よこがお(2019)
監督:深田晃司
出演:筒井真理子、市川実日子、池松壮亮etc
評価:85点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
日本で唯一毎回ヨーロッパ映画のタッチで歪な物語を紡ぎ出す鬼才がいる。その名は深田晃司。『ほとりの朔子』でナント三大陸映画祭 グランプリ金の気球賞と若い審査員賞の二冠に輝き、東京国際映画祭作品選定プロデューサー矢田部氏にも見出された彼は、『淵に立つ』でカンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞を制覇した。黒沢清とはどこか違う歪で不気味な世界観は『海を駆ける』でマイルドになったかと思いきや、今回はとんでもない恐怖を持ってきました。「夏だ、怖い話のシーズンだね♪」と言わんばかりに。
そして、この作品は、映画.com等のあらすじも予告編も触れてはいけないタイプの何言ってもネタバレ地雷原な作品でありました。ということで、ここではネタバレ全開で語ってみます。
『よこがお』あらすじ
カンヌ国際映画祭ある視点部門で審査員賞を受賞した「淵に立つ」の深田晃司監督が、同作でもタッグを組んだ筒井真理子を再び主演に迎え、不条理な現実に巻き込まれたひとりの善良な女性の絶望と希望を描いたサスペンス。周囲からの信頼も厚い訪問看護師の市子は、1年ほど前から看護に通っている大石家の長女・基子に、介護福祉士になるための勉強を見てやっていた。ニートだった基子は気の許せる唯一無二の存在として市子を密かに慕っていたが、基子から市子への思いは憧れ以上の感情へと変化していった。ある日、基子の妹・サキが失踪する。1週間後にサキは無事に保護されるが、誘拐犯として逮捕されたのは意外な人物だった。この誘拐事件への関与を疑われたことを契機に市子の日常は一変。これまで築きあげてきた生活が崩壊した市子は、理不尽な状況へと追い込まれていく。主人公・市子役を筒井が演じるほか、市川実日子、池松壮亮、吹越満らが脇を固める。
※映画.comより引用
冒頭から怖い
本作は、幽霊も怪物も出てこないし、なんなら血まみれ大惨事というのもない(いや直接は見せていない)。にも拘らず、背筋に突然ピタリと氷の柱をつけられたのようなゾワゾワが全身を包みます。冒頭、美容室。筒井真理子演じる女が池松壮亮演じるヘアスタイリストと話している。彼が「どこかでお会いしました気がする」と言い始める。「いやいや今回が初めてですよ」とほくそ笑む彼女。そこに「指名されたからどっかでお会いしたかと」という疑問が投げかけられる。その問いに対して「死んだ夫の名前と一緒なのです。」と答えるのです。初めてその美容室を使うのに、美容師の名前を知っていて、尚且つ死んだ夫の名前と同じと言い始める。その美容室は大手の有名店ではなく、個人店で到底その美容師が有名に思えない。頭の中が混乱してくる。
すると、彼女の日常が繰り広げられる。どうやら彼女は家政婦らしい。そして彼女の周りの人間関係は良好で、出向先の家庭の子供とカフェでおしゃべりしたり勉強の手伝いをしたりするのだ。かと思うと、例の美容師をストーカーしたり、彼女が犬になり街を闊歩する謎のシーンが挿入されたりして混乱してくる。一体これはどういう作品なのだろう。
それが1時間ぐらいしてくると段々と状況が飲み込めてくる。彼女の幸せだった時間と、ある事件によって壊れてしまった時間が等価に並べられているということに。そして次第に、謎の一つ一つがわかってくる。それはよくあるミステリー映画のように「これが答えですよ」と露骨に提示するようなことがない。伏線が思わぬ形で画面に出てきたときに、セリフで出てきたときにスッと腑に落ちるのです。例えば、市子が家庭で和気藹々している時に映り込む、誘拐事件のニュース。市川実日子演じる出向先の娘が、市子の旦那の出現に怯える様子。勃起の小話に、弄りの小話と。
深田晃司流デカローグ
本作は恐らくクシシュトフ・キェシロフスキの『デカローグ』を意識した作品であろう。『デカローグ』とは聖書の十戒をインモラルに脱構築したテレビシリーズ。『よこがお』でたびたび提示される気まずい空気は、第8話『ある過去に関する物語』における教室に乱入してくる謎の男を彷彿とする。また、車を使った狂気描写は第3話『あるクリスマス・イヴに関する物語』で無理心中しようと元彼でありサンタクロースコスプレをしていたおっさんを車で振り回す様を思い出させる。そして本作の窓を使った構造、そして異常な愛や喪失の埋め合わせは第6話『ある愛に関する物語』そのものでした。『ある愛に関する物語』は公共住宅の向かいに住む女に惚れた郵便局員の青年が、毎晩のように彼女の家を覗き見し、無言電話をかけたりし、彼女が近づいてくるところに背徳感と興奮を得る話であった。ここでは、市子が何もないアパートから向かいの家を覗き込み、犬の遠吠えをして翻弄させたり、美容師と偶然遭遇する仕草を魅せて彼の住所を割り出そうとしたりしている。
居場所を失った彼女が、他人の家に侵入することで孤独を癒そうとしていることを『ある愛に関する物語』の要素から引き出そうとしているのです。だからこの作品には必ず、家を覗き込む側と覗かれる側の視点が入れられる。建物の内側と外側を強調して描かれる。これは単に出向先の家や市子の家に留まらず、家政婦事務所にまで及んでいる。彼女は部外者にも拘らず、身内が誘拐強姦疑惑で揺れ動き、マスコミが事務所に殺到する場面。直接、市子がクビになる様子は描かれない。市子が事務所の扉から出てきて、マスコミに向かってまるで他人事のように「会社を辞めました」と語るのだ。これは、彼女が居場所を失ったことを物語っているのだが、事務所の大きさ、袋の鼠のような構図を作り出すことで、居場所を失った、追放されたことを強調していると言えよう。
このようにきめ細かい演出は、時として黒沢清的突然差し込む陽光描写(ほぼ『岸辺の旅』だよね)を入れることで、小野川浩幸の不気味すぎる音楽を差し込むことで、磨きのかかった妖刀へと化け、観客の心を擦り、魅惑の果実と傷を負わせることに成功している。そして、解けたようで何か見落としているような気持ちにさせられ、長い間記憶に残る作品となった。
どうやら『海を駆ける』はただの休息だったようだ。パワーアップにパワーアップした彼の超絶技巧に唸らされたのであります。
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