【第25回東京フィルメックス】『新世紀ロマンティクス』ジャ・ジャンクーの映像詩

新世紀ロマンティクス(2024)
原題:风流一代
英題:Caught by the Tides

監督:ジャ・ジャンクー
出演:チャオ・タオ、リー・チュウビン、パン・ジァンリン、ラン・チョウetc

評価:80点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

第25回東京フィルメックスオープニング作品『新世紀ロマンティクス』を観た。ジャ・ジャンクー映画は毎回イマイチハマらないのだが、今回作られた《映像詩》は後半こそ尻つぼみな印象を受けたものの、遅効性の良薬として心に沁みるものがあった。

『新世紀ロマンティクス』あらすじ

ジャ・ジャンクー監督の長年のミューズであるチャオ・タオ演じる一人の女性の人生の約20年間を、彼女の元を去った一人の男性との関係を軸に描いた作品。物語は2001年に始まり、最初は5年後、次には16年後に時代が移行し、2022年を舞台とする第3章までを通して、主人公女性の感傷的な苦難と、時の経過と共に彼女の自立が深まっていく姿が捉えられている。冒頭の場面は2001年頃に撮影され、映画の終盤に主人公たちが再び大同市に戻る頃には、この古い炭鉱都市が未来への可能性に開かれた完全に別の世界になっているのが印象的だ。最初の2章は過去に様々なフォーマットで撮影された未使用の映像素材が多くの場面で使われており、サウンド版サイレント映画の形式が部分的に援用され、ポップ、ディスコ、伝統音楽等のサウンドトラックに支えられた流動的な編集がなされている。そうしたユニークなハイブリッド映像/音響が各時代の集合的記憶のようなものを喚起させていく様は実に感動的だ。カンヌ映画祭のコンペティション部門でワールドプレミア上映された。

※第25回東京フィルメックスより引用

ジャ・ジャンクーの映像詩

前作『帰れない二人』に引き続き、3部構成のクロニクルとなっている。2001年、2005年、2022年を駆け抜けていくチャオ・タオの姿を通じて中国史を物語っていく。中国史は疎いので細かいところは良く分からずとも、長江が象徴するように川の流れに従って前に進むしかない哀愁と希望をコロナ禍明けに託していく様に心洗われるものがある。『新世紀ロマンティクス』は映像史であり映像詩でもある。そのため、セリフは最低限となっており、被写体の運動、空間、音、そしてテロップによって感傷的なものを掬い取るアプローチとなっている。3部はそれぞれ異なる撮影手法が用いられている。第1部では2001年当時の風俗をEDMのビートに乗せて描く一方で、王兵ドキュメンタリーに近い、廃墟とヒトの集まる箇所への眼差しを通じてありのままの中国を捉えていく。廃墟となった歌劇場と栄えている歌劇場の対比が第2部へ襷を繋ぐこととなる。

第2部では今年観た中で最も美しい映像詩を提示している。廃墟の中チャオ・タオが彷徨う。移動せざる得ない彼女は長江の街へと渡る。都市開発が進むここでは、廃墟の取り壊しが行われている。雑誌やポスター、ヒトが生きた痕跡へ眼差しを向ける。チャオ・タオ自身もかつての地を捨てて来た身。過去の残り香に感傷的となるが、彼女の背中では労働者たちがビートを刻みながら中国の未来へ向きながらハンマーを振り落としている。スクラップ&ビルドを前に、彼女はまたしても前進するしかない。

最後はコロナ禍パートだ。正直、前半と比べると大人しすぎる印象を受けるのだが、停滞した刻に対して、パッと服を着替え、群衆の濁流に自ら呑まれていくミュージカルのような場面を通じ、アフターコロナへの期待を託す着地に感動した。映像も第1部のドキュメンタリー(現実)、第2部の映画的ショット(虚構)に対し『The Human Surge3』を彷彿とさせる不気味の谷クローズアップがもたらす虚実の交わりが効果を発揮しており、現実が虚構のような混沌を極める中でわたしたちはどう生きるか?とりあえず前を向いて歩きましょう!といったメッセージへと繋がっており、美しい人生賛歌であった。

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