『落下音』加速する歴史の綻びにある記憶について

落下音(2025)
Sound of Falling

監督:マーシャ・シリンスキー
出演:ハンナ・ヘクト、リア・ドリンダ、レナ・ウルツェンドフスキ、レニ・ガイゼラーetc

評価:90点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第78回カンヌ国際映画祭にて審査員賞を受賞した”Sound of Falling”が邦題『落下音』で4/3(金)より新宿ピカデリー他全国順次ロードショーとなる。配給はギャガが新しく立ち上げたアートハウス映画レーベルNOROSHI。『センチメンタル・バリュー』に次ぐ第二弾配給として本作を持ってくることとなった。今回、試写で一足早く観させていただいたのでレビューをしていく。

『落下音』あらすじ

北ドイツの農場を舞台に、それぞれ異なる時代を生きる4人の少女が体験する不可解な出来事を描いた映像叙事詩。

1910年代、アルマは同じ村で自分と同じ名前を持つ、幼くして死んだ少女の気配を感じる。1940年代、戦争の傷跡が残るなか、エリカは片足を失った叔父への抑えきれない欲望に気づき、自らの得体の知れない影に戸惑う。1980年代、アンゲリカは常に自分の肌にまとわりつく“何か”の視線におびえていた。そして現代、家族とともに移り住んだレンカは、自分の存在が消えてしまいそうな孤独感にさいなまれる。4人の少女の不安は百年の時を経て響き合い、北ドイツの農場を静かに覆い尽くしていく。

本作が長編第2作となるドイツ出身の新鋭マーシャ・シリンスキーが監督・脚本を手がけ、2025年・第78回カンヌ国際映画祭コンペティション部門にて審査員賞を受賞した(オリバー・ラクセの「Sirât」と同時受賞)。

映画.comより引用

加速する歴史の綻びにある記憶について

まず2つの意味で驚かされた。本作はマーシャ・シリンスキー長編2作目(プレスによると前作『Dark Blue Girl』は映画学校の卒業制作だったため、彼女は本作が実質のデビュー作であると語っている)とは思えぬ重厚で複雑な実験映画であったことだ。感覚としては第74回ベルリン国際映画祭で監督賞を受賞したネルソン・カルロ・デ・ロス・サントス・アリアスの『ぺぺ』に近い作品。恵比寿映像祭で上映されそうなタイプの映画である。ふたつめは、そんなゴリゴリの実験映画が全国公開されようとしている点だろう。かなり好き嫌いは分かれる作品かつ、ある程度の補助線を必要とする作品なので襟を正して順を追いながら語っていく。

まず、本作は4つの時代の少女の物語が並行して描かれている。

1:1910年代、アルマ→同じ村で自分と同じ名を持ち幼くして亡くなった少女の気配を感じる
2:1940年代、エリカ→片足を失った叔父に欲情する一方で、得体の知れない影に戸惑う
3:1980年代、アンゲリカ→何者かの視点に怯える
4:現代、レンカ→家族と共に引っ越してくるが孤独に苛まれる

映画はそれぞれの話を交差させて描くのだが、単体の物語も突然フィクショナルな空間へ投げ出され虚実が曖昧なものとなる。たとえばアルマのパートに着目する。姉妹との悪ふざけで世話役を怒らせ、廊下をグルグル追いかけっこする。しかし、シームレスに無音の空間へ流れつく。隙間から彼女が扉の先を覗くと、死を悼む女が映っており先ほどとは全く異なる物語が始まるのである。映画は音とイメージの質感にこだわっており、転調のタイミングで音とイメージのタッチが変容する。時にフィルムテイスト、時にピンボケしたテイストで描かれ、サブリミナル的に未来のシーンが挿入されていくのである。

序盤の方こそ、『落下音』に揺蕩う独特なルールに翻弄されていくわけだが、中盤以降で本作のコンセプトが見えてくる。このコンセプトを捉える上で役に立つ概念がある。それがピエール・ノラが提唱する「記憶の場」である。彼は論考「記憶と歴史のはざまに」で記憶と歴史の差を捉えながら「記憶の場」といった概念を定義している。過去を個人から奪い普遍的で論理的で最もらしい過去を再現する歴史に対して、想起と忘却を繰り返しながら現在を生きる記憶。曖昧で個人的な聖域である記憶は歴史が紡がれる中で常に批判にさらされ一掃されることとなる。ゆえに自然な記憶はもはや存在しない。だから記録を残したり、祝祭を組織しなければ歴史に一掃されてしまう。過去を呼び覚ますものとして「記憶の場」が重要であるとピエール・ノラは語っている。

映画の舞台となったドイツ・アルトマルク地方は素朴な田園地帯である。しかし、ドイツの複雑な歴史を担う場所でもあった。第二次世界大戦中にはロシア軍の進軍の場となり、戦後はは鉄のカーテンの一部となった。ベルリンの壁崩壊後はベルリンの人々の休暇の場となっていたのである。本作は、映像作品として記憶の場を形成することで、その地に眠る過去、歴史に埋もれた人が体感した厭な記憶を追体験させるのである。形式は一般的な映画のようなナラティブから逸脱し、我々が夢を観た時のような無意識下の関心が現出し反復される様、シームレスに違和感が訪れようともそれを現実として捉える様、ピンボケしたような世界と突如襲い掛かるトラウマ的ヴィジュアルが用いられた。

長編2作目にして理論と感覚を巧みに編み込んだマーシャ・シリンスキー監督の才能に興奮したのであった。

4/3(金)より新宿ピカデリー他全国順次ロードショー