『アバター ウェイ・オブ・ウォーター』悪用される肉体からの解放

アバター ウェイ・オブ・ウォーター(2022)
Avatar: The Way of Water

監督:ジェームズ・キャメロン
出演:サム・ワーシントン、ゾーイ・サルダナ、シガニー・ウィーバー、スティーヴン・ラング、ケイト・ウィンスレット、ジェマイン・クレメント、ジョヴァンニ・リビシ、クリフ・カーティスetc

評価:55点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

続編が作られると噂されて早10年以上の時が経ちついに放たれた『アバター ウェイ・オブ・ウォーター』。前作を観たのは中学3年生の時。友達と最前列で観たのだが、3D元年とも言える年だったせいか、字幕とのシンクロがイマイチで、黄色字幕と青い世界の距離感の残像に頭がクラクラした記憶がある。本作は、2010年代における3D映画の方向性を決めた作品である。




つまり、脅かす系から没入系への変化ともいえ、ヴェルナー・ヘルツォークが洞窟を取材した『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』やヴィム・ヴェンダースがピナ・バウシュの演目を3Dで捉えた『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』、パリにあるナイトクラブ「クレイジー・ホース」の公演を3Dで魅せる『ファイアbyルブタン』が作られた。また、ジャン=リュック・ゴダール『さらば、愛の言葉よ』やビー・ガン『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』のように、デジタル時代の3D映画で何ができるのかを突き詰めた作品も発表された。

さて、今回の『アバター ウェイ・オブ・ウォーター』。予告編を観ると、前作から全く進歩していないように見える画に不安を抱いた。しかも上映時間が3時間12分ととても長い。Twitterでの反応もお世辞にも良いとはいえない。しかし、この手の作品は映画館で観て、生き証人となるべきである。せっかくなのでMX4Dで観てきた。結論から言おう。めっちゃ目が疲れました。劇中の言語に併せて黄色や白の字幕を切り替える演出となっていたのだが、中学3年生の時同様、焦点がなかなか定まらず、慣れるまで2時間かかりました。それでは内容について触れていくとしよう。

『アバター ウェイ・オブ・ウォーター』あらすじ

ジャームズ・キャメロン監督が革新的な3D映像を生み出し、全世界興行収入歴代1位の大ヒット作となった「アバター」の約13年ぶりとなる続編。前作から約10年が経過した世界で、新たな物語が紡がれる。

地球からはるか彼方の神秘の星パンドラ。元海兵隊員のジェイクはパンドラの一員となり、先住民ナヴィの女性ネイティリと結ばれた。2人は家族を築き、子どもたちと平和に暮らしていたが、再び人類がパンドラに現れたことで、その生活は一変する。神聖な森を追われたジェイクとその一家は、未知なる海の部族のもとへ身を寄せることになる。しかし、その美しい海辺の楽園にも侵略の手が迫っていた。

ジェイク役のサム・ワーシントン、ネイティリ役のゾーイ・サルダナらおなじみのキャストが続投し、前作でグレイス・オーガスティン博士役を務めたシガニー・ウィーバーが、今作ではジェイクの養子キリ役をモーションキャプチャーによって演じている。

映画.comより引用

悪用される肉体からの解放

本作は「海には始まりも終わりもない」をキーワードに、我々のいる世界における戦争の歴史を虚構から語りなおし分析する作品となっている。駆け抜けるように、パンドラに住むナヴィ族と地球から来た者スカイ・ピープルとの軋轢を語る。これはまさしくアフリカとヨーロッパとの関係を表したものであり、資源のために侵略する存在とそれに対抗する存在があり、そこに部族間の軋轢が絡み厄介なこととなる。本作が緻密なのは、異なる部族・種族との間に生まれた子どもによる葛藤を含んだものとなっており、現実社会同様の複雑さを形成している。前半2時間はひたすら、このディティールを描きこむものとなっている。

難民として別の部族の村に移住したナヴィ族一家。子どもたちは喧嘩をする。原因は見た目によるものだ。ありがちなトラブルである。それを大人の政治的関係性による教育でもって鎮める。子どもたちはそれを受けて社会と繋がっていく。

また、ナヴィ族はスカイ・ピープルの道具を使って治療しようとする。スカイ・ピープルの合理的・論理的アプローチを援用しようとする。しかし、海の部族は自然的なもので治癒を試みる。それはどこかスピリチュアルなものである。しかし、映画はどちら側にも肩入れすることなく、それぞれが信じるものを活用して問題解決する様を捉える。この観点に惹き込まれるものがあった。我々は時として、テクノロジーを高く見て、呪術的なものを下に見ることがある。

しかし、どちらも本質を突き詰めれば、「善い」ことをするために技術を使うのには変わりがない。ジェームズ・キャメロンはここに着目し、技術と生きる者との関係性を浮かび上がらせたといえる。そして、この観点は水中生物にまで適用される。

また、前作はどうだったか忘れたが、大佐側のアバター理論が興味深い。メタバースやVTuberが一般的になりつつある今においてアバターは「与えられた肉体から解放する存在」という認識が高まっている。前作におけるアバター像は「与えられた肉体」から「与えられた肉体」への移動であったと記憶している。本作の場合、「与えられた肉体」から解放された大佐は、ナヴィ族のアバターになることで、侵略作戦を円滑に進めようとしている。故に「与えられた肉体から解放する存在」が悪用される世界を描いているのだ。この視点は面白かった。

さらに、終盤1時間はジェームズ・キャメロンの集大成ともいえる人工物アクションとなっており、『ターミネーター』2作、『エイリアン2』、『アビス』、『タイタニック』の要素が全部乗せとなっている。傾く戦艦の中で、オブジェクトがスルスル横滑りする中でのアクション。機械と機械の間を縫うアクション、そして何よりも浸水する戦艦の中で、回転する空間の中で次々と自分の足場を切り拓いていくアクションに感動した。

しかし、一方で複雑さも感じる。あれだけ、戦争が起きてしまう原因、戦争の恐ろしさを描いているのに、後半の手が陽気に吹き飛ぶ場面を含めたスペクタクルは本作のテーマから乖離するものとなってしまっているのではないか?確かに後半1時間はこの映画の中で一番面白いものの、戦争のエンタメ化に陥ってしまい、前半が反戦映画みたいな立ち位置だったことを踏まえると『トップガン マーヴェリック』以上に冷静に観ないといけない気がする。

また、部族間同士の共通語が英語なのも気になった。インドネシア語が簡単だといわれる理由について有識者に訊いたことがある。様々な部族が集まるインドネシアにおいてコミュニケーションが取れるように最適化された言語がインドネシア語だという。せっかくナヴィ語を用意しているのなか、パンドラにおける共通言語を作って会話した方がよかったのではないかと感じた。英語至上主義の悪いところである。

結局、思いの外悪くはなかったが、モヤモヤするところが多い作品であった。

※映画.comより画像引用