【 #死ぬまでに観たい映画1001本 】『生きる』絶望の先、悦楽の先にあるもの

生きる(1952)

監督:黒澤明
出演:志村喬、日守新一、田中春男、千秋実、小田切みき、左卜全、山田巳之助、藤原釜足、小堀誠、金子信雄etc

評価:90点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

もうすぐ黒澤明監督『生きる』のリメイクが日本公開される。南アフリカ出身のオリバー・ハーマヌス監督とノーベル賞作家カズオ・イシグロという異色コンビでリメイクされるので期待している。黒澤明版は中学3年生ぐらいの時に鑑賞して、「かったるい」印象を受けた。黒澤明映画は、やたらとセリフが聞き取り辛い作品が多く、中学時代にアレルギーを患ってしまった。「死ぬまでに観たい映画1001本」掲載作品でもある本作、大人になった今観たら面白いのではと思って鑑賞したところ、凄まじい作品であった。単に、社会の歯車が公園を作る話ではなく、そこに至るまでの演出が独特で、再考する必要を感じた。今回はネタバレありで書いていく。

『生きる』あらすじ

市役所の市民課長・渡辺は30年間無欠勤、事なかれ主義の模範的役人。ある日、渡辺は自分が胃癌で余命幾ばくもないと知る。絶望に陥った渡辺は、歓楽街をさまよい飲み慣れない酒を飲む。自分の人生とは一体何だったのか……。渡辺は人間が本当に生きるということの意味を考え始め、そして、初めて真剣に役所の申請書類に目を通す。そこで彼の目に留まったのが市民から出されていた下水溜まりの埋め立てと小公園建設に関する陳情書だった。この作品は非人間的な官僚主義を痛烈に批判するとともに、人間が生きることについての哲学をも示した名作である。

映画.comより引用

絶望の先、悦楽の先にあるもの

レントゲンの写真を提示し、「これはこの物語の主人公の胃袋である。噴門部に胃癌の兆候が見えるが、本人はまだそれを知らない」とナレーションは語る。志村喬演じる市民課長・渡辺が膨大な書類に埋もれながら退屈そうにハンコを押す場面を映す。ナレーションは「しかし今、この男について語るのは退屈なだけだ。なぜなら、彼は時間を潰しているだけだ。彼には生きた時間がない。つまり、彼は生きているとは言えないからである。」と辛辣なコメントを残す。その代わりに、部署内を案件がたらい回しにされていく様子が描かれる。彼が人間の心を失うには説得力しかない面倒臭さが提示されるのだ。

部下の小田切とよ(小田切みき)が、回ってきた文書に笑う。自分がいなくても役所は困らない状況に対する不安から休暇も取らずに働いているといった、本質を突くネタを朗読するが、それにもクスリとせず事務処理を淡々とこなす。

そんな彼が病院に行く。ここでは、医者が役人である渡辺と同じような態度を取る。待合室で、暗黙のガン宣告の内容を知った彼は、診察室で全く同じことを言われショックを受ける。真実を話すように、医者にせがむが、彼は事務処理的に扱うのである。システムとして人間の心を失った者が、システムによって同じ目に遭い、そこで初めて自分と対峙する。内なる不安に支配される中で、現実的恐怖が襲い掛かるのだが、この場面が非常に面白い。

トボトボと歩く渡辺。そこには音はない。彼は思索を巡らし、心が身体から抜けてしまったような状況でただ帰路を目指す。すると、突然工事現場の暗部が光はじめ、車が横切る。爆音が炸裂する。肉体の死の一歩手前という恐怖でもって男の心は戻ってくるのである。

映画はそこから長い長い寄り道を始める。恐らく、リメイク版ではカットされると思うほどに長いのだ。会社を無断欠勤して、残りの人生を生きようとするが、生を失ってしまった彼にとって上手く遊ぶことができない。そこで飲み屋で出会った小説家に懇願して生きる楽しさを教えてもらおうとする。この小説家が、メフィストのような立ち回りをする。彼を、パチンコ屋やビアホールなどといった悦楽の場へと導くのだ。そして、彼は悦楽に溺れ、目がギョロッとした怖いものへと変貌していく。彼自身がメフィストとなり、今度は役所をやめた小田切を悦楽の道へと誘うが、彼女は玩具会社での仕事に情熱を注ぎ、渡辺の奇行に嫌悪の眼差しを向けるのだ。ふたりが対峙する時、奥ではどんちゃん騒ぎしている女性が映し出される。それは快楽に溺れた者の像ではなく、何かを成し遂げたであろう者の像が映し出される。その煌びやかさと対照的に、悦楽の虚無に陥った者のヒリついた空気が迸るのである。

やがて、彼は役所に戻り公園を作ることになるのだが、なんと映画は回想形式の語り口でそのプロセスを紡ぎ出す。渡辺は死亡しており、通夜で関係者が彼の過去を語る形でプロセスが顕になってくるのだ。ここで、冒頭ナレーションが言及する「しかし今、この男について語るのは退屈なだけだ。」が利いてくるのである。そして、外野がワーワーガヤガヤ言っている状況が、膠着した組織における歯車となってしまった人間を協調する。そして、生きるとは目的を持って行動することであり、何もしない、何かしているだけ、そして誰かの行為を言及しているだけでは人生は空虚なものになってしまうことがここでグサッと差し込まれていく。

キャリアについて悩める社会人にとってこれほどまでに強烈な作品はないだろう。AIが爆速で人間のみができていたであろうことを実現できるようになり、効率化の渦の中で生きる意味を失いかけない時代に刺さる一本であった。

※MUBIより画像引用

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