【ネタバレ考察】『家族を想うとき』日本の労働環境の方が酷過ぎて違った意味で涙する

家族を想うとき(2019)
Sorry We Missed You

監督:ケン・ローチ
出演:クリス・ヒッチェンズ、デビー・ハニーウッド、リス・ストーンetc

評価:40点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

昨日、映画仲間と一緒にケン・ローチ最新作『家族を想うとき』を観にいきました。正直、ブンブンはケン・ローチが嫌いです。いや、彼がイギリスや世界に蔓延る問題に目を向けて渾身の作品を放とうとする精神は素晴らしいと想うし、毎回引退すると言いながらも新作を制作しないといけないまでに現代が病んでいるので彼の引退詐欺っぷりは別に気にしていない。しかし、毎回貧困のリアリズムを盾にして、映画的演出ができない自分を隠そうとしている姿勢が嫌いなのです。前作の『わたしは、ダニエル・ブレイク』はパルムドールを獲りました。キネマ旬報ベスト・テンで1位に輝きました。しかし、それはテーマが偉大なのであって、映画的観点で観たら、説明台詞過多な社会派の域を出ておらず、巨匠が放つ作品としてはイマイチだと感じました。そんなブンブンでも、今回の『家族を想うとき』は半年前から期待していました。というのも、2010年代不気味に忍び寄る労働者の形をしっかり描いてくれそうな気がしたからです。

今、日本ではUber Eatsが上陸し、流行に敏感なシティ・ボーイ&ガールは積極的に使っているかと思います。しかし、Uber Eatsのビジネスモデルは我々を蝕む罠だったりします。つい先日12/5にはウーバーイーツユニオンが一方的な賃金引き下げがあったとウーバージャパンに抗議を申し立てた(Yahoo!ニュース《ウーバーイーツが一方的な報酬引き下げ。労働組合が抗議》2019/12/6参照)。それに対し、ウーバージャパンは配達員を労働者と認めない強固な姿勢でカウンターを仕掛けた。Uber Eatsは文化を浸透させるために、最初は羽振り良く魅せるのだが、依存関係を構築した途端、給料を下げ始めるのです。その話と、本作で描かれるであろう運送業者の苦悩は近いものを感じました。

さて新宿武蔵野館へ行くと満席近くまで埋まっていました。

やはり人々の関心が高い作品なんだろう。ただ、この作品想像以上に厄介な作品でありました。そこで、ここではネタバレありで本作の問題点と、本作から見えてくる労働環境の深淵について考察していこうと思います。

『家族を想うとき』あらすじ


「麦の穂をゆらす風」「わたしは、ダニエル・ブレイク」と2度にわたり、カンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞した、イギリスの巨匠ケン・ローチ監督作品。現代が抱えるさまざまな労働問題に直面しながら、力強く生きるある家族の姿が描かれる。イギリス、ニューカッスルに暮らすターナー家。フランチャイズの宅配ドライバーとして独立した父のリッキーは、過酷な現場で時間に追われながらも念願であるマイホーム購入の夢をかなえるため懸命に働いている。そんな夫をサポートする妻のアビーもまた、パートタイムの介護福祉士として時間外まで1日中働いていた。家族の幸せのためを思っての仕事が、いつしか家族が一緒に顔を合わせる時間を奪い、高校生のセブと小学生のライザ・ジェーンは寂しさを募らせてゆく。そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまう。2019年・第72回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。
映画.comより引用

産業革命時代の悪夢再び

かつて、イギリスでは“Eight hours labour, Eight hours recreation, Eight hours rest(8時間働き、8時間余暇を過ごし、8時間休む)”をスローガンに労働時間を8時間に制限させた。産業革命で10時間以上労働、1週休1日が当たり前だったイギリスにおいてニュー・ラナークの工場が実践したことは労働者に救いをもたらし、それは世界遺産として人類が継承していく思想となった。それから200年が経った。人々は忘れてしまったのだろうか?最大の労働時間が8時間であるということに。人々は残業をする。ITの発達で、家に帰っても仕事をするようになった。電話が掛かれば直ぐに現場に向かわねばならなくなった。そして労働時間はジワジワと伸びていった。

そして、人類は産業革命時代を超える暗黒期に到来しようとしている。それは、人類の誤解から始まった。IT化により、なんでもコンピュータにやらせることで人類は労働から解放されると思い込んでいたのだ。結果はどうなったか?コンピュータは確かに、マンパワーで数ヶ月かかる作業を数分で完了させるハイパフォーマンスを実現した。膨大なデータを処理することを可能にした。機械学習によって、どんどんコンピュータは賢くなっていった。その一方で、コンピュータができない仕事。あるいは予算や技術、諸々の事情でコンピュータに任せられない仕事だ出てきた。それを人類が埋め合わせることになったのだが、コンピュータが膨大な仕事を処理できる故に人類の仕事も増大してしまったのだ。しかし、そのメカニズムに気づかない人が多いので、人々は次々とAmazon等でショッピングをし、次の日に完璧な状態で荷物が届くことを期待するようになった。最後の仕事は人間がやっているのに、コンピュータのような完璧さを求めてしまい、社会はダークサイドに堕ちようとしているのだ。また、膨大な仕事を人間が処理するとなると、人員が必要となるのだが、そのコストは高い。かといってその仕事はコンピュータができない領域故、どうしても雇わざる得ない。こういったジレンマから、遂にギグ・エコノミーという恐ろしいビジネスモデルが登場してしまった。労働者を個人事業として、BtoBの関係にするのだ。そうすることで、会社が負うコスト的リスクを極限までに減らすことに成功したのだ。

こういったリスク回避方法は、企業対企業の関係で割と行われていたもの。例えばメーカーが作っている製品を使ったソリューションを購入するんだけれども、製品を使った運用を「お宅らの方が製品に詳しいんでしょ?だったらニーズに合わせてその製品を使って私たちの必要なものを製造から納品までやってよ。」といい、メーカーに丸投げするケースは割とよく見る光景だったりする。入札競争をさせることで、割に合わない仕事でもメーカーが飛びつくような仕組みまで作られていた。それが企業対労働者個人レベルにまで及んでいるのです。

ケン・ローチは、そういったビジネスの犠牲者を目の当たりにして今回引退宣言を撤回し製作しまし。

あのぅ、、、ケン・ローチさん、全部説明するのはどうかと、、、

ただ、正直『わたしは、ダニエル・ブレイク』以上に社会問題を提示することに注力しすぎて、全てが説明台詞になってしまう残念な作品でありました。登場人物は、電話で話したことや、カメラの外で起こったことを全て台詞で言ってしまう。

「朝7時から夜の9時まで仕事ですって?」
「おばあちゃんの介護に行かなきゃ。彼女はもう3時間のトイレに行けなくて困っているんだ。」
「警察から電話があって、息子が万引きで捕まったんだ。妻と連絡がつかなくて、このままだと息子が有罪になってしまう。」

みたいに、いちいち全部説明するのです。ある程度はリアリズムの映画だからしょうがないという感じもするのですが、電話をする→その内容を全て目の前にいる人にベラベラと説明するという描写があまりに多くて、作劇が下手だなと思いました。ケン・ローチの悪いところは、リアリズムを意識するあまり映画としての視覚的訴えに弱いところがある。『わたしは、ダニエル・ブレイク』の場合、IT弱者であるダニエル・ブレイクが図書館のパソコンで役所の手続きをしようとするのだが、機械音痴すぎて全く手続きが捗らない様子を遠巻きに写すところに、視覚的強烈さを感じた。デジタルディバイドとはなんなのか、そして情報弱者を冷ややかに見る社会の視線というものを映画的ショットで魅せてくれていた。確かに、本作にもそういったショットはある。頭はいいが、親の姿に絶望し引きこもり不良となってしまった息子が怒って、家出する場面。彼は家出する際に、階段に飾られている家族写真に《×》とスプレーを吹きかけていくのだ。そして次の日、家族は息子の家出を知ると同時に父の宅配車の鍵がなくなっていることに気づく。この一連のショットから、観客は息子が鍵を奪ったのだと思うのだが、実際には娘が家族の愛を取り戻すためにぬいぐるみの中に隠していたことが判明する。モンタージュによる刷り込みの巧さを感じるものの、露骨すぎる家族の崩壊像と御涙頂戴に寄せたあざとさにげんなりしてしまった。

極めつけは、宅配中にリッキーがチンピラに襲われて宅配物は奪われ、命綱の機械は壊され、尿を入れるペットボトルはぶっかけられてしまう場面。

病院のシーンで、妻から

「あんた、どうしたの?漏らしたの?」と言われると
「尿便さ。」と彼は答えるのです。

社会的屈辱を味わい、プライドをズタズタにされたあの状態で《尿便》のことを周りに人がいる状態で言えるのか?という問題と、そもそもそれを台詞に盛り込む必要があるのかという二重の問題がここにあります。

そんな彼に上司のマロリーから電話がかかる。

「保険は降りたが、パスポート2冊500ポンド(約72,500円)、機材1,0000ポンド(約145,000円)弁償してもらうぞ。」

幾ら何でも設定盛り過ぎな気がします。確かに、機材弁償の件はリッキー入社時にマロリーから「こいつを無くしたら弁償だからな」と言われており伏線となっているが、パスポート弁償の件はやり過ぎです。病院にいるのに、明日の担当者交代はどうする?と訊かれてブチギレる程度に留めるべきでした。

ラストシーンについて

そんな本作のラストは、怪我でボロボロになったリッキーが家族の制止を振り払って車を動かすものの、疲れから交通事故を起こしそうになって、泣きながら道路を爆走するところで終わる。交通事故や心臓発作等でリッキーが死亡するのを期待するが、そうさせないことで死のうにも死ねない現代社会というものを叩きつけて映画は終わるのですが、それだったらリッキーが目眩を起こし事故寸前になる描写があまりにわざとらしい。死亡オチ以上に映画的わざとらしさが滲み出ていて、最後まで映画として微妙でした。

このようにケン・ローチお得意の貧困のリアリズムにより、批判しにくい作りの下で自分の演出力のなさを隠しているような厭らしさを今回も感じてしまいました。

おまけ:日本の方がヤバすぎるぜ

実は本作を観て凄い悲しくなりました。

というのも、本作で描かれる地獄以上のことが日本でまかり通っているからです。先日、経済産業省の調査でコンビニオーナーの85%が週休1日以下だと発覚しました。日本のコンビニ業界は、本作における運搬業者同様フランチャイズ契約が主流となっている。Business Journal《セブン、元旦休業拡大か…「人件費等はすべて店舗負担、本部は利益の6割吸い上げ」》によれば、タイトル通り粗利の60%が本部に取られ、人件費も自己負担とのこと。

元旦は休業する。そう宣言したのが、セブン-イレブン東大阪南上小阪店の松本実敏オーナーだ。その呼びかけに応じて、元旦休業を行おうとしているセブン店舗も増えているという。なぜ元旦休業するのか。松本オーナーは言う。

「命の問題です。24時間365日営業していなくちゃいけないというなかで、従業員が足りないことでオーナーにしわ寄せが行って、自殺や過労死も出てます。コンビニに休みがあるいうんはすごい画期的なこと。これが当たり前になれば、20年以上休んどらんというオーナーも1日だけでも休むことができるでしょう」

松本さんは、人手不足から2019年2月から24時間営業をやめ、午前6時から翌午前1時までの19時間営業に切り替えた。当初、セブン本部は「24時間営業がブランド」だとして契約解除を突きつけたが、松本さんは深夜休業を続けた。世論の後押しもあり、セブン本部は11月1日にフランチャイズ加盟店向けに配布したガイドラインで、午後11時から翌日午前7時までの最大8時間の深夜休業を認めるとした。

商品の搬入が深夜に行われるシステムになっているから、深夜も店を開けていなければならないという説明が当時マスメディアでも聞かれた。だが、松本さんの店舗では、深夜休業しても営業が続けられている。

「当初は店の出入り口を鍵で開閉してたんやけど、指紋認証を導入しました。メーカーの納品担当の人の指紋を登録しといて、その人が指を入れただけで開くようになったんです。深夜に納品だけしといてもろうて、私が朝来てそれを検品して商品を出します。本部のなかでもいろいろで、商品部とかいろんな部が、時短に対してそういう協力をしてくれました。納品に関して今、まったく問題はないです。令和の時代の新しいコンビニの形態が、できあがりつつあるんかなと思うてます」

セブン本部からのフランチャイズ加盟店向けのガイドラインには、深夜休業を認める一方で、正月やお盆を例に挙げて「利用客や配送業者に混乱を招くため特定の時期の休業は認めない」として、365日の営業を続けるよう明記されている。
Business Journal《セブン、元旦休業拡大か…「人件費等はすべて店舗負担、本部は利益の6割吸い上げ」》2019/12/07 文=深笛義也より引用

最近は、コンビニオーナーたちが団結し、大元相手に声を挙げたおかげで24時間365日体制を崩す動きになってきているのだが、マロニーのような冷酷組織の牙城を崩すことは困難を極めている。そこに、Uber Eatsのような外資の存在もジワジワにじり寄ってくる。日本の場合、ただでさえ長時間労働低賃金がまかり通っている国。しかも、どの国以上に高いサービスを求められる鬼畜大国となってしまった。運送業界に関しては、本作の場合、まだ受取人が出るからいいよ。日本の場合、皆が朝から晩まで働いているので、Sorry We Missed Youばかりだ。

そして、最近アメリカで「市民に無条件で金を与えたら堕落するのでは?」という仮説のもとに、貧困層にお金をあげる実験を行ったところ、生活に余裕が出てきて、キャリアについて考える余裕が生まれたという仮説に反した結果が出ました(ライブドアニュース《市民に毎月5万4000円を配った米実験 経済に悪影響と批判も予想外の結果》2019/12/12)。

これは今や貧困層にいるのが酒を飲まない(酒を飲む余裕がない)、ギャンブルをしない(ギャンブルをする時間がない)、真面目に労働する人だということを表しています。ただ懸命に生きているだけなのに、全く報われないのです。そして、それが顕著に現れているのは日本であります。今や周りを見渡せば、酒、タバコ、ギャンブルはせず、趣味もない、ただ真面目さだけがある虚無な労働者が増えています。

人間はロボットではありません。しかし、ロボットになりつつあるのです。

世界規模で広がっている闇であると共に、日本がその最前線を突き進んでいることを知り、悲しくなりました。

P.S.『アリ地獄天国』公開希望

諸事情があり、なかなか一般公開、拡大公開できていない『アリ地獄天国』。『家族を想うとき』がこうも映画館、Twitterで盛り上がっているのであるのなら、頑張って拡大公開してほしいなと思います。無論、色々と圧力がかかる映画ではありますが、ポレポレ東中野さん、アップリンクさんどうですか?
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