しさと権力に執着する女王の嫉妬を買ってしまう。女王に命を狙われた白雪姫は、不思議な森で暮らす7人のこびとや、ジョナサンという青年に助けられる。
「ウエスト・サイド・ストーリー」のレイチェル・ゼグラーが主演を務め、「ワンダーウーマン」のガル・ギャドットが女王、トニー賞受賞俳優アンドリュー・バーナップがジョナサンを演じる。監督は「アメイジング・スパイダーマン」シリーズのマーク・ウェブ。アニメ版の名曲の数々に加え、「グレイテスト・ショーマン」のベンジ・パセック&ジャスティン・ポールによる新曲が物語を彩る。日本語吹き替え版では、俳優の吉柳咲良が白雪姫、元宝塚歌劇団の月城かなとが女王、ボーイズグループ「JO1」の河野純喜がジョナサンの声を担当。
※映画.comより引用
市民の生を捉えるべく禁じたバークレーショット
ただ、童話映画は論文ないし実験室として捉えると面白いものがある。ディズニーアニメ版『白雪姫』は、カラー短編映画では稼げなかったディズニーが収益化の戦略として長編アニメを作ろうとするプロジェクトによる成功例であった。1930年代当時のディズニーは『三匹の子ぶた』などカラー短編アニメを制作していた。しかし、映画館への貸出料は白黒映画と同等であった。カラー映画で制作すると莫大な予算がかかる。しかし、1/3の白黒料金でしか貸し出せない問題を抱えていた。そこで、老若男女楽しめる長編アニメと間口を広げ、カラー料金で貸し出せるような作品を作ろうとしたのがきっかけであった。当時はヘイズ・コードの動きもあり、誰しもが知っている童話をそのまま映画化しようとしても暴力的過ぎるないようだったため、変更の必要性が出てきた。つまり『白雪姫』制作時によって生まれた原作をマイルドにするスキームがその後のディズニーアニメの基礎となったのである。しかし、ディズニーが大きくなるにつれ、ディズニーアニメ版が原作として大衆に認知される傾向が強くなる問題が現れる。実際にカルロ・コッローディの孫は『ピノキオ』は著作権違反だとして訴訟を起こしている。一方で、こうしたディズニーの問題を映画で解決しようとする動きもあり、東ドイツDEFAでは時代考証と原作順守を徹底した『白雪姫』を制作した。本作では白雪姫が刺殺/絞殺/毒殺される場面がある。1999年に制作されたテレビ映画『アリス・イン・ワンダーランド/不思議の国のアリス』では、アリスの本来の服装はコーン・イエローであることが強調されている。このように、童話映画は既存の作品に対してどのような新機軸を与えたかに注目すると興味深い。
その上で本作を観ると、明らかにAI危機を前提にした内容となっている。ハリウッドでは数年前にAIによって職が失われるのではとストライキが発生した。先日行われたアカデミー賞でも『ブルータリスト』がAIを使ってエイドリアン・ブロディのハンガリー語や訛りを矯正した件について物議を醸した。AIによって映画業界は実存の危機に立たされている。
その不安、AIにた対する不気味さを表現しているような作品となっている。女王は毎日のように鏡に向かって「世界で一番美しいのは誰?」と問いかけ、「あたたですよ」と言われることに興奮している。美に執着するあまりに大衆はもちろん、家来も人間ではなくモノとして扱っている。指示も冷酷だ。まるでChatGPTと接するだけの人のように描かれている。
一方で、白雪姫は人間的な対話を重要視している。アニメ版との変更も、基本的に「対話の物語」へ寄与するためのものとなっている。喧嘩が多い小人たちに、協調性を説く。しまいには山賊とも手を取り合うようになる。終盤で、革命を起こす場面では市民一人一人の顔と名前を一致させ、群から個へ引っ張り出し対話の重要性を訴える内容となっているのである。
そして、この対話の重要性を説くにあたり、バークレーショットを禁じているところも興味深い。現代ミュージカルにおいて、安易に万華鏡のように円陣組む群衆を捉えがちだが、それは人間をオブジェクトと見なすことである。それをさせず、俯瞰のショットから町の豊かな活動を捉えようとするところに集中している点が本作の良い部分である。
一方で、プロジェクトとしてうまくいっていない部分も垣間見える。顕著なのは7人の小人がCGである点だ。映画を観ると最低でも3人の小人役者が出演していることから、7人アサインできなかったであろうことが推察できる。しかし、人間との対話を主軸に置いている中、動物はまだしも、7人の小人をCGでやってしまうことで本作の軸が大きくずれてしまった。表層的対話/深層的対話の物語にもかかわらず全体として表層的にみえてしまうからだ。
確かに、映画としてのクオリティは低いものの、大喜利を行うような作品ではなかったことは強く主張したい作品であった。
※映画.comより画像引用