セノーテ(2019)
cenote
監督:小田香
評価:50点
おはようございます、チェ・ブンブンです。タル・ベーラのもとで修行をし、『鉱 ARAGANE』で注目された小田香監督新作にして、山形国際ドキュメンタリー映画祭を騒がせた作品『セノーテ』。恵比寿映像祭で観てきました。これが非常に評価が難しい作品でありました。
『セノーテ』概要
メキシコ・ユカタン半島北部には天然の泉セノーテが点在する。古代マヤ人にとって大事な水源であったセノーテは、現在もマヤ文明にルーツを持つ人たちが生活用水として使用している。セノーテは現世と冥界を繋ぐ場として多くの生贄が捧げられたと言われ、現代に至るまで人々の命に深くかかわる存在である。作家自ら潜水して撮影した映像に、水に落ちた人たちの意識を語り部の視点で重ねていく。同時に現在そこで暮らす人たちの顔や生活を映し出し、観客は死者と生者いずれもと対峙する。集団的記憶を、映像表現によって立ち上げようとする試み。
※第12回恵比寿映像祭サイトより引用
Don’t think,feelを読み解くこと
Q&Aを聞くと、監督は良くも悪くもフィーリングで映画を作っており、作品における理論に関する質問は曖昧な形の回答となった。
ブンブンも、本作における水中の境界線を執拗に撮る様の意図を監督に尋ねたが、ただ一言「境界が好きだったから」と返すのみであった。
そもそも、企画は水が苦手な筈の彼女がサラエボの大学で勉強中に同期だったメキシコ人《マルタ》から「香は次何を撮るのか?」と訊かれ、咄嗟に「水、海が撮りたい」と返したことから始まった。
マルタの紹介で、メキシコ・ユカタン半島にあるセノーテを知り、取材をしていくなかで本作が生まれた。撮影はiPhoneをベースに行い、時折8mmや5Dで撮影を試したのだ。
つまり、彼女のインスピレーションで本能的に作られた作品で、理論云々な作品ではない。そこがパトリシオ・グスマンと異なるポイントである。
故に、水中から境界線を見る様は、まるで未知なる惑星の大地を観るような視線になっている。現地民の姿を8mmで古ぼけた映像に魅せ、それと対比するように水中を映すことで、人々の記憶は朧げだが、自然は鮮明に歴史をアーカイブしていることを強調しているように見える。
また、生を支配しようとする人類の支配が及ばぬ場所として水があることを、蒼い光線や音が木霊する異様な空間から見出そうとしている。
確かに、本作は映像体験を自分の言葉に落とし込んでなんぼな作品ではあるが、幾らなんでも観客に委ね過ぎな気がする。現代アートとは、誰もが「自分だってできるよ。」と言いたくなるものに対して理論武装することで認められるもの。つまり理論無くして現代アートは成立しないもの。それだけに感覚だけで映像を製作してしまっている本作は致命的なものを感じる。では文化人類学的なドキュメンタリーとして観た際にはどうだろうか?これもメキシコの文化をつまみ食いしただけに留まっており、メキシコの歴史や文化とセノーテの関係性を結びつけるのに失敗している様にもみえた。
今後、感覚をどのように理論に落とし込めるかが見ものである。
P.S.小田香監督が好きな作家として、ペドロ・コスタ アピチャッポン・ウィーラセタクン、カルロス・レイガダス、王兵、佐藤真を挙げていた。それは納得である。
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