【リービゼミ レポート】中上健次「岬」論

中上健次「岬」論


リービ英雄ゼミ最後のレポートで中上健次の「岬」論を扱った。そのドキュメントが出土したので、アップしようと思います。中上健次の「岬」は「血」や「地」に抗うことのできない者の葛藤を描いた大傑作である一方、登場人物が多く難解な小説。今回はそんな「岬」の凄さをじっくり丸裸にしていきます。

1.中上健次のキャリア

1946年8月2日

出来事:
和歌山県新宮市6756番地生まれる。そこは所謂被差別部落と呼ばれるところであった。
12月に南海地震が発生している為、恐らく被災している。

備考:
・母・木下ちさとの三男として生まれる。
・ちさとの最初の夫・木下勝太郎との間に5人の異父兄姉と実父と他の二人の女性の間に生まれた腹違いの妹二人いる。実父鈴木留造は健次を出産後ちさとと別れ、2人の男の子をもうける。

1953

出来事:
新宮市立千穂小学校入学

1954

出来事:
子連れの中上七郎と生活を始める

備考:
この時点では苗字は「ナカウエ」と呼ぶ。「ナカガミ」となったのは18歳上京してから。

1959

出来事:
・アルコール中毒気味の異父兄木下行平自殺。
・新宮市立緑が丘中学校に入学

備考:
・鳩のえさ代のために新聞配達のバイトをする。
・行平は健次にとって敵であった。
・不良少年になる
・読書に没頭する

1962年1月29日

出来事:
ちさとと七郎入籍。

1962年

出来事:
和歌山県立新宮高校入学。

備考:
・平凡な生徒として生活。
・サド、セリーヌ、ジュネに傾倒。大江健三郎や石原慎太郎の文庫も読みあさる。

1962年1月29日

出来事:
ちさとと七郎入籍。

1962年

出来事:
・和歌山県立新宮高校入学。
・同級生の中森則夫を通してランボーを知る。

備考:
・平凡な生徒として生活。
・サド、セリーヌ、ジュネに傾倒。大江健三郎や石原慎太郎の文庫も読みあさる。
→「飼育」「芽むしり仔撃ち」「個人的な体験」に影響を受けているのでは?
・「赤い儀式」「俺 十八歳」を執筆『文芸首(1933~1970)』の会員になり投稿

1966年

出来事:
『文芸首都』3月号に「俺 一八歳」掲載

備考:
中上健次19歳

1965年~1970年

出来事:
・大学受験費用を片手に同級生とその兄を連れ東京に上京。ジャズとドラッグに溺れる
・「一番はじめの出来事」(1969)

備考:
・「ジャズ・ヴィレッジ」に通い詰める
・「ジャズ狂左派」の仲間と「新宿反戦直接行動委員会」を名乗り、デモや早稲田大学で議論に参加する
・長年の友人・柄谷行人と知り合う

1970年5月

出来事:
三多摩の日野自動車羽村工場の臨時工として働く

1970年7月

出来事:
山口かすみ妊娠につき結婚

1970年8月

出来事:
羽田全日空の子会社IAUで貨物積み下ろし等の仕事に就く。

1971年1月

出来事:
長女・中上紀生まれる

1973年1月

出来事:
「十九歳の地図」
備考:
芥川賞候補になる 次女・中上菜穂誕生

1974年

出来事:
「鳩どもの家」が芥川賞候補になる。

1975年

出来事:
・「浄徳寺ツアー」が芥川賞候補になる
・「岬」

備考:
・芥川賞受賞は1976年
・第74回芥川賞受賞 同時受賞「志賀島(岡松和夫)」
・他の候補作
「黒い風を見た…(小沢冬雄)」
「丘の一族(小林信彦)」
「藁のぬくもり(高橋昌男)」
「針の穴(吉行理恵)」
「さらば、海軍(加藤富夫)」

1976年

出来事:
・映画「青春の殺人者」
→「蛇淫」原作 監督:長谷川和彦

1977年7月~1978年1月

出来事:
「紀州 木の国・根の国物語」

備考:
・紀州熊野の自然や路地のルポタージュ
・ニューヨークに移り住む(遠くからアジアを観る為)

1978年2月

出来事:
部落青年文化会主催による講座開設

1979年

出来事:
1.映画「赫い髪の女」
2.映画「十八歳、海へ」
3.映画「十九歳の地図」

備考:
1.「赫髪」原作 監督:神代辰巳
2.「隆男と美津子」原作 監督:藤田敏八
3.「十九歳の地図」原作 監督:柳町光男

1980年7月~1982年4月

出来事:
・「千年の愉楽」
・「熊野集」

1983年

出来事:
・「地の果て 至上の時」
・土地改造ブームで路地が壊されることによる影響を描く。
・リービ英雄に助言をする.

1984年

出来事:
・「日輪の翼」

1985年

出来事:
・映画「火まつり」 監督:柳町光男

備考:
中上健次自身が脚本を手掛ける

1987年

出来事:
・「奇蹟」

1992年8月12日

出来事:
肝臓がんで死去 享年46歳

2001年

出来事:
映画「路地へ中上健次の残したフィルム」 監督:青山真治

2011年

出来事:
映画「軽蔑」「軽蔑」原作(中上健次の遺作)

2013年

出来事:
映画「千年の愉楽」監督:若松孝二

※和歌山県新宮市とは?


中上健次が生まれ育った和歌山県新宮市は世界遺産・紀州熊野ゆかりの地である。7世紀後半に紀伊山地が修行の場所となり、9世紀には真言密教の山岳修行の地として定着した。9~10世紀に神仏習合思想が浸透するものの、明治政府が行った神仏分離政策で山岳信仰を禁じられた。しかしながら、かつての文化の一部が現在もなお継承されており、それが世界遺産登録基準(ⅲ)「現存する、あるいは消滅した文化的伝統または文明の存在に関する独特な証拠を伝えるもの(注1)」に該当し、2004年世界遺産認定となった。

尚、中上健次が住んでいた場所は被差別部落にあたり、彼の小説の中心テーマとなった。ちなみに中上健次の言葉で被差別部落は「路地」と呼ばれる。

大阪市立大学、若松司・水内俊雄の研究によると、この地区は湿地帯のある臥龍山で新宮市は同和地区の人々を半ば強制的に路地へ追いやった歴史があるとのこと。実際に「岬」では弦親父がバラック小屋を建てたところ、市有地だったため市役所と揉め、最終的に取り壊された。市役所が他に魅せたくない暗部や人種を隠すために路地は使われていたのではと推測できる。さらに江戸時代には、臥龍山に住む人々は町に出るためには町へ出る細い道を通り、番人に門を開けてもらわねばならなかった。

中上健次が生まれ育ったのは臥龍山の谷あいに広がる被差別空間。新宮市が環境改善事業に力を入れる過程で新たに近郊に生み出された同和地区である。また、1946年12月の南海地震による被害を受けて設営された仮説住宅が1950年代に急激に老朽化したことも差別へ加担した。狭い地区に、老朽化した住居に多数の部落民がひしめき合って暮らしていたが、1960年代に臥龍山を切り崩し転居させる形で解消していった。

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