【カンヌ国際映画祭特集】『Plaire, aimer et courir vite(好かれ、愛し、駆け抜ける)』ゲイ映画におけるナルシズム

Plaire, aimer et courir vite(2018)
英題:Sorry Angel

監督:クリストフ・オノレ
出演:ヴァンサン・ラコスト、Pierre Deladonchamps、Denis Podalydès etc

評価:60点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第72回カンヌ国際映画祭受賞結果が発表されました。ある視点部門の俳優部門で『CHAMBRE212』のキアラ・マストロヤンニが俳優勝を受賞しました。そんな『CHAMBRE212』を撮ったクリストフ・オノレ前作『Plaire, aimer et courir vite』を観ました。本作は昨年のカンヌ国際映画祭で無冠だったものの批評家から賞賛され、allocineによるとフランスメディア20媒体中《Positif》を除く19メディアが肯定的な意見を出していました。例えばリベラシオン誌は「エイズ元年における感傷的な愛の始まりと最後の愛を交差させている」と評し、フィガロ誌は「クリストフ・オノレの映画の中で最も美しい作品であることを刻んだ」と評しています。英題は『SORRY ANGEL』と味気ないのですが、原題は『Plaire, aimer et courir vite(プレール、エメー エ クーリールヴィットゥ)』と美しい旋律を持つものとなっており、意味も「好かれ、愛し、駆け抜ける」とロマンチックです。日本では『NOVO/ノボ』、『ジョルジュ・バタイユ ママン』とエロ映画のイメージが強く、ついには『変身物語 神々のエロス』と原題である《Metamorphoses(変態たち)》を誇張した邦題がつけられるようになってしまった監督ですが、今回は繊細な愛の物語になっていました。

『Plaire, aimer et courir vite』あらすじ


1990. Arthur a vingt ans et il est étudiant à Rennes. Sa vie bascule le jour où il rencontre Jacques, un écrivain qui habite à Paris avec son jeune fils. Le temps d’un été, Arthur et Jacques vont se plaire et s’aimer. Mais cet amour, Jacques sait qu’il faut le vivre vite.
訳:アーサーは20歳で、レンヌの学生。彼の人生は、息子と共にパリに住んでいる作家のジャックと出会うことで変わっていきます。夏、アーサーとジャックはお互いを好きになり、お互いを愛します。しかし、ジャックはを知っていますこの愛が儚いことに…
allocineより引用

薄花色に染められた『君の名前で僕を呼んで』

昨年、カンヌ国際映画祭で本作のあらすじを観た時、「これって実質『君の名前で僕を呼んで』だよね?」と感じた。そして実際に観てみると、随所に『君の名前で僕を呼んで』の面影を感じました。無論、製作時期的にオノレ監督が『君の名前で僕を呼んで』を意識していないことは十分承知です。

マッシヴ・アタックの『ONE LOVE』のアンニュイなサウンドが漂う空間に提示される俳優の名前。あまりのカッコいいオープニングに観るものは惹かれていく。そして薄花色にコントロールされた空間で、作家のジャックと彼の友人で新聞編集者のマシューとが知的な会話をします。ジャックはAIDSを患っており、また元恋人マルコに囚われて悶々とする気持ちをマシューにぶつけていることがわかります。そこに、新しい標的が現れるわけです。『ヒポクラテスの子供達』で意識高い系の痛い学生を好演していたヴァンサン・ラコスト演じる学生アーサーと邂逅するわけです。そしてジャックはアーサーにぽっかりと開いてしまった穴を埋めるために、アーサーは自分に見出された同性愛性への惑いに対する答えを求めてジャックと会うようになります。まさしく原題のPlaire/Aimerが利いてくる訳です。一歩距離をおいた、Plaire(気にいる、好かれる)から主観的積極的Aimer(好きになる)瞬間を描き、またそこからPlaireに戻って行ったりする過程を描いているのです。

本作の舞台となっている1990年と言えば、『BPM ビート・パー・ミニット』でもフォーカスが当てられていたAct Up-ParisがAIDS問題を世に知らしめるため、過激なデモを行い始めていた時期。そして、AIDS=同性愛者のなる病気として蔑視の視線が社会に広がっていた時期。アーサーは、女性を抱いたり、ジャックから逃れようとすることで、本能を押し殺すことで社会の目線から逃れようとしています。そして、他とは違う愛に対して自分の落とし所を見つけることで愛の本質を見出そうとする様子は『君の名前で僕を呼んで』に通じるものがあります。

ナルシズムとしてのLGBTQ映画問題

ただ、この映画のインテリゲンチャで耽美的で、非常に洗練された脚本を安易に評価するのはちょっと危険だと感じた。昨年絶賛した『君の名前で僕を呼んで』は、同性愛としての躊躇いという枠を完全に取っ払って、ジェンダーの話抜きに愛の葛藤を描くことで問題を回避できたと思うのだが、本作はあまりにもナルシズムがキツい。同性愛問題についての理解度を観客に強烈に突きつけていくのだが、それがゲイに対する高飛車、上から目線に繋がっているように見えてしまいます。

活かした音楽、アート的表現、知的な会話と問題提起を入れれば高評価をもらえるのではというあざとさが見え透いているのです。もちろん、本作の演出はサイコーにカッコいいし、音楽センスも抜群だ。役者の演技も繊細で素敵。だが、『君の名前で僕を呼んで』と比べると、愛に対して幾分傲慢な気がしました。

もちろん、LGBTQ映画や性に纏わる挑発的な映画は、観る者の感性でグラグラ左右される。同じテーマでも真逆の反応を示したりすることはある。なので同じものさしで測れそうで測れないという問題を孕むジャンルである。なので同じ舞台にあがっているはずの『君の名前で僕を呼んで』と『Plaire, aimer et courir vite』ですが、ブンブンの評価は割と真っ二つに分かれました。本作はどうやら配給がついているようです。日本だとそのうち文化村とかシネスイッチ銀座あたりで上映されるのではと思います。

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