『女はそれを我慢できない』氷が解け、ミルクが沸騰し、メガネが割れるホットな女

女はそれを我慢できない(1956)
The Girl Can’t Help It

監督:フランク・タシュリン
出演:ジェーン・マンスフィールド、トム・イーウェル、エドモンド・オブライエンetc

評価:65点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

ずっと観たかったフランク・タシュリン『女はそれを我慢できない』を入手した。本作は、『ロック・ハンターはそれを我慢できるか?』のオープニングでMCが上映する映画の名前で間違えて読み上げる作品である。フランク・タシュリンは、個人的に過小評価されている監督だと思っていて、大げさな色彩やギャグとは裏腹に緻密なテクニックが垣間見れるので評価している。本作は、正直フランク・タシュリンの中では切れ味が悪いものの、随所に光る演出があったので紹介していきたい。

『女はそれを我慢できない』あらすじ

のんべの宣伝屋トム・ミラー(トム・イーウェル)は、かつてギャングの親分だったマードック(エドモンド・オブライエン)に雇われ、曲線美人ジェリイ(ジェーン・マンスフィールド)をスターにする仕事を始めた。しかし、それには条件がついている。彼女に手を出してはならない。ところが、この2人が愛し合うようになった。もともと彼女は歌手になるつもりはないのだが、マードックに恩義があるので、下手な歌も唱わねばならぬ。マードックは彼女をスターにしなければ男が立たないので、メチャメチャな声でレコードに吹き込んだ彼女の歌--彼がかつて獄中で作詞した「ロック・アラウンド・ザ・ロック・パイル」を町中の酒場にとりつけた。彼一流の強引さとインチキで。それが、奇妙な人気となり、彼女をスターにのし上げさせた。いよいよニューヨークの初舞台、はじめ反対していたマードックも、トムとジェリイの仲を許し、めでたくゴール・インとなりかけたところ、マードックに張り合うギャング親分のホイーラーが乗り込んだ。だがトムの機転で、マードックが自ら舞台に立ち、得意の「ロック・アラウンド・ザ・ロック・パイル」を歌う。聴衆は喝采し、一緒に感激したホイラーも、マードックと握手した。その後10年、結婚したトムとジェリイの間には5人の子供ができ、マードックはよき「おじいさん」である。

映画.comより引用

氷が解け、ミルクが沸騰し、メガネが割れるホットな女

『女はそれを我慢できない』は、トムとジェリーの話なので、真っ先に『結婚五年目』のトムとジェリーを思い浮かべ、スクリューボール・コメディの観点から観るとどうか検討したくなった。

蓮實重彥は「ショットとは何か 歴史編」の中でスクリューボール・コメディを「婚約の破棄」の観点から論じ、ヘイズ・コードにおける本質的にベッドを必要としない恋愛劇の探求、政治的闘争のなかで生まれたものとして語っている。

このように考えた時に、『女はそれを我慢できない』は異色であるといえる。『結婚五年目』の場合は、婚約の破棄から始まり、歪な婚約へと着地する。一方で、『女はそれを我慢できない』の場合は、本来であればギャングの親分マードックとジェリーとの関係の話である。彼がジェリーに振り回される中で婚約が破棄されるのだが、物語はその先で結ばれるトムにフォーカスを当てているのである。つまり、実は第三者目線からスクリューボール・コメディを観ている作品となっており、トムは思いのほか振り回されていないのである。

もちろん、トムも男であり、そして本作は恋愛関係になるので、仕事とはいえども彼女に夢中になる場面がある。ここで、フランク・タシュリンの芸の緻密さが垣間見える。今回は音にこだわっており、酔いつぶれたトムの前にジェリーの幻影が現れ歌う場面に注目してほしい。トムのふらつくカットに、毒々しいライティングに染まったジェリーのカットを挿入する。画は離散的に歌は連続的にシークエンスを形成することで、無視しようとしてもできない存在に彼女がなっていることを強調している。感情の可視化としてのカット繋ぎが冴えわたるのだが、他には、ジェリーの美貌に町の人々が魅了される場面がある。氷が解け、牛乳が沸騰し、メガネが割れる。下方向の運動、上方向の運動、その他の運動を重ねることで、多くの人を魅了させた表現となっており、この荒唐無稽さが映画的だったりする。

日本でもどこかでフランク・タシュリン特集をやらないかなと思うのだが、ニーズはあるのかなと思いながら本作を観た。