『ウィキッド ふたりの魔女』スペクタクルによる暴力を問う

ウィキッド ふたりの魔女(2024)
Wicked

監督:ジョン・M・チュウ
出演:シンシア・エリヴォ、アリアナ・グランデ、ジョナサン・ベイリーetc

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

先日、映画の集まりで「『ウィキッド ふたりの魔女』長いんでパスしようかと思っているのですが……」と話してみたら「観た方が良い!」と数名の方から強く推されたので観てきた。本作は劇団四季のミュージカルとしても知られている『ウィキッド』の映画化であり、舞台におけるインターミッション部分までの映画化とのこと。つまり、後編を1年近く待たないといけない大変さがあるのだが、それでも本作は凄まじいものがあった。

『ウィキッド ふたりの魔女』あらすじ

名作児童文学「オズの魔法使い」に登場する魔女たちの知られざる物語を描き、2003年の初演から20年以上にわたり愛され続ける大ヒットブロードウェイミュージカル「ウィキッド」を映画化した2部作の前編。後に「オズの魔法使い」に登場する「西の悪い魔女」となるエルファバと、「善い魔女」となるグリンダの、始まりの物語を描いたファンタジーミュージカル。

魔法と幻想の国・オズにあるシズ大学の学生として出会ったエルファバとグリンダ。緑色の肌をもち周囲から誤解されてしまうエルファバと、野心的で美しく人気者のグリンダは、寄宿舎で偶然ルームメイトになる。見た目も性格もまったく異なる2人は、最初こそ激しく衝突するが、次第に友情を深め、かけがえのない存在になっていく。しかしこの出会いが、やがてオズの国の運命を大きく変えることになる。

エルファバ役はエミー賞、グラミー賞、トニー賞でそれぞれ受賞歴を持つ実力派のシンシア・エリボ、グリンダ役はグラミー賞常連アーティストのアリアナ・グランデがそれぞれ演じた。そのほか、シズ大学の学長マダム・モリブル役に「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」のミシェル・ヨー、伝説のオズの魔法使い役に「ジュラシック・パーク」シリーズのジェフ・ゴールドブラム。監督は「イン・ザ・ハイツ」「クレイジー・リッチ!」のジョン・M・チュウ。第97回アカデミー賞では作品賞のほか、シンシア・エリボの主演女優賞、アリアナ・グランデの助演女優賞など合計10部門にノミネートされ、美術賞と衣装デザイン賞の2部門で受賞した。

映画.comより引用

スペクタクルによる暴力を問う

本作は煌びやかなタッチに反して終始不穏な空気が漂う。テイストは『K-12』に近いものの、その比ではない陰惨な中傷、暴力、迫害がグロテスクなまでにスペクタクルの中へと埋め込まれている。

冒頭、「西の魔女が死んだ!」と叫ばれ、大衆は輪になって歓喜の歌や舞いによる高揚感で包まれる。そこには、恐ろしい形相をした緑の魔女のポスターが貼られており、火炙りの儀式的なものが行われている。明るい場面ながら不気味なオープニングである。そして、大衆の前に姿を現したグリンダに対して市民のひとりはこう投げかける。

「あなたは西の魔女と友だちだったの?」

苦い顔をしながら、言葉に含みを持たせ

「ええ、友だちだったよ」

と返しことの顛末が語られる。

西の魔女ことエルファバとの出会いはシズ大学であった。入学時期からスクールカーストの頂点。いずれは魔法使いになることを夢見たグリンダは、緑色の肌のエルファバに嫌悪感を示すも、寄宿舎のルームメイトとなる。魔法の才能を認められモリブル学長に贔屓されているエルファバに嫉妬を抱くグリンダは、世間体を保ちつつ嫌がらせをしたり、嘲笑したりするのだが、段々と打ち解けていく。

舞台版を観ていないので比較はできないものの、本作は差別の階層をフィクションならではの手法で緻密に描いていることである。それには「多様性」の中に潜む差別を暴き出す狙いがある。

エルファバには足の不自由な妹がいる。彼女は白人である。彼女は車椅子で行動するのだが、周囲から「可哀想」という眼差しを向けられ同情的歩み寄りがされる。一方で、生まれた時に「緑色の肌」だったエルファバは「気持ち悪い」と言われ続ける。この大学には様々な人種の学生がおり、当然ながらアジア系もいる。彼ら/彼女らは互いに多様性を認め合って生活しているように思える。嘲笑する際にも彼ら/彼女らは一体となる。つまり、「多様性」にも階層があって、その外側にいる人は「多様性」の群によって殴られることとなるのだ。その矛先は状況によって変化し、後半では動物に刃が向けられる。ただ、映画としてのイメージは鮮やかな色でキラキラ輝いているのだ。その異様な光景がグロテスクに思える。そして、本作はミュージカル映画故に、歌と踊りのスペクタクルで満ち溢れているのだが、エルファバ以外の登場人物は表層的に見えるよう調整されている。グリンダも葛藤はするものの、「魔法使いになりたい」というペラッペラな夢のために付和雷同、エルファバの行動に反応していくだけとなっている。葛藤を持っていそうな人物も、それを押し殺したようにスペクタクルへと取り込まれていく。この構図こそが終盤で大きな展開へと繋がっていく。

つまり『ウィキッド ふたりの魔女』はスペクタクル批判の映画である。ただ、スペクタクル批判の映画といえばギー・ドゥボールやジャン=リュック・ゴダールのように抽象的だったり、無を提示したり、ドライな質感だったりするのだが、本作はそう言った映画で批判されるスペクタクル的映画の中でそれをやってのけてみせるのだ。しかも、この手のミュージカル映画にありがちな手垢のついたバークレーショットを封印して描いているので凄いことをしている。ジョン・M・チュウ監督は前作の『イン・ザ・ハイツ』でもそうだが、かなりせっかちで身体表象の運動全体を魅せきれない問題があり、本作もせっかく教室での椅子取りゲームの躍動感ある踊りをすぐにカットを割ってしまう悪手を投じているのだが、それを上回るものがそこにあった。

なんといってもシンシア・エリヴォの怒りを宿した叫びに近い歌唱の力強さには後半涙した。これは映画館で観て正解であった。全力で推してくれた方に感謝しかない。

※映画.comより画像引用