『砂時計』廃墟と夢の構造について

砂時計(1973)
原題:Sanatorium pod Klepsydra
英題:The Hourglass Sanatorium

監督:ヴォイチェフ・イエジー・ハス
出演:ヤン・ノビッキ、タデウシュ・コンドラット、Irena Orska、ハリナ・コヴァルスカ、グスタフ・ホロベックetc

評価:90点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

先日、シアター・イメージフォーラムで『ハイパーボリア人』を観たら、予告編でクエイ兄弟の新作『砂時計サナトリウム』が流れた。タイトルに観覚えがあったので調べたらヴォイチェフ・イエジー・ハス『砂時計』と同じ原作だった。Eastern European Moviesにて配信されていたので観たら、これがとても面白かった。

『砂時計』あらすじ

ヨーゼフ(ヤン・ノビツキ)は、サナトリウムに療養中の父に会うため列車に乗った。サナトリウムは郊外の静かな森の中にあり、異様に大きな扉が正面にそびえている。その扉を入ると中は幻想的ともいえる世界だ。厳格そうだがどこか俗物の感じが漂う医者。可憐な顔をしていながら挑発的なポーズでせまる看護婦。そしてめぐり会えた父は、しかし病室で死人のように横たわっていた。ふと窓から外をのぞくと、そこは彼の幼年期の情景になっている。彼の父と母、召使いのアデル。友人の男女、父の知人の商人、助手たち。そして、ヨーゼフを溺愛する母……。時間の流れは重複し、いつの間にかサナトリウムの中は、万華鏡のごとく交錯する。たった数分前までは宴が開かれていた食堂はくもの巣のおおう廃室となる。ヨーゼフはサナトリウムからの脱出を試みる。しかし出口はわからない。そのサナトリウムとは、いったいどこなのだろうか……。

映画.comより引用

廃墟と夢の構造について

本作において最も注目すべきは廃墟と夢の関係性であろう。通常、建物は「世界」を閉じるために機能する。病院だったら病院、ホテルだったらホテル。もっと言えば、廊下だったら廊下の機能を全うするために閉じた空間で世界を作り出す。しかし、廃墟の場合、破損したところから世界が漏れ出し、異なる世界が交わっていく。実際にヨーゼフがサナトリウムの外側を横移動で歩く場面があるのだが、不自然なほどに廊下空間へと迷い込むのだ。この仕組みと「夢」を絡めており、夢の中にいる時、我々はそれを夢と認知することができず、どんなに異質な世界が広がっていたとしてもその物理法則を現実として受け止める様がこの廃墟で表象されているのである。そして、大広間をハブとして登る、降りる、潜るといったアクションを行いながらも数十分後には同じ場所に戻る、似たような場面と遭遇することを通じて我々にもデジャヴュを与えていくのだ。

ちょうど今、アンドレ・ブルトン「シュルレアリスム宣言」を読んでいるのだが、以下の言葉がまさしく本作における夢を見事に言い表している。

「シュルレアリスムは、それに没頭しているひとびとに対して、好きなときにそれを放棄することをゆるさない。どう考えても、それは麻薬のように精神にはたらきかけるものにちがいない。麻薬と同様、それはある種の欲求状態をつくりだすわけだし、おそるべき叛逆へと人間をかりたてることもできる。さらに、おのぞみであれば、それはいかにも人工的な楽園のひとつである。」

ヨーゼフは「夢ではない」と信じて冒険をし、父や出口を探す。でも、それは夢のような世界であり、それを捨て去ろうとしても捨てきれず、欲求がアクションを推進させていくのである。

created by Rinker
紀伊國屋書店