ファイヤー・オブ・ウィンド(2024)
原題:Fogo do Vento
英題:Fire of Wind
監督:マルタ・マテウス
出演:ソライア・プルデンシオ、マリア・カタリナ・サパタ、サフィール・エイズナー、ジョゼ・モウラetc
評価:75点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
残業がなかったので、急遽第37回東京国際映画祭にて実験映画『ファイヤー・オブ・ウィンド』を観た。
『ファイヤー・オブ・ウィンド』あらすじ
ポルトガル南部、アレンテージョ地方の収穫期のブドウ園で働く農民たちをとらえた作品。ある日、暴走した黒い牛が現れたため、農民たちは高い樫の木に上って枝に身を隠し、夢と記憶の世界に逃げ込む。昼から夜に移るにつれ、彼らの記憶は20世紀半ばのサラザールによる独裁政権の時代に遡ってゆく。ポルトガル南部の美しい光が奇跡的にとらえられた詩的な作品。途中、現代と過去が混交する幻想的な展開となる点も興味深い、マルタ・マテウスの鮮烈な長編デビュー作。シャンタル・アケルマン作品の編集者として知られるクレール・アテルトンがマテウスとともに編集を担当。ペドロ・コスタがプロデューサーを務めた。ロカルノ国際映画祭コンペティションで上映。
※第37回東京国際映画祭より引用
地を奪われた者たち
本作はポルトガル史における搾取の構図を絵画的構成の連続でもって抽象化していく内容である。その画の美しさ、単純に絵画的に還元されない構成に目を惹く。たとえば、ブドウを採取する者を草むら掻き分ける構図でカメラは捉える。天と地の境界からオケが放たれることで躍動感ある運動となる。また、点描画の再現として植物の粒度が活用され、死体をモザイク状に表す。橙と黒の境界線を手掛かりに導線を追うと、ヒトの存在を確認。認知と同時に陰からヒトが歩み寄る。
また、『ファイヤー・オブ・ウィンド』ではユニークな空間が採用されている。通常、「高みの見物」という言葉があるように、高所は搾取側を立たせるように思える。しかし、ここでは自然(=ブドウ)を扱う者が自然(=黒い牛)によって、木に追い込まれ地を踏めなくなる。つまり、不自由を象徴するために「高所」が使われているのだ。
そんな、農民が団結し、銃を取る。体制側だろう軍人すら仲間に加え、地を強制的に奪い去る。そして地の強奪に成功したら、銃を捨てる。この流れは警戒すべきだろう。暴力を都合よく使っているからだ。
この手の映画は合わないことが多いのだが、長所短所込みで面白く観た。