『マミー』The Thin Blue Lineと比較して観ると……

マミー(2024)

監督:二村真弘

評価:30点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

和歌山毒物カレー事件を扱ったドキュメンタリー『マミー』が一時は公開中止になりそうだったのだが、関係者との協議・編集を経て公開された。シアター・イメージフォーラムは満席近く埋まっており、この事件に対する関心の高さがうかがえる。本作を観る前、ふと『The Thin Blue Line』を思い浮かべた。本作は私立探偵をしていたエロール・モリス監督が「こいつは100%再犯する」と宣言するジェームズ・グリグソン博士を調査する中で生まれた一本である。テキサス州では死刑判決を下す条件として、再犯する可能性を重視していた。グリグソン博士は死刑誘導のためのキーマンとして存在していたことについて調査していると、警官殺し事件で死刑判決を受けそうになっているランドール・アダムスのことを知る。彼を取材すると、「一緒に車に乗っていたデイヴィッド・ハリスに嵌められた」と語り、モリスが得た情報からも冤罪なのではと思い映画を撮ることにした。これがきっかけでアダムスは死刑を免れたのだ。

『マミー』を観る直前に『The Thin Blue Line』を再鑑賞して臨んだ。すると、『マミー』の問題点が浮かび上がってきた。今回はそこについて語っていく。

『マミー』概要

1998年に日本中を騒然とさせた和歌山毒物カレー事件を多角的に検証したドキュメンタリー。

1998年7月、夏祭りで提供されたカレーに猛毒のヒ素が混入し、67人がヒ素中毒を発症、小学生を含む4人が死亡する事件が起こった。犯人と目されたのは近所に住む林眞須美で、凄惨な事件にマスコミ取材は過熱を極めた。彼女は容疑を否認しており、2009年に最高裁で死刑が確定した後も獄中から無実を訴え続けている。

最高裁判決に異議を唱える本作では、当時の目撃証言や科学鑑定への反証を試み、保険金詐欺事件との関係を読み解いていく。さらに、眞須美の夫・健治が自ら働いた保険金詐欺の実態を語り、確定死刑囚の息子として生きてきた浩次(仮名)が、母の無実を信じるようになった胸の内を明かす。

監督は、「不登校がやってきた」シリーズなどテレビのドキュメンタリー番組を中心に手がけてきた二村真弘。

映画.comより引用

The Thin Blue Lineと比較して観ると……

まず、『マミー』は二村真弘監督の撮れ高のなさから来る焦りによって鈍重で中途半端で独りよがりな映画になってしまっている。確かに、当時のヒ素分析手法に問題があり、林眞須美を死刑とする証拠にならないといった観点はこの事件を大きく動かすものがあるだろう。しかしながら、ここで重要なのは「真実を再検討する余地がある」ことであり、これによって「林眞須美が無罪」となる訳ではないのだ。しかしながら、二村真弘監督は最初から「林眞須美=無罪」ありきで話を進めている。そして、当時の関係者がなかなか語らないことによって論をまとめるための情報が集まりきっていないため、結局ぼんやりとした着地となっている。

ここで監督は迷いにより二つのベクトルで映画を推進させようとする。ひとつは林家の物語だ。保険金詐欺で家計が潤う、夫・林健治の狂気が家族を幸せにしていくものの、和歌山毒物カレー事件によって世間から「叩いていい人」のレッテルを張られ、社会から一切のケアを受けられなかった林家の悲劇の残滓を救いあげていく。ただ、これも家族にとってトラウマとなるできごとに触れるため薄ぼんやりとした語りとなっている。

そこで監督は、取材対象にGPSをつけたことで訴えられ示談事件になったことを隠さず提示する。これによりマスコミの暴走、つまり自分の信じる物語に当て込む危険性を語り出す。しかし、これも最後にポッと出すだけなので、論としては未熟であるように感じる。

それを考えると『The Thin Blue Line』はクレバーな方法を取っている。取材対象を映す際に名前を提示しない。淡々と語られる真実を基に再現ドラマを反復して描く。そこにフィルムノワールのフッテージを載せることで、ドキュメンタリーも監督が捉えたひとつの真実に過ぎないことを明示し、アダムスが死刑に値しないことだけを抽出し、実際の真実は曖昧にさせるのである。これくらい冷静に情報を整理していったのであれば『マミー』は和歌山毒物カレー事件再考の作品として効果的であったといえよう。
※映画.comより画像引用