『SWAN LAKE 〜starring KizunaAI』官公庁のプレゼン動画もしくはVTuber研究の資料

SWAN LAKE 〜starring KizunaAI(2025)

出演:キズナアイ

評価:10点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

2025年師走に思わぬ特級呪物が公開された。それが『SWAN LAKE〜starring KizunaAI』である。本作は2022年にコールドスリープし今年活動を再開したVTuber:KizunaAI(キズナアイ)を主演とした映画である。第78回カンヌ国際映画祭で出展されたと一時報道されていたものの、劇場公開情報まで終えておらず、映画評論家である柳下毅一郎の困惑のポストで存在を認知した。夜勤終わりに急遽新宿バルト9で観てきた。新宿バルト9は最近値上げしており2200円となっていたのだが、その価格で魅せられたのは映画ではなかった。官公庁が国外向けに作ったプレゼン動画のような代物、もしくはVTuber研究用の資料といったもので到底映画と言える内容ではなかった。そして闇が深いことに、明らかに海外向けの作品であるにもかかわらずLetterboxdに本作の情報はなく、また海外メディアで本作がまともに取り上げられた形跡はなかった。

『SWAN LAKE 〜starring KizunaAI』あらすじ

バーチャルYouTuberを象徴する存在でアーティストとしても活躍するKizunaAI(キズナアイ)が、バーチャルビーイングとして初のバレエ作品に挑戦したイマーシブフィルム。

2016年に活動開始した世界初のバーチャルYouTuber・KizunaAI。登録者数300万人を誇るYouTubeチャンネル「A.I.Channel」でのゲーム実況やトーク動画を中心に人気を博し、VTuberという新たなジャンルを築きあげた。マルチタレント活動を通じて活躍の幅を広げ、国内外から大きな注目を集めながらも、22年に無期限活動休止。3年間のスリープ期間を経て25年2月26日に活動を再開し、「世界中の人とつながりたい」という思いのもと、言語の壁を越えられる「音楽」を中心に活動を展開している。

本作では、そんなKizunaAIがチャイコフスキーによるクラシックバレエの名作「白鳥の湖」に挑み、華麗に舞う姿を映し出す。悪魔ロットバルトの呪いで白鳥へと姿を変えられたオデット姫と、若き王子ジークフリートの悲しくも美しい恋の行方を描く。

映画.comより引用

官公庁のプレゼン動画もしくはVTuber研究の資料

さて、そんな『SWAN LAKE〜starring KizunaAI』だが、最初の15分で大きな困惑が押し寄せる。まず、15分かけてVTuberとは何か?キズナアイとは何か?を当時の映像交えて紹介するのである。しかし、当時の映像をスクリーンサイズに引き伸ばすとジャギーが激しく映画館に耐えうる画質ではなくなる。恍惚とした白のライティングで誤魔化されているものの、明らかに画質が悪い。そして、VTuber文化は大きく分けてコロナ前、コロナ禍、コロナ後でビジネススタイルも文化の空気感も大きく異なっているにもかかわらず、2010年代のVTuber文化を延々と紹介している。時代遅れ感があり、今や業界が成熟し、社会的地位を得た上でメディアを牽引する領域としてのVTuberのありかたを模索する時代に、インディーズ、素人感、フレッシュ感を押し出した2010年代のVTuber像を紹介しても寧ろ海外の人に混乱を与えるように思えた。

そして長い困惑の末に本編が始まる。流石に画質は良い。金のかかった3Dライブのようなリッチさ、ヨーロッパの3Dアニメに歩み寄った質感で「白鳥の湖」が演じられる。ここで、VTuberとバレエとの相性の悪さが現出した。バレエ鑑賞とは、目の前で生身の肉体が人間離れした洗練された運動を行う。その運動が壊れてしまうかもしれない宙吊りの緊迫感が、バレエとしての面白さを与える。確かに本作はモーションキャプチャーを用いて、バレエダンサーの細かい肉体の運動をトレースし提示。ヴァーチャル空間ならではの物理法則、空間跳躍を通じて舞台からスクリーンへバレエを拡張している。しかしながら、バレエは声を発さない。故にキズナアイの「中の人」と目の前に提示されているアバターとの一致が感じにくく、プロのバレエダンサーに代替してもらっているのではといった空気がノイズとなり没入を妨げてしまう。本作が悪手なのは、数か所に渡りキズナアイの顔をした分身に踊らさせている場面があるのでそれが強化されてしまう点にある。演劇であれば、声が肉体とアバターを一意に紐づける要素として機能するので、実在感を与え、ホンモノの芝居を意識させられるのだが、バレエではそれは難しい。そして、舞台の拡張を通じた没入体験でいえばヴィム・ヴェンダースが3D映画ブームの際に作った『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』の前例があるので、新しいことをしているように魅せて陳腐に思える。

結局『白爪草』もそうだが、VTuberの要素を映画に持ち込むことはまだまだ難しいことがわかった。近年、美術業界ではマシニマといった領域が開拓されつつあるが、発展途上であり、映像作品としてはイマイチであることが多いので、思った以上に映画への活用は困難を極めているといえる。