ソフィア・アンティポリス(2018)
SOPHIA ANTIPOLIS
監督:ヴィルジル・ヴェルニエ
出演:Dewi Kunetz, Hugues Njiba-Mukuna, Sandra Poitoux etc
評価:10点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
アンスティチュフランセ東京で開催されている《映画/批評月間 ~フランス映画の現在をめぐって~》で、フランスメディア・リベラシオンと捻くれ映画誌カイエ・デュ・シネマが絶賛していた『ソフィア・アンティポリス』が上映されました。まさか上映されるとは思ってもなかっただけに『シャザム!』や『キングダム』を後回しにして観てきました。
『ソフィア・アンティポリス』あらすじ
ソフィア・アンティポリス、それは地中海と森と山の間にある不思議な場所。眩いばかりの陽光の下、男も女も生きる意味を、人と人のつながりを、自分たちが属する共同体を探している。そしていつのまにか彼らは失踪した一人の若い女性の運命と交錯していく。「前作『メルキュリアル』にて幻覚にとらわれた郊外の地での漂流を描いた現在の偉大な政治的映画作家の中でももっともノワールなヴェルニエが、コートダジュールの太陽と遅れてきた資本主義の凍りつくような炎に焼き尽くされたこの超現実主義的ホラー映画においてさらにその方法論を磨き上げる。そこは南仏でありながら、まったく別の世界のようにも見え、非常に冷たく鋭利なものが燃えるような官能性へと至る。そして超=現在の強迫観念や孤独にもとづく数世紀来の神話、至福千年説の恐怖、中世風の信仰がそこに蔓延っている。現代の不安(混乱)を目がくらむほど鮮やかに浮き彫りにする作品。」(「リベラシオン」)
※アンスティチュフランセ公式より引用
失敗した桃源郷の亡霊
ソフィア・アンティポリスとは、ニース国際空港から20kmのところに位置する場所の名前です。そしてそこは、1969年にピエール・ラフィット上院議員の手によって創られたエンジニア、研究者を全国から集めたシリコンバレーのような地域になっています。しかし、近年このテクノポリスは凋落の一途を辿っており、2014年にはインテルが、2016年にはサムソンが、2018年にはネスレが研究所を閉鎖し、失業者を出している状況に陥っています。街はすっかり活気を失い、レストランは昼食時にしか相手おらず、スポーツ娯楽を除き、もはや他の小さな街と張り合う熱すら失っているゴーストタウンまっしぐらな都市がソフィア・アンティポリスなのです。
そんなソフィア・アンティポリスを題名に持ってきた本作は、土地に残された者の息苦しさを独特なタッチで描いている。まず、豊乳手術に来た女性と医師との対話がドキュメンタリータッチで描かれる。医師が、危険だからと緊急手術を拒否するのだが、オーディションがあると言ってきかない女性が映し出される。そして、物語は不気味なムードに包まれる。映画の外側で何かが蠢いているような気にさせられます。登場人物はこう語る。
「みんなどこに消えちゃったんだろうね。死んじゃったのかな?」
まさしく、アメリカのシリコンバレーを追い越せと言わんばかりに始まり、大量に夢や希望を抱いた人々が流入してきたはいいものの、停滞するムードに耐えきれず違う地に消えていったことを暗示しているように見える。そして、流入してくるいかにも危ない人や、何もやることがなく無軌道にくだらない遊びをしたり、夜な夜な地べたで時が経つのを待っている人が対比され、頂点から地に堕ちていく様子を強調しているように見えます。また、シャネル等ブランド店が立ち並ぶショッピング街の閑古鳥っぷりを魅せることで、今のソフィア・アンティポリスの惨状を訴えようとしています。そして、ソフィア・アンティポリスから出られずくすぶっている人が、宇宙人たる存在、幻影を追うことで自己を保とうとしているのだが、既に亡霊と化してしまっている住人が生々しく描かれる。暴力を外へ出そうとしても不完全燃焼で終わってしまうところにリアルさを感じます。
ただ、日本に住んでいる身としては、いまいちピンとこないものがあります。日本における多摩ニュータウンみたいなものかなと想像力を働かせてみるのだけれども、そもそもこの映画の挿話が総じてつまらなく、どうでもよく感じてしまったので、全く乗れませんでした。やはり、土地に取り残された者の幽霊性を描くのであれば、黒沢清映画のようにしっかり死なる世界を描いてほしいし、閉塞さを描きたいのであればもっとドキュメンタリーに寄せて下手な宇宙人の話はカットすべきだ。
期待していたのですが、Not for meな作品でした。
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