SEARCH/サーチ(2018)
Searching
監督:アニーシュ・チャガンティ
出演:ジョン・チョウ、デブラ・メッシング、ジョセフ・リーetc
評価:60点
今年のサンダンス国際映画祭で観客賞を受賞した全編PCやスマホのスクリーン内で進行するミステリーサスペンス『SEARCH/サーチ』。日本にもやって来るや、絶賛の嵐となった。映画祭シーズンで一般公開作品に手が回らなかったブンブンであったが、興味があったので観てきました。既に全編スクリーン展開の映画は『アンフレンデッド』で行われていることなのだが、どこが観客の心を掴んだのか?ブンブンはTOHOシネマズ海老名に足を運び…※ネタバレ記事です。要注意(結末について触れています)
『SEARCH/サーチ』あらすじ
16歳の女子高生マーゴットが失踪した。父のデビッド・キムは、娘と密に会話を取っていると思っていたのだが、何も知らなかった。彼女は習い事にも学校にも行っていない。そして友達もいなかった…。優秀なヴィック捜査官を脇にSNSを駆け回り、彼女の行方を追うのだが…スマホを落とさなくても割と分かるよ
今、某スマホを落としたら個人情報だだ漏れしてヤバイ映画が公開されて話題となっているが、スマホを落とさなくても割と個人情報は分かる。それもクラッカーがウイルスや遠隔操作等の高度の技術を使わなくても簡単に調べられることをこの『SEARCH/サーチ』という作品は教えてくれるのだ。例えば、マーゴットはTwitter,Facebook等のSNSに鍵をかけている。なので承認されていない父は、彼女の投稿を見ることができない。では、彼女のパソコンからアクセスしようとなる。当然パスワードが掛っている。そこで、SNSには必ずついているパスワードを忘れた方のフォームに移動する。そして、Gmailに仮パスワードを送ってもらう。しかし、Gmailにもパスワードが掛っていて、同様の手続きを踏む。すると、今や放置アカウントとなっているYahoo!メールにGmailの仮パスワードが送られる。Yahoo!メールは父が娘のためにアカウントを立ち上げたものなので、彼の知っているパスワードで見事仮パスワードを取得できる。こうして芋づる方式に彼女のSNSにアクセスされていく。本気を出せばゴリ押しで、アカウントに入り込めるのだ。
この映画は、徹底的にコンピュータと人との関係性を研究し、非常にリアルな世界を投影させているのだ。チャットで文章を書く、しかし返信が来てしまったので、一旦悩んで別の文章を打つ。会議中に、同時進行で調べ物をしていく。主人公はカリフォルニアのSIerという設定にすることで、頻繁なテレビ電話、巧みな表計算ソフトや検索エンジン、Google Mapsの使い方(それも実在しそうなぐらいの程々のテクニックで魅せる)にリアリティが増す。
そしてこれらの描写が絶妙に繋がり、SNSの世界だろうとリアルの世界だろうと、相手の本心はしっかり見ないと表層的な部分に翻弄されてしまうというテーマが観客の心に刺さる。この作品を観ると、自分のSNSの運用を振り返りたくなるし、同時にPCが一般家庭に普及して約20年経ち人々の暮らしはどのように変わったかを教えてくれる。なるほど、これはヒットする訳だ。
しかしながら、この全編スクリーン映画には限界があると同時に感じた。
スクリーンのように薄っぺらくなる感情
本作は、脚本による影響もあるのだが感情が薄っぺらく感じてしまい、100分も薄い感情の海に中だるみしてしまった。まず、物語面から見てみましょう。本作は、全編スクリーンで何ができるのかに特化しているため、サスペンスとして最小限の捻りとなっている。父が、ヴィック捜査官と一緒に娘を探す。SNSを深く掘り下げていくと、いかにも怪しいチャラ男が出てくる。しかし、それが違うとなり、渦中に陥る。そして、新たな謎アカウントが出て来てそれを調べていくうちに、自分の周りに犯人がいるのではとなってくる。そして、弟が犯人?という衝撃の展開を魅せ、二転三転したのちに、結局犯人は一番近いヴィック捜査官だと分かる。そして彼女の独白が始まり、彼女の息子がその謎のアカウントの主で、娘を崖から突き落とし、それを隠蔽するためにデビッド・キムに近づいたことが明らかになるのだ。
この手のサスペンスの作りは標準的な型である。一人で探す→仲間が増える→怪しい人物を発見する→その人物は黒幕ではないことが分かる→犯人が近いことを主人公は気付きながらも思わぬ展開で犯人が捕まる→モヤモヤを晴らすために主人公は頭を整理する→実は犯人は序盤に仲間になった人だった。映画やドラマを観まくっている人、特にミステリー映画好きには早々に犯人がわかってしまう展開だ。
このテンプレートフォーマット、王道でいかに面白くするかと考えたときに重要なのは《感情》の起伏である。まるで、主人公と一緒に、怒り、焦り、ハラハラする。そういった体験ができた時、観客は満足する。実際に、本作はただの全編スクリーンという出落ち映画の域に止まらず、親子の対話による和解、家族愛をしっかり描こうとしているので町山智浩含む多くの映画ファンの心を鷲掴みにした。ただ、ブンブンには、この家族愛がスクリーンの奥のスクリーンという二重の壁により薄まってしまったように感じた。映画やの中での事象は現実世界での事象と比べると心の揺さぶりが弱まる。何故ならば映画は虚構だからだ。実際に映画で見る災害や暴動の映像よりも生で経験する災害や暴動の方がショックを受ける。人の命を強く感じる。これはインターネットも一緒でTwitterで見かける事件の映像を実際に生で見ると、背筋が凍る程怖かったりする。スクリーン越しで観るという行為が、安全地帯で観る安心感を自動的に観客に与えていると言えよう。そう考えた時に、二重にスクリーンを挟むことで、感情が見え辛くなってしまう。画面に映るのは、ほとんど顔、それもザラついた映像に映る顔、アクションらしいアクションは、スクリーンに映し出された監視カメラ映像やYoutubeにアップされた映像。何重にもフィルターがかかった世界で行われるアクションはどうも他人事に感じてしまう。娘を探そうと必死になっている父の涙ぐましい努力をスクリーンが邪魔してしまっているのだ。
そして、伏線に関しても、割と露骨で「伏線ですよ」アピールをしてくる。ポケモンや、入れ替わるアカウントのアイコン等々。さらに、便利ツールのように出て来た表計算ソフトでの人物まとめ表は、観客と映画の中の人物が一丸となって真実を探すツールとして全く機能していない。故に、個人的にはそこまでノレませんでした。
テレビドラマでやって観たらどうか?
個人的に、これはNetflixオリジナル映画のような雰囲気がありました。Netflix映画は、まるでテレビドラマのように様々な挿話をチラつかせ、長く深い世界観を作り出そうとする。 Netflix映画に関していつも思うのは、テレビドラマの長く深い世界観を2時間以下に収めるのは無理があるということ。本作も100分ではなく、1時間10話構成でテレビドラマとして作ったら傑作になったのだろうと感じた。上記の感情が薄くなってしまう問題は、何時間もかけて層をなすことで解決できるからだ。
』 に迫る傑作になったことでしょう。
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