『消滅世界』自己と社会規範の狭間で《正常》を擬態する

消滅世界(2025)

監督:川村誠
出演:蒔田彩珠、栁俊太郎、恒松祐里、結木滉星etc

評価:60点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

遂に村田沙耶香「消滅世界」の映画版が公開された。原作は今年、最も衝撃を受けた作品であり私のオールタイムベスト小説に名乗りをあげるほどに人生を変えてしまった。彼女の小説は以前から「ブンブンさんは好きなはず」と言われていたのだが、「コンビニ人間」がそこまでハマらず、また大学時代に文学ゼミの教授だったリービ英雄氏が「最近の文学界は『コンビニ人間』のようなスケールの小さい作品が多くて良くない」といったことを授業で話しており、それに引きずられる形で敬遠していた。

しかしここ数年、「恋愛はグロテスク」説を醸造させ、恋愛/結婚/子育てといったライフステージを拒絶し家族を説き伏せた私にとって「消滅世界」のあらすじを聞いた時、《これは自分のための物語だ》とイカヅチが落ちた。そして読んでみたのだが、人生30年生きてきた中でも小学校の時に「不思議の国のアリス」を読んだ衝撃、ゼミで李良枝「由煕」の《ことばの杖》を読んだ衝撃に匹敵する読書体験となった。一般的な性行為がタブーとされ、人工授精による出産や二次元との恋愛、家庭外の人間と肉体関係を持つのが当たり前となった社会規範が逆転した世界。旧世界に囚われ、新世界をグロテスクだと感じる母は毒親が如く娘を教育しようとするが、娘は社会規範に則りキャラクター《ラピス》と恋愛関係となる。そのまま社会のレールに従って結婚するのだが、家庭内でのレイプ未遂に遭い離婚、そして再婚し実験都市へ移住する。その実験都市では、性別が曖昧となりすべての人が「おかあさん」として子どもを育てるのだが、自分が乗ってきた社会のレールが異常だと気づいていく。毒親に抵抗する過程で自らも母と同じ立場になっていることに気づきある決断をする。

本作は「恋愛」における自己と社会との関係性を脱構築して行き、規範の内側/外側に身を投じること自体を批判することで自己とは何かを突き詰めていった傑作である。

そんな「消滅世界」が映画化されると聞いて「どうするんだ?」といった感情がまず湧き出た。デヴィッド・クローネンバーグチックな話を日本で撮れる人がいるのだろうか?そもそも文体はえげつない程のグロテスクな性描写を含むのでR-18は免れないだろう。そうでなければ希釈された作品になってしまう。などといったことが頭を駆け巡った。監督は今回長編デビューとなる川村誠。不安しかない。

恐る恐る公開日初日に足を運んだ。

『消滅世界』あらすじ

「性」の消えゆく世界で激動する「恋愛」「結婚」「家族」のあり方に翻弄される若者たちを描いた、芥川賞受賞作家・村田沙耶香による同名ベストセラー小説を実写映画化。

人工授精で子どもを産むことが定着した世界。夫婦間の性行為はタブーとされ、恋や性愛の対象は、家庭外の恋人か2次元キャラであることが常識となっていた。そんな世界で、両親が愛し合った末に生まれた雨音は、母親に嫌悪感を抱いていた。自身の結婚生活では家庭に性愛を持ち込まず、夫以外の人やキャラクターを相手に恋愛をする雨音だったが、実験都市・楽園(エデン)に夫とともに移住したことで、彼女にとっての正常な日々は一変する。

「朝が来る」の蒔田彩珠が雨音役で主演を務め、雨音の夫・朔役で栁俊太郎、雨音の親友・樹里役で恒松祐里、雨音の高校の同級生・水内役で結木滉星、樹里の夫・水人役で富田健太郎、雨音の元夫・正信役で清水尚弥が共演。国内外のさまざまなアーティストのMVやライブ映像、CM、ショートフィルムなどを手がけてきた気鋭の映像ディレクター・川村誠が長編映画初監督を務め、繊細かつ耽美な世界観で描き出す。

映画.comより引用

自己と社会規範の狭間で《正常》を擬態する

まず、結論からいえば思った以上に悪くはない映画化であった。むしろ長編デビュー作にしてここまで丁寧に作品の世界観を創り上げ、冗長になることなく挿話をまとめ上げた川村誠の力量は今後期待したところである。ショットに関しては中盤、神奈川工科大学 KAIT広場をマイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー『天国への階段』さながらのSF色で包み込みながら儀式を行う不気味さ、『仮面/ペルソナ』の応用ショットで締めるクライマックスも魅力的である。

しかしながら、全体としてはファスト小説、ダイジェスト感は否めない。実験都市パートに力点を置く都合上、先生の含みある言葉だったり、毒親が大切そうに旧時代のセックスにまつわる本を集めている場面、何よりも以下に挙げるマスターベーションを初めて経験した時の言葉を辿るようにして編み込む様は欠落しており、村田沙耶香の毒は薄められてしまっていた。

彼を見ると体内に生まれる「熱い塊」は、身体の中を這いずり周り、画面を消して布団にもぐってもしばらく続いた。
 甘美な痛みに規制されているような、不可解な感覚だった。甘い痛みは体中を動き回った。胸、背中、首の後ろや臍の下、爪先が痛くなることもあった。
 身体の痛みはラピスに齧られているようでもあり、うれしかったが、辛くもあった。年齢を重ねるにつれて激しさを増すその甘い痛みを、身体の中から吐き出すことを覚えるのは自然な流れだった。
(中略)
 身体の中で、まだ使ったことがない臓器が疼いていた。
 私はその臓器の声に従うように、タオルケットに絡めた脚に力を込めた。
 臍より少し下の部分の奥が痛かった。
 力を込めた脚を揺さぶると、体中の血液が炭酸になってはじけるような感覚がして、そのまま力が抜けて行った。
 私は、古い本でしか読んだことがない「セックス」というものを今、自分とラピスがしたのだと思った。

とにかく、本作を観て惹かれた方は原作を読むことを強くオススメする。

■che bunbunのオールタイムベスト小説

1.由煕
2.不思議の国のアリス
3.失われた時を求めて
4.消滅世界
5.オン・ザ・ロード
6.ボヴァリー夫人
7.裸のランチ
8.深夜特急
9.グレート・ギャツビー
10.1984年

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