猿女(1964)
La donna scimmia
監督:マルコ・フェレーリ
出演:ウーゴ・トニャッツィ、アニー・ジラルドetc
評価:95点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
国立映画アーカイブで開催されている「蘇ったフィルムたちチネマ・リトロバート映画祭」のラインナップがめちゃくちゃ豪華だ。マルコ・フェレーリの『猿女』があったので観てきたのだが、これが『グレイテスト・ショーマン』のような内容だった。なお、ある事情で結末に触れているのでご注意ください。
『猿女』あらすじ
アントニオ(トニャッツィ)は全身が毛で覆われたマリア(ジラルド)と知り合い、彼女を見世物にする興行を始める。『最後の晩餐』(1973)などで知られる奇才マルコ・フェレーリが、19世紀に実在した多毛症のメキシコ女性から着想を得て描くラブストーリー。2017年にFCB、TF1スタジオ、サーフ・フィルムが三者共同で修復し、本特集で上映するDCPにはイタリア公開版の後、ディレクターズ・カット版、フランス公開版のエンディングが続く。
※国立映画アーカイブサイトより引用
マルコ・フェレーリ流グレイテスト・ショーマン
修道院のような場所の食堂でアントニオ(ウーゴ・トニャッツィ)は、全身けむくじゃらな猿女マリア(アニー・ジラルド)と出会う。マリアは幼少期から差別を受けていたようで顔を見せたがらない。コンプレックスの塊のようだ。しかし、アントニオだけは彼女を恐れることなく「お前、稼げるぞ!」とビジネスに引き込んだ。彼は金のためならなんでもする男、金以外興味がないような男だ。マリアに芸を教え、ショーで稼ぐようになる。
本作はフィクションという特性を巧みに使って、差別の裏返しを描き切った危険な傑作である。アントニオは正直クズだ。金のためなら手段を選ばないし、マリアをモノ扱いしているので、必要があれば性的接待に差し出そうとする。しかし、彼だけがマリアとある種対等に関係を結べる。ショーのやり方に関して議論を行うレベルの関係なのだ。『グレイテスト・ショーマン』と異なるのは、その独特な関係が恋愛に発展していくところにあるだろう。
マリアは段々とアントニオに惚れていく。腕枕を迫るのだが、彼は嫌々ーそれは生理的拒絶ではなく、夫婦のじゃれ合いのようにー受け入れていくのである。
今回の上映が面白いのはマルチエンディング方式が取られており、3バージョン全ての結末を魅せてくれるところにある。
ディレクターズ・カットはマルコ・フェレーりらしく、切れ味も抜群、泣けるものだ。マリアが妊娠をする。有識者は中絶を勧める中、葛藤するふたりは出産を選択する。しかし赤子は死産となり、マリアも息絶える。その瞬間、今まで金の亡者で人の内面まで歩み寄らなかった彼が彼女に覆い重なるように涙するのだ。
イタリア版はこれを観ると蛇足に思える。彼女の死後、博物館に遺体が納められそうになるのだが、彼は阻止。再び興行師として活動を再開するというものである。
フランス版は、赤子が出産され、同時にマリアの毛も全て抜け落ちるのだが、それがきっかけでアントニオは職を失うといったもの。興行師として破天荒な人生を歩んできた男が親になり、愚直に生活費を稼ぐようになる。これはこれで味わい深いエンディングであった。