『ルックバック』落下を解剖する

ルックバック(2024)

監督:押山清高

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

6/28(金)よりTOHOシネマズ日本橋ほかにて公開される藤本タツキの問題作をアニメ映画化した『ルックバック』を試写にて鑑賞した。「チェンソーマン」にて原作があれだけ映画を意識した運動で紡がれていたにもかかわらず、アニメシリーズはのっぺりとしたアクションが続いており、人類に藤本タツキ作品の映画化は早かったのかもしれないと思っていたのだが、本作は映画のルックをしていた。一方で、『ルックバック』は問題作として、公開されたら賛否どちらかに分かれるのではなく、SNSで議論されるべき作品であろう。単に、京都アニメーション放火事件に紐づく終盤の描写が生々しいとかだけではない。映画の運動としては評価できるが、アニメとしてはどうかといった観点でアニメ有識者の見解をうかがいたいところがある。ここでは映画の観点から書いていく。

『ルックバック』あらすじ

「チェンソーマン」で知られる人気漫画家・藤本タツキが、2021年に「ジャンプ+」で発表した読み切り漫画「ルックバック」を劇場アニメ化。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」や「君たちはどう生きるか」などさまざまな話題のアニメに携わってきた、アニメーション監督でアニメーターの押山清高が、監督・脚本・キャラクターデザインを手がけ、ひたむきに漫画づくりを続ける2人の少女の姿を描く青春ストーリー。

学生新聞で4コマ漫画を連載し、クラスメイトからも称賛されている小学4年生の藤野。そんなある日、先生から、同学年の不登校の生徒・京本の描いた4コマ漫画を新聞に載せたいと告げられる。自分の才能に自信を抱く藤野と、引きこもりで学校にも来られない京本。正反対な2人の少女は、漫画へのひたむきな思いでつながっていく。しかし、ある時、すべてを打ち砕く出来事が起こる。

ドラマ「不適切にもほどがある!」や映画「四月になれば彼女は」「ひとりぼっちじゃない」などで活躍する河合優実が藤野役、映画「あつい胸さわぎ」「カムイのうた」などで主演を務めた吉田美月喜が京本役を担当し、それぞれ声優に初挑戦した。

映画.comより引用

落下を解剖する

それはタイトル場面において、背中を魅せつつ、小さく映る鏡に映る表情から既に始まっている。学校新聞に四コマ漫画が掲載される。クラスメイトが寄ってたかって褒める。「こんなの5分で描いたよ」というが、タイトルシーン、夜な夜な集中して描いている背中が噓であることを示している。しかし、不登校である京本が描いてきたマンガに衝撃を受け、落胆をする。背景しか描かれていないマンガであるが、その緻密さに圧倒されるのだ。その日から、藤野は描いて描いて描きまくる訳だが、素人目からしたら絵が進化したようには見えない、長い停滞が続いているように見える。努力の背中の連続がそれを物語る。

だが、転機が訪れる。卒業式の日に、藤野は京本の家を訪れる。そこには、彼女の努力を凌駕するようなスケッチブックが無造作に置かれており、重々しく扉が待ち構えていた。運命の扉を潜るのは勇気のいることである。藤野は、素直になれない性格であることは周知のとおりだ。だから、運命の歯車は落下によって回り始める。映画は扉と落下によって運命を捩じるように捉えていくのである。

『トラぺジウム』『数分間のエールを』『ブルーピリオド』と才能の原石が血生臭い努力の上で足掻く作品が立ち並ぶ2024年において『ルックバック』もまた重要な作品だといえる。嫉妬、羨望、後悔、そして全身といったものをマンガにおける運動ー運動を止めることーを捉えつつも、映画として運動の連続性により努力が紡がれていく。もちろん、アニメとしての自由なスプリットスクリーン、漫画と実写映画の宙吊りに立つメディアとしての責務も果たす。だから、個人的には賞賛したい作品であった。

P.S.アニメ映画を観た時、実写だったら誰が描けるのかをずっと考えていた。恐らく是枝裕和だろう。翳りの魅せ方を考えたら三宅唱ではない気がする。空気感で言ったら奥山大史もありだろう。そして、実写化したらカンヌのコンペになりそうだ。漫画的コマ割りをどう描くかが肝だろう。
※映画.comより画像引用